私たちはもう安心しようよ。不安なんてなんにもない。
私は自分を守るために人をたくさん攻撃してきたし、平気で人を傷つけてきた。
自分を守るため?

私は頭が悪いのに中途半端に考えるからいけない。
考えるなら徹底的に考えぬかないといけないのに、答えが早く欲しいばかりで、なるべく早く決めつけたがる。
自分を守るために人を傷つける。油断しているとあなどられる。
この事を考えている時の私は冷静じゃなかった。囚われていた。
私には、私だけの大切なものをずっと昔から持っていたんだし、他の誰かと同じものは、この世の中、地球のはじから裏からどこを探したって、私の唯一のものを持ち合わせる人は絶対にいない。
それなのに、どんな自分を守るんだっけ?

あの人とは意見が合わなくて対立してるから?私を受け入れない目をしているから?
明日がわからないって、良いことに見えてくる日もある。明日が見えなくて怖くてどうにもならない日もあるし。でも、結局、絶対わからない。本当の意味で侮ってはいけないと思う。明日が同じ日の繰り返しだなんて、そんな事を考えているなら、ある日、急に、のサプライズもいらないなんて、私は断固として反対する。でもね、私は思うけど、サプライズなんかよりも、いつだって人の前には愛がある。心で感じて受け取ろう。目の前にある自分のを受け取ろう。人にしかなし得ないから。くだらないと思ってしまうなら、心が渇望していることだから。
それなら、どうしてもっと早く良い方向へ行かなかったかな?と、どうしても思ってしまう。
私の場合、確実に心がどうかしていたからだし、信じる、という行為をしてみなかった。信じたって裏切られるとは、ちょっと違う気がする。私は信じるとは行為だと思っているから、今は。
だから、私は信じようと思っている。
自分も、もちろん、たましいも愛も心も、友達も家族も、まだ会ったことのない君も。一度も会うことのないような人も、私を試すような人のことも。
疑う必要がない。
警戒する必要がない。

信じることは行為だし、疑うことも行為なのかもしれない。
あの悪魔のささやき声は大きいわけだし。たましいの声は聞き取れないくらいに小さい。私は聞こえるものから受け入れる。
自棄になっていた私は、小さい声には冷たく「聞こえるように話さない方が悪い」と聞く気も起こさない。私の声も小さく決して良い声じゃないっていうのに。
何万回でも言いたい気分になるけど、悪魔の声は単純に大きいだけ。その声に聞き従ったって、目指す場所もひたすらに見えないし、自分の意味が完全にわからなくなるだけ。何よりも怖いのは、自分がわからなくなるって事だった。でも、たましいが私の内に住んでいて、私の本質のカギになるような気が、時々ひねくれた私にかいま見せてくれる。
自棄になっているのは、私じゃない。これも私、なんていう風に決めつけていた。
本当に悪魔の手は巧妙で困る。
とにかく私は疑い倒すくらいに疑ったけど、それでも私の唯一の愛は私に真実だけを差し出してくる。本当だから、信じてね。だけど私の長年のおかしな癖は、そう簡単になおってはくれなく、分別もできない。私の警戒や用心はわけ隔てなく攻撃をする。絶え間なく。こんな恥ずかしい癖を公開するのは情けないんだけど、本当だから仕方ない。あの子は信じて、あの人は用心しないといけない。そして家族は分かり合えるから信頼をする、なんて事は、私の元の部分は(たましいも含む)出来ないらしい。
信じることは全てを信じる。疑うとなると徹底して疑う。

私の前には、いつだって変わらない同じものがあった。確かにこの愛はあった。物質的証しも、もしかして存在していたのかもしれないけど、疑ってばかりいた私には、そんな証しがあっても気がつかなかったろうけど。

いつだって、たった一個の同じ愛が目の前にあった。愛って一人にひとつ。ふたつは決してないんじゃないかな。
いつだってあったんだから、私の心が感じ取れれば、あのやりきれなさも無かったような気がする。
自分は違うなんて決めつけないで欲しい。
かならず、一人の人には一人の人がつく。運命の人ってやつかもしれないね。嘘くさいと言われてもやめないょ!私もずっと強く否定的だったから。
だけど、私は愛を知ることで、足りないものがすっかりぴったりと空いていた部分にあてはまる。人によって違うかもしれないけど、私にはこれしかあり得ない。