〇自分の願望を実現させるために、神や宇宙に向かってお願いをするのは、お門違いである。願望の実現とは、あなたの心と神聖なる知恵が互いに協力しあって成し遂げるものだ。神聖なる知恵は、あなたをも含むすべての物の中に宿っている。
 つまり、あなたは自分の力を信じ、この知恵によって願いが叶うのを、ただ忍耐強く待っていればよいのである。そして、運命を切り開く法則「不安を感じることなく結果を待つ」のである。
 あなたの望むものはあなたの中にあり、あなたはこの世の唯一つのパワーとつながっている。神に向かって「ほしいものをいつ、このような形で出現させてほしい」と自分の都合でお願いするのは、神が自分とは別のどこかに存在しているという、間違った考えを強く持っているからである。人はすべてに注がれる万有のエネルギーとつながっていることに関心が持てると、辛抱強くなれる。だから、願望の実現に関しても時間制限をつけずに、忍耐強く普段の生活を続けられるようになるのだ。
 つまり辛抱強くなる秘訣は、「結果に関心を持つ」ことにある。その関心が、自分への信頼と今までの実績によって確固たるものとなれば、不安を感じることなく結果を待てるようになる。
まずあなたは、「ほしいものはもうすでにここにある」と考えなければならない。そして、欲しいものがすでに手に入っているのだという喜びに、気持ちを集中させるのだ。そうすれば、欲しいものをすぐに手に入れたいという気持ちはなくなるだろう。このような宇宙の至福は、無限の忍耐力によってもたらされる。
 辛抱できない人は、セルフイメージが低く、神とのつながりを信頼していない。焦りとは、宇宙の法則を信用していない証拠なのだ。結果に自信があり「いつ、どのように」それが現実化するのか気にならなくなれば、無限の忍耐力が身についたということである。

 

〇成功をうらやまず失敗を憐れむな。魂の決算の時が来たら、何が成功で何が失敗になるかわからない。

〇何をするにしても、レッテルをはったり決めつれたりするのは避けなさい。それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから。

〇こんな目に合うのは、何かあるいは誰かのせいだと考えている限り、どうすることもできない。「私の責任だ」といったときはじめてそれを変えられる。自分がしていることを変える方が、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。

〇悪だと感じたいなら悪と感じなさい。だが、一方的に決めつれたり、非難したりしない方がいい。なぜ起こるか何のために起こるか、あなた方には理解できないのだから。それに非難したらその相手に非難されるし、一方的に決めつけたらいつかは自分が決めつけられる側になる。

〇不安にもどついて出来ている宗教で言われるような「死後の世界」はない。だが、不幸で不完全で欠点が多く神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。あなた方の魂にとってそれは地獄だろう。だが、神あなた方をそこに送るのではないし、そうした体験をさせるのでもない。

 

〇「私は無条件の愛を実行しています」と言うのはたやすいが、実際にはこの世のほとんどの人は、それが出来ていない。その最大の理由は、無条件の愛を単なる愛情や感傷と勘違いしているからだ。ここでいう無条件の愛とは、他人への親切だとか、恋愛感情だとか、みんなに親愛の情を浴びせるとか、包容することなことを言っているのではない。「生命の調和」を体験することである。
 それは、普段私たちが意識しないで行うには、あまりにも深遠で崇高な愛なのである。今までの受け身の人生を改め、無条件の愛によって万物のエネルギーとつながり、人生を切り開いていきたいのならば、このことをしっかり頭に入れておく必要がある。
 とりあえず数日、いや一週間くらいを意識的に無条件の愛を実践することに費やしてみてほしい。しかも、人知れずにやってみること。自分の中で無条件の愛のことだけを考え、それを外へも放出させるようにするのである。その期間中は、絶体に無条件の愛の実行だけに専念することを固く誓うのだ。
 この期間中は、批判的な考えは慎まねばならない。なにもすることがないときは、幸せと愛のことだけを考え、あなたと関係あるすべての者に愛情をもって接する。それどころか、いつでも、どこでも、何にでも、だれにでも愛情を注ぐのだ。とにかくこの期間中は、無条件の愛を与える人間になりきるのである。
 愛情をもって周りの人に接し、考え方や言動に優しさを込めるようにすると、彼らの態度も変わっていくことだろう。無条件の愛の「無」の部分を強調することが大切である。あなたは離れたところに立ち、すべての物にに愛を送るのである。悪行を愛せ、と言っているのではない。その恐ろしく、醜い中にある隠された魂を愛するのだ。
 まず、批判、怒り、価値観の押し付け、説教、憎しみ、怨恨や、エゴの材料となるものを一切ぬぐい捨てなければ、神とつながることはできない。
 無条件の愛を、完全に数日間実践することによって、どういうことが起こりえるだろうか。あなたの瞑想がすべての愛に捧げられ、どんな些細な場合にも愛を放ち、出会った人すべてに愛を注ぎ、さらには世界中に、そして果てしない宇宙にまで愛を送り込めたらどうなるのだろうか。
 まず自分が以前とは全く別の人間になりつつあるのに気づくはずだ。夜も熟睡出来るようになるだろうし、どんな時でも平穏な平穏な気持ちでいられるだろう。人間関係も、もっと精神的に意味のあるものになるだろう。そして最も重要なことは、いわゆる「偶然の一致」が、実はかなり規則正しく身の回りで起こることに気付き始めることだろう。夢は鮮明になり、目指す目的がより明確になっていくはずだ。
 見返りなどを期待せず、より多くの無条件の愛を発揮することで、あなたの感じている限界は取り除くことが出来るのだ。嘘だと思わずに試していただきたい。

 

 


 

〇思いのままの成功で有頂天になっているとき「これで今までの苦労が報われた」という感慨も沸くでしょう。時には、「今まで自分を見下してきた人間を見返してやりたい」ような衝動に駆られることもあるかもしれません。他人との比較の中で感ずる喜びなら、その喜びの頂点にいるときすでに、奪われる予感におびえ始めるでしょう。

〇生かされ支えられている自分の姿に目覚めるならば、たとえ言葉でわからなくとも魂の透明な働きによって、行くべきところに赴き、避けるべきものを拒むように必ず導きが与えられるはずです。

〇神はあなたの人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。

〇あなたが守護天使を心から愛し、どんな些細なことに対しても感謝を示すと、守護天使の存在は確固たるものとなり、それによって彼らはますます大きな支援の手をあなたに差し伸べるようになるだろう。守護天使が独立して存在するのか、それともあなたの想念によって作り上げられたのかは、大した問題ではなくなってくる。

〇守護天使は何からあなたを守りどこへ導くべきかをよく知っている。なぜなら、守護天使から見るとあなたは無文別な子猫のようなものだからだ。守護天使を非難してはならない。守護天使が一体どのような災難からあなたを守ろうとするのかについて、あなたは全然知らないからだ。

 

〇罪悪感に縛られない。これは言ってみれば「過去の行いに罪悪感を抱いて、現在の貴重な時間を無駄にしない」ということである。そのためには「過去から何かを学ぶために反省すること」と「罪悪感にとらわれて自分を責め続けること」との違いを知る必要がある。
 失敗から教訓を引き出すのは、心理学的にみても好ましいことである。しかし、失敗の原因を分析することと、気に病んでんで落ち込み、罪悪感にとらわれることとは、本質的に違うのである。
 罪の意識があるとあなたのエネルギーは自分を非難する気持ちや苦悩とともに押し流されてしまう。気持ちが落ち込んでいるために、自分には宇宙の恵みや関係を受ける資格がないように思えてしまうのだ。良心の呵責を感じせて落ち込めば落ち込むほど、願望を引き寄せられなくなる。
 自分を責めて悩むだけでは何も解決しない。悩んでいる間、あなたはおどおどした気持ちで何をする気持ちも沸いてこないだろう。それでは何も問題は解決しないのである。問題を解決する方法は、自分を愛することだ。自分自身を愛して、自分の「欠点」は新たなレベルに至るための試練だと考えるのである。
 罪を感じることが良いことだとか、間違ったことをしたら罪悪感を覚えるべきだとか、自分を責める事で罪をあがなえるといった固定観念を頭から追い出すこと。そうすれば、あなたは、自分にもあらゆる良いこと、豊かさを享受する資格があると自信が持てるだろう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇いつも相手と自分を比較し、自分の方が上であることを確認することによって、自分の心を安定させるという業の流れが人間の中にあります。誰でも立場を持たない弱い人たちや逆境にある人に出会えば、同情することができます。だから人の不幸を慰め、一緒に悲しむことには心を傾けやすい。むしろ難しいのは、他人の幸福を一緒になって心から喜ぶことです。他人の幸福によってよく生きることができる、人間はそうつくられているのです。

〇劣等感があるのは優越感があるからです、劣等感だけを持つことはできません。いつも自分よりも優れていると思うものを見上げて「どうせ自分はダメだ」とひがむのです。でも同時に自分より劣っていると思うものを気付かずに見下げているのではないでしょか。劣等感のもとになっているのは比較する心、他人と比較することによってしか自分を確認できない心。

 


 

〇「人生の責任はすべて自分で引き受ける」このような気持ちが持てるようになるには、身の不遇を他人のせいにしたがる我欲の根強い衝動を断ち切る必要がある。自分の人生のすべてに責任を持つことは、自分の内面に宿る力を再認識することにつながる。
 「今自分がこうなっているのは、彼らのせいだ」と人を非難するのではなく、「自分が消極的で、人に対して引っ込み思案だったからこうなったのだ」と発想を切り替えるのだ。自分の性格や境遇のあらゆる面について、こうした考え方をしていこう。 
 自分の術に対して責任を持てるようになって初めて、あなたは自分が求めているものを引き寄せられるようになる。他人に責任を転嫁しているうちは、より高い意識レベルに至ることは難しい。
 どんな些細なことでも、最終的にそれを判断してきたのは自分自身であり、自分に責任がある。ここを自覚すれば、あなたには求めるものを引き寄せる道が開ける。逆に、現在の境遇に至った原因を自分以外に求めていると、力は責任を転嫁している相手に向けられてしまうのである。
 人生に起こることに偶然はなく、すべては自分自身が招いたことで、それは自分にとって意味のあることだと考えるのである。
 はた目には馬鹿バカしく、無意味に見えるかもしれないが、「今これが起こったのは、自分でそれを創り出したからだ。なぜ自分はこれを創り出したのか」と自問するのである。これは宇宙に広がる神のエネルギーの流れに身を任せることに他ならない。こうすることで、身の回りの世界と敵対することなく、逆に調和した生き方が出来るようになるのだ。
 何かに不満を抱くことは、それに対して身構え、敵意を抱くことにつながっていき、それだけあなたのエネルギーは消耗していく。それとは反対に、あなたが何かとうまく付き合っていこうと思うと、それはエネルギーを高めてくれるのである。
 何よりも自分とうまく付き合うことである。自分の人生に責任を持つようにすると、天が自分に対して驚くほど協力的だということがわかってくるはずだ。逆に言うと、天の協力を得るためには、愚痴をこぼすのをやめて、自分のすべてに責任を持つ必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇信念のシステムは人間の心が身体の働きに影響を及ぼすことを可能にする人間独特の能力の現れなのだ。人が問題に対して知的・感情的・精神的にどのように対処するかで、人体の機能には大きな影響が出る。重病から回復するという見通しに自信を持つかどうかが、身体の化学的性質に影響を与えるのだ。病気という力と力の抗争において、信念のシステムは希望と確固たる期待、生きる意志をプラスの要素に変えてくれるのである。

〇現在の人生において何らかの身体的な障害を持っている人たちはたとえそれが前世のカルマによるものであってもそれを背負うことを神に許されるほど精神性と聖性が高まった進化した魂である。同じことがハンディキャップを負う子供を引き受ける両親に対しても言える。

 

〇自分に引き寄せたいと思っているものが、すでに手に入っているつもりになって行動しよう。もし、あなたがエネルギッシュな人間になりたいと思うなら、疲れた振る舞いは絶対にしてはならない。自分の理想像を壊すだけだからだ。鏡に疲れた顔が写っていても、元気いっぱいに行動すること。
 どんなときにも「疲れた人間」を自分の中に入り込ませてはならない。自分が心に描いたエネルギッシュな理想の人間は今ここにいる、と肯定するのだ。そして、それに見合う行動をとる練習をしよう。
 たとえ自己欺瞞でスタートしても、あなたがそのようにふるまった瞬間、奇跡はその場で起こる。理想のあなたは、もはや遠い希望ではなくなるのである。同じことは、ほかの人々に対する態度についても言える。相手をその人なりの夢を実現した人として接するのだ。例えば、子供が「僕には無理かもしれない」といった自己不振を現した場合だ。子供の気持ちはわかっても、その子が何でもできる能力がある子として接し、行動するのだ。
 病気の愚痴をこぼす老齢の親に対しても同じこと。「病気のことばかり考えるには元気すぎるよ。もう治りかけているよ」というように接するのだ。
 自分の健康についても同様だ。自分を元気な人間として扱うこと。病気になりやすいとか、私にはできないことだと、自らマイナス要素を呼び込むような姿勢をとってはいけない。そう思う心が肉体を妨害するようになるからだ。足を骨折したとしても、「なんて不運なんだ」と嘆くのではなく「動けなくなったわけじゃない」といつものように物事を行えば、それが現実になっていくのだ。
 この法則は言い換えれば自然界の万物には力と知性が宿っていて、それらは無限の想像力を持ち、私たちの心に反応するということである。万物に宿る知性は、私たちの呼びかけに応じる能力を持っているのだ。このことを心から信じて、その信念に基づいて生活を続けていけは、やがて心に思い描いたイメージが現実の世界に現れるようになる。

 

 

 

 

 

 

〇過去生において「沈黙の行」を行ったために今生で口が使えないというカルマが生じる。

〇人の欠点や弱点を暴き立てることはそのまま自分の欠点や弱点となる。

〇食を慎むかどうかが運勢の吉凶を左右する。

〇魂は人間関係をさらにこじらせようとか、さらに憎しみや怒りを増大させようとか、そのような厳しい環境を選択することはない。