みなさんがよく御承知のように、今日の日本は、よくもわるくも、いわゆる「高学歴社会」であり、青年たちがよい職業に就くためには、とにもかくにも大学を卒業することが必要とされています。
多くの学生諸君が大学への進学を決意し、父母のみなさんが子女をぜがひでも大学に入れたいとお考えになる第一の理由も、事実上そこにあるといってよいでしょう。
わたしたちも、そのような切実な願いを大切にして、社会から高く評価され、学生諸君によい就職口が保証されるような大学となるように、日夜努力を重ねております。
けれども、大学は単なる就職準備機関ではなく、もっと大きな社会的使命を課されておりますし、その使命の達成を通じて、社会的評価がいっそう高まれば、それはまた学生諸君の就職にも好い影響を及ぼすことになるでしょう。
それでは、大学の社会的使命とはなにかというと、それは学問の研究とそれに基づく教育とを通じて、一方では学問の発達を推進するとともに、他方では優れた市民を育成することによって、人類と社会の福祉と発展に役立つということです。ですから法律的にも、高等学校以下の学校が、もっぱら教育のための機関として規定されているのに対し、大学は「研究と教育」のための機関として位置づけられているのです。
学問の不断の発展を促すためには、研究の方向や内容に対する、国家権力や既成の学問の権威などによる干渉を排除しなければなりませんし、自由な研究に基づく自主的・積極的な教育によって優れた市民を育成するためには、教育の方法や内容についても同様のことが必要とされます。そこで、教育と研究に関する事項の決定は、その専門家の集まりである教授会に委ねられて、外部からの介入を許さないという慣行が
社会的に認められており、「大学の自治」といわれるものの主要な内容とされているものです。いうまでもなく、大学の内部で暴力を振って自分たちの意志を他の人びとに押しつけようとするものたちがあれば、それは「大学の自治」を内部から破壊するものとして、厳しく糾弾されなければなりません。
1983年4月 学長 川口 弘
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