たましいはどこから来たのか、ずっと気になっていた。
聞いてみたいけど、多分「どうして?」と聞かれると思うし、どこから来たのかなんかよりも、どこへ行くのかを私は知りたい。

たましいはいつも嬉しそうにしていて悩みもなさそう。
私はたましいに気づいてから確実に変化した。わからない事だらけで混乱してばかりいたけど、パチンと明かりのスイッチが入った。たましいは心に住み込むらしいから、明かりがつくと私の心についた傷も明らかになったけど、それがどんなことで傷になったのか、未だにさっぱりわからない。それ程昔のことなのか、あの事なのか、それともあの出来事なのか?
そんな風に、たったひとつの傷だけでも引きこもってしまった。
心が開放されないと、愛が目の前にあっても見れないんだから大変なことだよ。心があれば、はるか遠い所にあったって、見つけることは難しいことじゃない。そうやって、ちゃんと考えてみれば、人の心を利用したり、傷つけたりって重罪だよね。

私は生きることが完全に無意味だと決め込もうとしていたから、自分も他人もどうでもいい、なにもかもどうでもいい、私を満たすものは何?お金?物欲?成功?それとも、そんなものは最初からなかったのか?となっていた。

人を傷つけるなんて出来ないように感じる。たとえ攻撃されても。そんな事をし合うなんて、全部を捨てることと同じ気がしてならない。捨てたら二度とはかえってこない。

私の道と、君の道は全く別のものだから、邪魔をする必要なんてないから、けなすことも意味無いしね。

もったいない。
心がそんなになると、小さい子供みたいに喜ぶこともやっていられなくなる。心ってそんなに難しいものじゃないと、自分のを見つけてそう思った。簡単ではないけど。

私の心に傷がひとつあった。
そのひとつから、ずっと開放されることなく、ながい間閉じたままで、だからと言って、普通に生活をして、人と接して、騒いだり、なんの不自由もなかった。ただずっとやりきれなくて、そのやりきれなさは増える一方で減りはしない。


傷ついたと思うことがあったら、それは思考がめぐりめぐらせて、処理したり、しきれなくて滞らせたり。とにかく頭はよく働く。感謝しよう。

だけど心はなくならいね。減ることもないし、死ぬこともない。たましいみたいに。いつだって、私の喜びを待ち構えていたように思う。そういう機能なんじゃないかな。
だけど私は心の所在も知らないし、所在無いなら信じない。(頭脳はいろんな形になって私に見せてくれる。良い形や最悪な形と結果とか)
心がなくても生活はできそうだけど、人に不可欠な愛が絶対に受け取れない。
必要ない、わけではない。愛を知ると世界が変わる。
だれの心も汚れてなんかない。そんなのは単なる空想に過ぎない。例外なく、どんな人でも。頭に思い浮かぶあの人も。
空想に惑わされて諦めるなんて、無念としか言いようがない。それとも、これも悪魔の仕業なのかも。本当に気をつけなきゃ。

確認が欲しいなら、自分がよく知ってる。
自分しか知らない。自分をもっと信じようかな。誰が信じなくても、自分を信じよう。大丈夫、問題なんてひとつもない。これも空想に過ぎない。そんなに空想が好きなら、もっと欲張りな想像でもしてみたら、それが現実になる。

たましいはいつもひとつのことに夢中。ひとつのことしか知らない。そのために存在していると知っている。シンプルだなって思う。私は何をそんなに難しくしているのかな?本当に生きている事って、そんなに辛く悲しいことばかりなのか?って改めて考えなおしてみる。
そんな気もするけど、具体的に全体を把握していないような気もする。嘆く癖がついたのかもしれない。
どうして、こう自分の事がよくわからないのか、複雑にしているのは自分なのかな?なんなのか?
心に傷がついたなんて、空想なのかもしれない。傷だらけのハートなんて嘘かもしれない。
ただ、一度傷を持つと、それっきり開放は閉ざされるのかも。
大事な場所だから。