〇運命を自分の手にしようと修練するとき、あなたは価値判断をしてはいけない。宇宙の法則は二元性を持たないから、この地球上での二元性も通用しない。つまり善悪や真意といった基準で物事を差別したり判断を下したりしないのである。
 エネルギーはたった一つしかない。すべてとつながっているのは、このたった一つしかないエネルギーである。だから、宇宙の法則には秩序が保たれており、すべての物はこの聖なる宇宙の源から命のエネルギーを受け取っているのである。このことをしっかりと嚙み締めてほしい。あなたが願うものが何であれ、この宇宙のエネルギーと均衡を保つものでなければならないのだ。
 あなたは自分の前に現れるものに対し、正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとか、格好いいとか悪いとか、判断を下したい気持ちを抑えなければならない。人間が何を基準に判断を下しているかと言えば、世間一般の常識や価値観、つまり集団の潜在意識である。そして、あなたが自分の願望を実現できるかどうかは、この世間一般的な価値判断をどれだけ葬り去れるかで決まってくる。あなたは、この世にはびこる数えきれない常識に縛ら付けられており、それが願望の実現を妨げているのである。そして、これらの常識から抜け出すのは容易なことではない。
 世間一般の常識による支配から一歩を踏み出す時、おそらく孤独感や喪失感を味わうだろう。しかし、それによってあなたの視野はグンと広がってくるし、他人の物の見方に対しても寛容になるだろう。
 この新しい世界での真実は、あなたがこれまで学んだ事実と食い違うときがある。しかし、あなたは今や物理的世界のすべての物を創造した万物の知恵という、限界のない世界の住人である。すべての価値判断を捨て、何でも受け入れる包容力を持ち、限りないエネルギーの源泉であるこの世界に飛び込みさない。
 今あなたは、欲しいものがすでにすべて手に入っていると思っているはずだ。そして頭がなんと反対意見を述べようと、価値判断を下すことはぐっとこらえなければならない。
 例えば「私は豊かで幸せです」と自分につぶやいたのに、あなたの頭は「それは嘘だ」と反発したとしよう。すると「あなたの願望」と、価値判断を下す「あなたの頭」が衝突を起こす。この衝突は危険信号である。願望を実現し、人生を自分の手で切り開くためには、集団意識によって植え付けられたマイナス思考をあなたの中から完璧に取り払わねばならない。
 内なる世界では、想像しえるすべての者が、あなたの一部としてすでに存在している。この世界では、あなたが「豊かで幸せである」と宣言したら、その言葉が実際あなたを豊かで幸せな気持ちに導いてくれるのである。これにより、あなたの振る舞い方も変わり、出会うすべての人に対してポジティブな態度で接することができる。その結果、あなたは豊かで幸せなゆるぎない現実を、自分の中に築きあるげるのである。価値判断を下さず、欲しいものはすでにここにあるという気持ちだけで充分なのだから。

 

〇人生とは人喜ばせ合戦。成功者は人喜ばせ合戦の勝者。

〇魂は計画通りの経験ができるようにと正しい完璧な機会にあなたを導く。実際に何を経験するかはあなた次第だ。あなたは計画したことを経験するかもしれないし、別のことを経験するかもしれない。それにはあなたが何を選んだかによる。

〇人生の皮肉は世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんに、それがふんだんに流れ込んでくる道が開けるということだ。

〇心配、憎悪、不安さらにそれらから生まれる気がかり、苦々しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難などもすべて、細胞レベルで身体を攻撃する。そうなったら健康を保つことは不可能だ。同じく、うぬぼれ、わがまま、欲張りも肉体的な病気につながる。あるいは快適さを損なう。

 

〇あなたの願いを実現させる力は、神の特別なひいきではない。私たちが神と呼ぶ宇宙の知恵は、個性や人格を持ち合わせていないので。「こいつより、あいつの方がより豊かになるべきだ」といった価値判断を持たない。あなたや特定の誰かだけを特別に可愛がることはあり得ない。
 願望の実現を神のひいきだと考えることは「自分は他人とは違う、特別な存在なのだ」と思い込んである証拠である。だが、この聖なるエネルギーは、あらゆる人の中に存在するし、万物の中に存在する。
 エゴは、あなたを「他人とは違う特別な存在」に仕立てあるげることに、格段の喜びを感じる。また、より多くの要求をするのは当然のことだと思っている。エゴはあなたの前に現れた数々の成果について、それを特別中身のひいきによるものだと考えるように望んであるのである。なぜなら、そうすることで「あなた」と「万物のエネルギーの源」との断絶が一層深まるからである。
 しかし、あなたの願いが叶ったのは、あなたが特別に選ばれたものだからではない。

 


〇すべての困難は試練なのだと考え、失敗のしるしであると考えてはならない。あなたは忍耐と結果を苦にしない辛抱強さを養っているのである。だから、困難な壁にぶち当たったとき、それを理由にあなたの本質である宇宙エネルギーの存在を否定してはいけない。
 若いときには、切羽詰まった状況に置かれると、絶体絶命のピンチのように感じられる。けれども、後になって振り返れば、それは成長過程の一つにしか過ぎなかったことがわかる。例えば、アルコール中毒は人生を荒廃させるが、逆にそれた大変貴重な経験だと考えることもできる。つまり、酒におぼれて大切なものを不意にしたように見えるが、自分の中に、どれほどの強さが秘めれているかを学べるからである。
 破産をきっかけに、もっと素晴らしい人生を生きようと決心する人も多いようだ。重い病気は、自分にとって何が一番大切かを教えてくれることが多い。振り返って考えてみると、若いころ経験したことには、あらゆるチャンスの芽があったとあらためて気づくのである。
 あなたの人生で起こることは、すべて起こるべくして起きている。これは悪いことも含めてのことである。それらの出来事は、あなたをより高い境地へと導くためのエネルギーを与えてくれるのだ。
 人生を自分の手で切り開くということは、気に入らない環境、気まぐれな上司や上役たちに取り仕切られた職場といったレベルを超越した。高い悟りの境地である。それぞれの試練がいかに困難であろうとも、それはあなたの良心の強さ「内なる悟り」をいかに保てるかを試すためのテストに過ぎないのである。

 

〇一貫してあなたが真実だと感ずるように生きなさい。経験によって新たなことが分かったなら、素直に素早く変更しなさい。

〇神にも人にも恥じることがなく言えるようにしたいからって、人間としての尊厳を冒されたり、誇りを傷つけられたり、心を傷つけられたいするのを我慢する必要はない。

〇「自分は将来人から親切にされたいから今のうちに親切にしておこう」という態度でいいのです、「ここで不寛容な態度をとると将来自分が不寛容の犠牲になる」という戒めでいいのです。

〇社会的地位のある人が、自分の地位を利用して社会的弱者を搾取すれば、それによって生ずるカルマは甚大です。

 

〇たいていの人は、何かを始める場合、これは自分にはとてもできないのではないかと思う。そして、半信半疑で始めたことを、「やっぱりできなかった」というのだ。文明の中では、様々なことが疑いや恐れへと成長する。私たちもそのような考え方を教えられてきた。しかし、疑いをもって何かを学んでみても、否定的な結果だけが残るのだ。
 「願望の実現」への疑いをなくせば、結果や細かいことは気にならなくなる。必要なのは自分自身を信頼し、また宇宙のエネルギーを信じることだけである。

 


〇あなたの願望が実現しつつある気配を敏感に察知すること。ただしそれは、必ずしも理性的な左脳が望んだような姿であなたの前に現れるとは限らない。今後、あなたの身の回りでは、今までの人生で存在しなかったものが突然現れ。あんたを驚かすといったことが頻繁に起こるようになるだろう。
 また、あなたはシンクロニシティが以前より頻繁に起こることに気付くだろう。そして、以前は単なる偶然の出来事で片づけてしまっていた事柄が「起こるべくして起こった」と思えてくるのである。
 誰かに助けてほしいと思えば、あなたの前に助けの手を差し伸べてくれる人々が現れるだろう。また、欲しいと思っていたものが、すぐ目の前に出現するといった出来事が、ますます頻繁に起こるようになるのだ。
 こうした、「宇宙の神秘」が現れている兆候を敏感に感じ取ると、これらの小さな合図のような出来事は、全く予期できない素晴らしい方法で、次々と起こり始めるのである。
 「偶然の一致」による出来事のすべては、あなた方が神の境地に足を踏み入れた結果として起きているのだ。あなたの中にある宇宙の生命エネルギーは、以前は意識できない潜在的なレベルにあったが、今は意識レベルにまで表面化し始めている。それを感じさせる合図を敏感に察知し、宇宙の生命エネルギーが出現し始めていることに対して心の中で感謝をするのである。


 

〇あなたは現在失業している、自分は失業という状況の犠牲者だと考えている。だが、本当はもうあなたはその仕事を選択していないのだ。あなたは朝、期待に満ちて目を覚ますのではなく、いやいやながら起きるようになった。仕事が楽しくなくなり、愚痴っぽい気分になりはじめていた。それどころか何か他にしたいと夢を見始めていた。そうしたことが何の意味も持たないと思うのか?

〇あなた方の宗教は「神は神は罰する」という考えを正当化するために、怒りの対象を作り上げた。そのせいで模範的な人生を送っている者まで救わなければならないことになった。救われなければならないような悪いことはしていなくても、もって生まれた不完全さから救われなければならないというわけだ。

〇「あなたを失望させたくない」ばかりに相手は本当の自分らしくない努力をし、自分らしくない行動をしようとして、やがてはそれに耐えられなくなる。相手は、あなたの期待を満たせなくなる。割り当てられた役割を演じられなくなる。そこで、恨みが生じる、怒りが沸き起こる。相手はやがて自分自身を救うために、真の自分を取り戻そうとし、本当の自分らしく振舞うようになる。そうなると、あなたは相手が「すっかり変わってしまった」という。

〇時には、真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として戦争へ行かなければならない。同じことは、私的な関係についてもいえる。人生には本当の自分でない面を示すことで、本当の自分を証明することを要求されることが何度かある。

 

〇本当に欲しいものは必ずしも「もの」であるとは限らない。例えば、もしあなたがお金を欲しがっているとしたら、それは本当にお金が欲しいのか、それともお金によって得られる安心感が欲しいのか、本当のところをよく考えてみること。
 それによってもたらされる、あなたの喜びの気持ちに心を向ける。この喜びの気持ちこそが、あなたの欲しいものの本質なのだ。この本質は、あなたの心の中にいつも存在している。内なる声に耳を傾けることにより、外的存在によって充足感を得るのではなく、自分自身の心によって満足感が得られるようになる。
 あなたの真の欲求は何なのか。満足感を味わいたい、喜びを感じたい、神とのつながりを感じたいということではないだろうか。自分自身の心によって満足感が得られるようになれば、あなたは自分の歩むべき道、本当に必要なものがわかる。
 例えばあなたは、「心の底から給料の値上げと昇進を望む」と思っているかもしれない。しかしこの願望の裏には、「もっと安心感と満足感を味わいたい」という隠された心の声がある。
 だから、昇進や給料の値上げに照準を合わせるのではなく、安心感を感じ、ストレスを無くしたいという「願望の本質」に向かってエネルギーを送る。そうすれば、あなたの不安を取り除くための何かが目の前に現れることだろう。

 

〇魂の使命は私たちに偉大さを選ばせること、選ばなかった部分を非難せず最善の自分を選ぶようにさせることだ。こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。

〇あなた方はすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。自分が賛成できない人間や場所や物事があれば攻撃する。それでは宇宙の半分しか創造できない、そして残る半分を拒否していたら自分の側の半分さえ理解できない。

〇あなたが何を考え何を語るにしても「これが私である」という言葉をきっかけに物事が動き体験できるようになる。

〇人生に恐ろしいことは何もない、あなたが執着しなければ。

 

〇忍耐力を養うには、神が今まであなたに対していかに辛抱強かったかを思い起こしてみること。あなたが現実逃避しても、自虐行為を犯しても、自己陶酔に陥ってしまっても、憎悪に燃え滾っていても、神は限りない忍耐力を持って見守ってくれていたはずだ。
 あなたがたとえ神の道から外れてしまっても神は叱責しないし、制裁を加えない。あなたを見捨てもしない。あなたもこれと同じ忍耐力を養わなければならない。
 自分を憐れんだり、何かを恐れたり、時間的に焦ったりするのは、すべて不安から生まれてくる。恐怖に駆られて焦ってしまうと、あなたの中にある無限の可能性は消え失せてしまい、エゴに隙を狙われる。エゴは「無限」というものに耐えられないのである。
 エゴは、欲しいものを「すぐにその場で」手に入れないと気がすまない。もしそれが気に入らなかったら、「ここはなんてつまらないところなんだ、ここにあるのは全部クズだ」と考え、自分がさも特別な人間であるかのような気にさせる。しかし、この間、あなたは欲しい者が手に入らないし、何かが欠けている欠乏間に絶えず見舞われているのにお気づきだろうか。そして、たとえ欲しいものが手に入り、エゴを満足させたとしても、翌日には、また新しい欲求がずらっと並んでいるのである。しかも、これらの欲求を満たしていくにつれ、不安感か募る一方何である。これを止めるには、エゴがあなたをコントロールしようとするのを阻止するほかにない。
 あなたが「無限の可能性を持つ自分」と「神の力」との結びつきを理解した時、神がいかに辛抱強く待っていてくれたかに気付くだろう。神は、あなたが何かを実行するのにどんなに長い時間がかかっても、どんなに遠くをさすらっていても、どんなに忠告を無視しようとも、ずっと辛抱強く待っていてくれたのである。
 無限の忍耐力を身に着けることにより、あなたの身の回りには直ちに変化が起きる。「今すぐに手に入れたい」と思う代わりに、「もうすでに手に入っているのだ、今はまだ目に見えていないけど」と考えると、とても気が楽になる。
 無限の忍耐力を持つ人は、行きたい場所にすでに到達しているし、偶然はすべて「必然」であることも知っている。欠けていると思われる事柄は、エゴによる妄想だと考えるのである。
 無限の忍耐力に目覚めると、苛立ちや焦燥感とは無縁になる。そして「自分は一人ではない」という安心感に包まれ、日常の催事に集中できるのだ。そして、人生で起こった出来事すべてに対して、静かな感謝の念が湧いてくるのである。
 しかし我々は、目標達成や成功の証や勲章の数などが社会的に重大な価値を持ち、人生において何よりも大切だと教えられて育ってきたので、結果を気にしないで生きていくのはとても難しいのである。欲しいものを招き寄せ、自分のものにする。でも、それがいつどのような形で表れるのかは気にしないことである。

 

〇神が与えた選択肢のどれかを選んだからと言って、あなた方を罰したりするはずがない。あなだ方に第二の選択をさせたくなかったら、どうしてそのような選択肢を与えるだろう。

〇感情には物事を引き寄せる力がある。あなた方は自分が最も不安に思うことを体験することになる。

〇あなた方が劣った生命体だと考えている動物は、あなた方が怖がっているとすぐに感づく。あなた方がさらに劣った生命体だと考えている植物は、どうでもいいと思っている人間よりも、可愛がってくれる人間にずっとよく応える。

〇同じ精神を持った人々が力を合わせれば好ましい現実を創り出せるということをあなた方はそろそろ理解すべきだ。

〇社会全体がある考えを持つようになれば、しばしば驚くべきことが起こる。必ずしも社会を構成する全員でなくてもいい。例えば不安と恐れの中で暮らしている社会には最も恐れられる形の恐怖が生まれる。