『水野朋子物語ー熱海殺人事件』を読み終えました。

しかし、僕が「戦争で死ねなかったお父さんのために」で読んだ『熱海殺人事件』でも、卒塔婆小町や、つか劇団で観た『熱海殺人事件』とも違う作品で、へぇ~、こうなっちゃうんだと、何とも言えない気分になりました。

で、キャスティングはどうなっているんだろうと、後書きを探したのですが、後書きがないのです。

うろ覚えですが、つか劇団で1番最初にくわえ煙草伝兵衛を演じたのは、三浦洋一だったと思います。

従って卒塔婆小町版『熱海殺人事件』は、その三浦洋一版のコピーだったのだと思います。

風間杜夫版くわえ煙草伝兵衛は、少しカマッぽい演出だった記憶が有ります。

に、しても、『水野朋子物語ー熱海殺人事件』は、僕の知っている『熱海殺人事件』とは全く別物でした。

『熱海殺人事件』の初演は昭和48年11月、文学座のアトリエ公演で、演出は藤原新平でした。

以後、昭和50年9月、VAN99ホールを皮切りに、つか演出による度重なる再演につれ、そのつど細かな改訂が加えられてきたのです。

今回僕が読んだ『水野朋子物語ー熱海殺人事件』は、基本的な構造を昭和62年4月に紀伊国屋ホールにおいて上演された『ソウル版 熱海殺人事件』からのもので、更に改稿を加えた決定版だそうです。

つまり、『熱海殺人事件』には幾つかの版があるという事です。

僕も色々な芝居を観たり読んだりしてきた積もりですが、この『水野朋子物語ー熱海殺人事件』ほどの改変は、観たことがありません。

『熱海殺人事件』の決定版ということですが、多分ですが、人それぞれに好きな版があると思います。

出来れば『戦争で死ねなかったお父さんのために』の『熱海殺人事件』と、この『水野朋子物語ー熱海殺人事件』、両方を読み比べてみて下さい。

そこにつかこうへいの舞台に対する、執拗なまでのこだわりが見えて来ると思います。

しかし、面白い事は確かで、僕はたった1日で読み終えてしまいました。

僕は高校生の頃、絶対「太郎ちゃん花子ちゃん物」と「喜劇」は書くことはないだろうと考えていました。

僕は書くのなら「悲劇」だと決めていました。

それは僕が「恋愛物」や「喜劇」が嫌いというわけではなく、逆に大好きだからです。

だから、恋愛物なら恋愛物に、浸りこみ、没頭したいからです。

喜劇なら何にも考えずに笑っていたいからです。

ですが、いつの間にかそちら方面のものばかり、書いていました。

やはりそれは、つかこうへいの影響だと思います。

つか芝居の特徴は言葉の応酬による笑いだけではなく、そのダイナミズムにあると思います。

まず、舞台装置をほとんど使いません。

大道具をほとんど使わないのです。

つまり、その劇空間は何処にでも、何にでもなり得るのです。

『熱海殺人事件』では、取調室が海辺にもなりうるのです。

テレビドラマや映画だと、海のシーンは海で撮影し、街角のシーンは街角で撮影すれば、それでシナリオを消化できます。

舞台は舞台空間という限られた空間の中で、台詞に頼り構築していくしかない世界です。

大道具を自在に使う事が出来る劇団なら、セットを組みかえて空間を自在に変えて、よりリアルな展開が出来ますが、それでもテレビや映画のような心象風景をプレゼンテージする事は出来ません。

もしそれが出来る物があるとすれば、それは役者の肉体だけです。

照明と肉体によってどこまで出来るか、それが限界だと思います。

つか芝居はそれを実戦していた舞台でした。