現在読んでいるのは、井上ひさしの『しみじみ日本・乃木大将』です。

ドラマという娯楽には様々なジャンルが有ります。

映画、テレビ、舞台などです。

映画なら、映画でしか表現出来ないような、テレビなら、テレビでしか表現出来ないような、そして舞台なら舞台でしか表現出来ないものがあると思います。

この『しみじみ日本・乃木大将』は、舞台でしか表現出来ないものだと思います。

この物語に登場する人間は、陸軍大将乃木希典閣下と乃木大将夫人静子様と本多武松少年の3人だけです。

後登場するのは、壽號、あらたま號、乃木號、紅號、英號という五頭の馬だけなのです。

それでどうやってドラマが展開するのかというと、今ではほとんど見かけませんが、昔は舞台に馬が登場するとき、馬の上体のかぶりものを、前足に一人、後ろ足に一人と人が入り、息を合わせて一頭の馬を演じていたのですが、その演出を逆手にとって、馬の前足、後ろ足がそれぞれ馬格を持って、明治天皇の死と共に殉死するかも知れない乃木大将が、もし殉死すれば、乃木大将の馬として殉死すべきという前足軍団と、いや一頭の馬として生きるべしという後ろ足軍団が、乃木大将の生きざまを演じて、それを検証すると言うお話です。

多才な作家は、お話のプランを思いついた時、これは小説向き、これはテレビや映画向き、これは舞台向きと分類し、それぞれの表現方法をとるらしいですが、このプランは舞台でしか表現出来ないものだと思います。

基本となる時間の流れは、大正元(1912)年九月十三日、明治天皇大葬の日の、午後六時から午後八時までの二時間です。

基本となる場所は、東京赤坂新坂町の陸軍大将、学習院院長、伯爵乃木希典邸の厩舎。

この厩舎は、煉瓦造りの洋風建築で、右端(上手際)が馬丁部屋、その他は三等分されていて、右から順に、

壽号(流星の栗毛。十歳。正馬)

あらたま號(流星の鹿毛。六歳。副馬)

乃木號(紅梅の葦毛。五歳。副馬。水師営でロシアの陸軍中将ステッセル将軍から贈られたアラブ産白馬「壽号(スゴウ)」の子)

の、将軍の愛馬が三頭入っています。

上手の馬丁部屋の前に井戸があります。

正門は上手の袖の内にあり、下手は乃木邸の勝手口へ通じています。

照明がたそがれのそれから、夜のそれへと変わる。

照明の変化をきっかけに、壽號はきっとなって下手をみます。

乃木號とあらたま號も下手を注目します。

砂利を踏む音がして、乃木大将夫妻が登場。

静子夫人は薩摩焼の大鉢を捧げるようにして持っています。

大鉢に積みあげてあるのは、三頭の馬の好物であるカステラです。

このときの乃木大将の服装は、大日本帝国陸軍大将の正装。

夫人は第一期喪服。

それぞれの馬に別れを告げながら、カステラを与えて行く乃木大将。

三頭の馬に別れを告げ、乃木将軍と静子夫人が下手へ退場しかかる、そのとき、上手から十四、五歳の少年が飛び出してきます。

筒袖の着物、鳥打帽、紺の前垂れ、腰には注文伺い帳。

典型的な小僧姿です。

少年は土下座をして地面に額をこすりつけます。

その少年こそ本多武松です。

少年の父親日露戦争の折り、旅順の要塞のひとつ松樹山で戦士をとげたのです。

母親も死に、ひとりぼっちになった少年は決心したのです。

できるだけ閣下のお近くに住もうと。

それで閣下の屋敷に出入りを許されている三河屋の小僧になったのです。

少年は乃木の生き方にあこがれ、書生にしてくださいと申し出ます。

何としても書生になりたい少年と、それは困ると断る乃木の押し問答が、その姿が下手にその姿が消えてからも続いています。

これより少し前、壽號と乃木號は厩舎の自己区画から出て、下手袖まで行き、乃木将軍と本多少年との会話に馬面を傾けています。

ここまでがプロローグのような感じです。