開場から開幕までのあいだ、仄暗い舞台の上を、黒い人影が、絶えず動き回っています。

彼らは黒板や書類戸棚やテーブルや椅子やソファや大きなダルマなどを運び込み、それをある場所に置き、気に入らずに別の場所に移したりしています。

この人影たちは裏方のようであって裏方でなく、また登場人物のようであって登場人物ではない、曖昧で多義的な人影たちです。

飾られた舞台はただの事務所ではなく、参議院全国区に立候補した無所属新人の選挙事務所であるらしいのです。

書類戸棚の上のダルマと壁に貼り出された〈あしたのジョーがすきだ、でもあさっての馬鹿のほうがもっと好きだ〉、〈必勝〉、〈参議院全国区立候補者・無所属・赤尾小吉〉という三枚の手書きのポスターが辛うじてそのことを示唆しています。

開幕を知らせる音楽が聞こえます。

と、今日は井上ひさしの『花子さん』を読んでいました。

訳あって、現在一幕ものを中心に読んでいるのですが、この『花子さん』も、数少ない井上ひさしの1幕物の1つです。

前文で普遍性がどうのと書きましたが、この『花子さん』ほど普遍性に乏しい作品は有りません。

テーマはずば抜けて面白いのですが、兎に角普遍性に欠けるのです。

登場する固有名詞、事件などが、古いのです。

これをこのまま上演してよいのかどうか、やっぱ一部手を加える?、となる作品です。

まぁ、時代的史料としては、とても面白い作品だと思います。

ですから、現代化せずにそのまま上演するのが正解のような気がします。

物語は多幸症の男が、参議院全国区に出馬するという話です。

大衆はタレント議員にも飽きている。

これからは馬鹿が受ける時代だ、という話です。

大衆はバカだが、自分はそれに輪をかけた馬鹿だ。

バカに原水爆がつくれるか、バカに手の込んだ賄賂が受け取れるか、と力説し、演説し、で、開票率4%で当確となるのです。

当選した男は、その場で辞退します。

馬鹿が当選するようではこの国は終わりだ、という理由からです。

井上ひさし作品の中でも、もっとも皮肉のきいた作品となっています。