よく知られているように、現代は技術革新の時代であり、とりわけ巨大設備を必要とする科学研究の重要性がいちじるしく高まっています。そのような巨大設備の設置は一大学の力に余りますから、そうした研究の中心は企業や政府の設置する大規模研究所に移り、その意味では、国の研究体制の中での大学の地位が低下したように見えます。しかし、企業や政府の研究機関における研究は、テーマや研究範囲や研究期間が厳しく限定されていて、個々の研究者の自由は制約されざるをえません。創造的な、とりわけ基礎的な研究が行える研究機関として、大学の存在は依然として、その重要性を失っていないといえるでしょう。

 このような研究機関としての大学の教育の特色は、まず第一に、「研究者である教員」による教育だという点にあります。高校以下の教員のなかにも、個人として熱心な研究活動を行って成果を挙げている人は少なくありませんが、その本来の任務は教育者に尽きるわけです。

 研究者による教育に期待されるものとしては、学問内容の正確で水準の高い解説ということだけでなくて、さらに、自主的な問題設定と誠実で冷静な調査・観察の努力、厳密で論理的な思考能力、権威にも左右されない批判精神、創造的な構想力など、真剣な研究活動の中で研究者が身に着けた姿勢と能力が、授業や個人的接触を通じて、部分的にせよ学生諸君に伝達されるという点こそ、もっとも重要な内容であるといえましょう。そのような姿勢と能力は、専門家としての研究者だけではなくて、社会に貢献する力を持った、優れた市民にとっても望ましいものだからです。

 

 

 

 

 

 

   大学教育におけるそのような効果を十分に発揮するためには、できるだけ教員と学生との間の討論や人間的交流ができる条件を整える必要があります。そのための方法は、学部や学問領域によって多様ですが、本学でゼミナールや演習や少人数対象の講義など、いわゆる少人数教育を重視するのもそのような理由によるのです。学生諸君もその意義を自覚して、そうした機会を積極的に活用してほしいと思います。

 このような大学教育の特質は、学生諸君の側の、自主的な学問への取り組みがあって、はじめて実り豊かなものとなるでしょう。教えられるものをただ受け身で覚えこむ勉強から、教えられることを契機として、自主的、積極的に真理を追求する研究的な学習態度へと脱皮することが、「大学生になる」ということなのです。

 しかしまた、大学生時代は青年としての人格形成の大切な時期でもあります。大学の授業科目の編成は、そのことを考慮して、専門的な学科目に加えて、広い視野と豊かな人間性の育成に役立つように、多くの関連科目や教養科目を設定し、それらの間から、学生諸君の個性と関心に応じて選択できるシステムをとっています。このあたりが、進学塾や専修学校と大きく違うところだと思いますが、学生諸君も、単に良い評点が得られやすい学科目や講義を探しまわるということではなくて、自分の人間形成にもっとも有意義と思われる履修科目の選択に努力してほしいものです。

 もちろん、豊かな人間形成には、正規の授業の履修だけでは不十分です。いろいろな文化活動や社会的活動、あるいは各種のスポーツ活動など、いわゆる課外活動に情熱を傾けることも、きわめて望ましいことです。正科のゼミナールや演習活動と並んで、これらの課外活動の多くも、多数の学友たちとの共同活動として展開されますから、友情を培い、連帯の心を醸成し、将来、社会人として活動する精神的準備を整えることにもなるでしょう。

 

 

 

あと一節続きます。