現在、『楡の木蔭の慾情』を再読しています。

確か僕が昔読んだ本のタイトルは「楡の木陰の欲望」だった気がするのですが、はっきりしません。

多分、今回手に入れたのはその本より古い版なのだと思います。

今、全3部の第1部を読み終えたところです。

主人公のキャボットの留守中に二人の腹違いの兄、シミアンとピーターにアボットの隠し金を手渡し、その代わりに土地を全部自分の物にすると、取り引きしますが、その留守にしていたアボットが新しい女を女房にして帰ってくると分かった二人の兄は、土地がその女の物になると考えた二人の兄は、その取り引きに応じます。

二人の兄も、荒れた土地を耕し朝から晩まで働く仕事に疲れきっていて、カルフォルニアに行けば金をザクザクと堀あてる事が出来ると見聞きしていて、その野良仕事から解放されたいと思っていたので、渡りに舟だったのです。

新しい女房アビーを連れて帰ってくるアボット。

二人の兄は、アボットにさんざん悪態をついてカルフォルニアに出発して行きます。

家に入ったアビーは、台所でエベンと顔をあわせ、アビーはエベンの若さと整った顔だちに、エベンはアビーの肉体に惹かれますが、エベンはアビーに悪態をついて台所から外に飛び出して行きます。

飛び出したエベンはアボットと顔をあわせます。

お互いに悪態をつきながら納屋に向かうエベンとアボット。

そこまでが、第1部です。

昔読んだ時には、僕なら父親の隠し金を持って家をとびだすのにもったいないと考えていたのですが、その土地が元々エベンの母親のものであった事を改めて認識し、エベンのその土地に対する執着を今回認識し、理解しました。

話は変わりますが、この間テレビで「石橋貴明のタイムトンネル」を見ました。

佐野史郎さんがゲストということで、多分テーマは怪獣だろうと思ったからです。

思った通り、話題は東宝怪獣映画がメインでした。

僕ら世代の怪獣映画体験はゴジラ映画より、大映映画「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」からの人の方が早く、ゴジラ映画体験は「ゴジラ エビラ モスラ南海の大決闘」からの人が多いと思います。

元々「南海の大決闘」はキングコングの為の映画だったのですが、版権を持つ映画会社からOKが出ず、急遽ゴジラ映画になったと言う経緯を持った映画で、何とも言えないゴジラ映画から出発したわけです。

番組では、「ゴジラ モスラ ラドン 地球最大の決戦」や「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「地球攻撃指令 ゴジラ対ガイガン」などが紹介されていましたが、どうして「怪獣総進撃」が紹介されないのだろうと、僕はテレビの前で首をひねっていました。

特に「フランケンシュタイン対地底怪獣」では、二つのエンディングが紹介されていましたが、正直大ダコが登場するエンディングを初めて見た時、タコって湖にいたっけ?という素朴な疑問を持った事を思いだしました。

ガメラ映画では、「ガメラ対ギロン」が紹介されていましたが、佐野史郎さんの苦笑いが印象的でした。

全体の印象ですが、怪獣というものに対する佐野史郎さんと石橋貴明との認識のギャップが目立った、そんな感じでした。

佐野史郎さんも石橋貴明も「ゴジラ対ヘドラ」あたりが怪獣映画からの卒業という点で一致していましたが、僕は「ゴジラ対メガロ」まで怪獣映画を見ていましたし、新ゴジラシリーズも「ゴジラ84'」から「ゴジラvsスペースゴジラ」まで観ていた口です。

僕も怪獣マニアだと思いますが、佐野史郎さんの怪獣マニア振りは、僕を遥かに凌駕したもので、多分話に途中でついていけないだろうと認識しました。