田沼意次に目通りする平賀源内。

幕府への仕官の儀は叶うかどうか確かめる源内。

源内の平線儀、火浣布、寒暖計、源内焼、羅紗、そして人参栽培法に白砂糖製造法を立派と認める意次。

しかし、意次は生きていられるだけでも有難いと思わねばならないと言います。

田沼の政治は泥沼、泥沼だからこそ平賀源内という仇な蓮の花も咲くのです。

誰かがこの泥沼の濁りを清めて、白川になるだろう。

その清き流れは、ただただ、小川の澄んでいるのに似て、棲むのは小魚ばかり。

源内のような大きな魚は棲みかねるのです。

源内の各種の発明はぎりぎりの綱わたり、戯作も発禁すれすれ、泥沼なればこそ通用しますが、清らかな流れでは切支丹の妖術を使う者として磔。

風紀紊乱のかどにより投獄。

意次も源内も運が悪いのです。

晩年の吉宗が手を付けて失敗した財政改革、意次はそれを引き受けざるを得なかったのです。

それが大悪評なのです。

こういう時に限って天変地異、一揆が次々に起こるのです。

高遠の理想はどこへやら、いまではその場を繕う小手先芸のひねりだしに精一杯なのです。

政治は一張一弛。

意次はそれをゆるめるだけゆるめてやる積もりで、それをひきしめるのは意次や源内ではないのです。

源内が下がろうとした時、裏の源内が、近頃、金貸座頭の横行跋扈、目を覆わしめるものがあり、高い利息はとにかく、借金が滞ると、相手が町人と武士とを問わず、玄関に上がりこみ、強引なる居催促。夜逃げをする旗本もすくなくはないと、訴えます。

青茶婆のことで揉める表と裏の源内。

裏の源内がいうには、源内が駄目なのは、源内の仕事がいまの民衆の生活と直結していないからです。

例えば、源内が発明した羅紗は、せいぜい旗本や大名の陣羽織か槍しるしにしかならない。

江戸中では、源内は発明者ではなく、山師と言っているのです。

確かに両国では、源内の名を語る香具師たちの見世物で溢れ返っていたのです。

もっとも、それは源内自身が蒔いた種だったのです。

その頃鳥山検校を始め金貸座頭は、ひとりのこらず首を斬られていたのです。

青茶婆も捕まっていて、首を斬られるのは今夜暁九つ。

場所は千住小塚原。

急ぐ表と裏の源内。

今夜の「アナザー・スカイ」は北川悦吏子でした。

テレビや映画の脚本の事は全く分かりませんが、みんなが熱中する作品が書けるというのは、スゴい才能だと思います。

番組の中でオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングの『ロミオとジュリエット』に影響を受けたと語っていましたが、確かに僕も『ロミオとジュリエット』の影響を受けているのかも知れません。

ですが、僕にとって苦々しい思い出のある作品で、舞台では観たいと思いません。

あくまで観たいのは、映画版『ロミオとジュリエット』です。