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【スーパーストロングマシン歴史】
時は1984年8月24日
新日本プロレス「ブラディ・ファイトシリーズ」開幕戦 後楽園ホール
突然目出し帽を被ったマスクマンと、黒いテンガロンハットのサングラス男が登場❗️
目出し帽の隙間から、ちらっと見えるキン肉マン風マスクマンはセコンドについていた若手の小杉達にタックルで次々倒し、放送席で解説をしていたアントニオ猪木に挑戦状を叩きつけた。
さらに宣伝サービス?なのか、
マネージャーの若松は胸元からキンケシ【当時流行っていたキン肉マンの消しゴム】を場内へ飛ばしていた。
👇キン肉マン消しゴム👇
場内はお決まりの
帰れ!帰れ!コールだ。
この模様は金曜8時の「ワールドプロレスリング」で生中継で放送されたことでファンにインパクトを与えた。
目だし帽を被ったマスクマンの正体は謎とされたが、
登場前から
【新日本プロレスにキン肉マン登場!】
と雑誌でネタバレされていた事や
誰がキン肉マンになるかも予測されていた。
タイガーマスク=佐山サトル【イギリス遠征中】
ザ・コブラ=ジョージ高野【カルガリー遠征中】
二代目タイガーマスク=三沢光晴【メキシコ遠征中】
であれば、
海外遠征中の新日本プロレス選手👉
キン肉マンになる選手=イメージから①平田淳二、
又は②ヒロ斉藤?又は③高野俊二?
という風になるが、
お決まりからして外人がなるのは考えにくい。
ネタバレされていた選手が、当時カナダ遠征中のサニーツーリバースこと平田淳二だ。
平田淳二のカナダ遠征中サニーツーリバース貴重映像👇👇YouTubeから👇👇
新日本プロレス大量離脱危機の為、当時社長の坂口征二から平田淳二へ緊急帰国が命令された。
タイガーマスクやコブラ、次なるカッコいいマスクマンでの凱旋を想像していた平田だが、何故、何故?
【キン肉マン】。。泣。。
日本に帰国、キン肉マン変身を命令された平田は試合前日の新日本プロレス道場で船木選手達にこんな感じで泣く泣く本音を吐いて男泣きしたそうだ。
平田【俺はキン肉マンになる為に日本に帰ってきたんじゃねえ!!キン肉マンなんてやりたくねぇーよ!!泣 泣 泣。号泣。】
「スーパーストロングマシンと平田淳嗣」〜1984-2018 キン肉マンになり損ねた男👇👇
【幻の新日本プロレス キン肉マン登場】
当時アニメで『キン肉マン』が放送され大人気を呼んでいた。
新日本はタイガーマスクの二番煎じだったザ・コブラが思うように人気が出ず、また全日本も2代目タイガーマスクを誕生させたことで、新日本も対抗するためにテレビ朝日側のアイデアで『キン肉マン』を誕生させてリングデビューさせようとしていたのだ。
日本への帰国も『キン肉マン』への変身も平田の本意ではなかったが、会社命令には逆らえない。
平田は周囲の説得もあって渋々『キン肉マン』への変身を決意。
ところが『キン肉マン』はテレビ朝日ではなく、全日本プロレスを中継していた日本テレビで放送されていたこともあって、許可を取り付けるのに難航してしまい、
8・24後楽園当日になってもまだ交渉していたため、
新日本は苦肉の策として『キン肉マン』のマスクに目出し帽を被らせて登場させたのだ。
『キン肉マン』は許可が下りずボツとなり、新日本はマスクを取って素顔の平田として猪木と対戦させようとした。
この頃の新日本は新日本プロレス興行の大塚社長が「新日本からの選手の引き抜き」を公言したことでまた揺れ始め、長州力率いる維新軍団の離脱が噂されていたこともあって、長州の二番煎じになることを嫌った平田はマスクマンで通すことを決意。
もう一つの素顔で猪木へ挑戦出来ない理由として当時、平田はモヒカンヘアの為、まだ全体に髪が生え揃ってない事もありマスクマン変身を平田は選んだ。
【マスクマン決意の平田淳二】
乱入2日目には権利上ボツになったキン肉マンマスクではなく、
ザ・コブラのプライベートマスクを目出し帽の下に被った。
このマスクが気に入り平田は
新日本プロレスでは沢山のマスクを制作してきたマスク制作オジサン企画の職人に直接オーダーしてもらった。
何種類も見た中で平田は梅図かずおの笑い仮面風のマスクを選択した。
平田【このマスクがいいですねぇー!俺はこれでいきます!とても気に入りました!】
平田本人はマスクを被るたびに人格が変わるマスクマンの魅力に取り憑かれるようになっていったという。
【ストロング・マシンのネーミング】
8月31日南足柄のテレビマッチにて目出し帽の男と若松が再び現れ、目出し帽の男の名前はストロング・マシンと公表されたが、ネーミングは若松が考えたものだった。
9月7日の福岡でアントニオ猪木とのシングルマッチで再デビューとなったが、今度は若松が新たな怪覆面も従えて登場するサプライズを起こす。
試合も平田自身も新日本への反発心もあって猪木相手に気後れもなく好きなようにやれた。
いや、猪木が平田の良さを引き出していたのかもしれない。
試合は若松の乱入もあって猪木の反則勝ちとなったが、ストロング・マシンは同じ覆面をした2号も出現したことで大きなインパクトを与える。
そしてシリーズが終わると長州率いる維新軍団が新日本プロレス興行に引き抜かれる形で離脱するが、マシン軍団は3号や4号も誕生して増殖。
ヒロ斎藤も加わったことで一大勢力となり、ワールドプロレスリングも全盛期とは比べ若干視聴率は落ちていたものの
15%以上とキープ、、
観客動員も満員が続いたこともあって、維新軍団の穴埋めに大きく貢献したが、新日本は単なる穴埋め要員としか見ていなかった。
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