〇神意識は宇宙万物本質的要素としての地位にあるがゆえに、超越的である。その意識は宇宙万物のもっとも微細なものよりもさらに微細である。その性質からして五感にはとらえならないものである。五感はもともと生命の表層に具象化された現実だけを体験するように創られているからである。その意識は、また、心によってハッキリと知覚されることもない。なぜなら、心はその大部分が五感と結びついているからである。
 心の構造がそのようにできているので、どんな体験をする場合でも、心はまず五感とつながり、それから形態や現象からなる外部世界に接触しなくてはならない。体験からわかることであるが神意識は心の根底にある本質である。しかし、たいていの場合心は五感と同調しており、宇宙万物の表面に現れた領域の方に向いている。そのためちょうど目が目自体を見ることができないように、心もそれ自体の本質を認識することができないのである。
 目そのもの以外ならどんなものでも目を通しして見ることできる。同様にあらゆるものは心の本質、すなわち偏在する神意識をその基板としているのであるが、外側に投影された多様な現象界にここがかかわっている間は神意識は心の基盤であり、本質的要素でいるにもかかわらず、心によって認識されることがないのである。神意識はあらゆるものの根底にあるが、自らの姿を現すことなく、あたかも背後から生命と非造界の実在を支えているかのようである。
 偉大な威厳と光輝を備えた神意識の純真無垢で全能・遍在の本質は、人間の中に自我・理知・心・五感・肉体・環境の基盤として存在している。神意識は実際の仕事の場所にはめったに姿を現さない強力な実業家のようである。姿を現さないが背後で事業のすべてを効率的に動かしている。この事業化に会おうと思ったらビジネスの裏舞台から遠く離れた彼の静かな屋敷に訪ねていかねばならない。同様に宇宙の支配者も万物に影響を与え、宇宙の活動の中に住んでいるのである。
 神意識の本質が実社会から遠く離れた静かな住処に隠れているのは宇宙意識の遍在性によるのである。宇宙意識を舞台裏に隠し、宇宙万物の主催者は親切にも一人一人の心の中に住んでおり、だれも苦しむことのないように見守っている。
 無限の流れと、各人の幸福と進化を維持するために遍在する宇宙の主催者は親切にも、万物の中にその本質として内在しているのである。だれにも自分を他から引き離すことはできない、宇宙意識の遍在性こそが永遠の生命の本質である。

 


 

〇知識はパワーであり、あなたは自分のあらゆるレベルの知識に関して、それらをどうやって扱うかの責任を負わされている。たとえばあたがどんな知識を身に着けたとしても、ほかの人たちの利益となるように使い、利用することをしなかったとしたら、それによる深刻な悪影響が、あなたに及ぶことになる。

〇知識の意図的な悪用によってつくられるカルマ的負債は、無知によってつくられるカルマよりもはるかに大きい。例えば、もしあなたが、あることを行えば他人に何らかの危害が及ぶということを知っていないがら、それを行ってしまったとしたら、創造するカルマ的負債は、知らずに同じことを行ってしまった時に創られるカルマよりも、ずっと大きいのである。

〇直観は、複数の利用者を持つある種の通信網のようなものである。利用者の一人は魂である。直観は、あなたと魂が交信するための携帯電話のようなものでもある。その交信は、高次の自己、すなわちハイアーセルフを経由して行われる。ハイアーセルフは、魂があなたに話しかけるときの結合リンクである。そして、あなたとソースとの間の架け橋である。

 

〇 あなたと魂との間のコミュニケーションは、ハイアーセルフの体験である。しかし、その際にあなたが交信するのは、魂の総体ではない。あなたのハイアーセルフは、あなたの魂の一部分であって、あなたの魂の総体ではない。それはいわば、小さな魂である。ハイアーセルフは魂を意味するもう一つの言葉ではあるが、魂はハイアーセルフ以上のものである。

 一つのカップと、一リットルの水と、大きな水槽を思い浮かべてみよう。水槽が魂である。魂の一部が一リットルの水になる。その一リットルはなおも魂ではあるが、魂の総体ではない。いわゆる任務に赴いているのは、魂の一部分である。あなたはカップである。カップは一リットルの水、すなわちハイアーセルフとは接触しているが、水槽とは接触していない。

 


 

〇イメージすることは極めて人間的な自由の根拠であり、それが人類文明の進展の原動力なのであるが、それ故にというべきか、イメージすることの物質化への責任が生ずるのである。それを自覚するかしないかは別として、イメージしたことは空虚ではない。それは直ちに物質化するわけではないが、確実に物質化への志向性を刻印する。つまり、現実の現象世界に微妙に作用するのである。瞑想するものや修行するものは必ずそのことを実感するようになるだろうし、それに敏感になるだろう。それ故に、修行には指導者や戒律が必要になってくるのである。修行者が道を踏み外さないようにするためにである。
 仏教の根本戒律は五戒である。①不殺生戒②不偸盗戒③不邪婬戒④不妄語戒⑤不飲酒戒の五つである。肉体をもって実際に行うことだけが、「行為」ではない。イメージの「行為」というものがあり、それが肉体レベルとは異なるところで現実に影響を及ぼすのである。そのことに無自覚な修行者は必ず足元を救われるだろう。また修行を完成させることができないだろう。
 そしてそれは呪いや呪殺にも密接にかかわってくる。なぜなら、呪いは「呪う」という意念やイメージの操作によって現実に相手の肉体レベルにダメージを与える「行為」だからである。呪殺はその呪いによって相手を殺害にも導く呪術的「行為」である。このような呪殺はチベットでもアフリカでも、タイでも、インドネシアでも、中南米でも、現在もなお世界中のいたるところで行われている。
 「超能力開発法」の問題はそのような呪いや呪殺の問題とも「魔境」の問題とも切り離せない。

 


 

〇知識はパワーであり、あなたは自分のあらゆるレベルの知識に関して、それらをどうやって扱うかの責任を負わされている。たとえばあたがどんな知識を身に着けたとしても、ほかの人たちの利益となるように使い、利用することをしなかったとしたら、それによる深刻な悪影響が、あなたに及ぶことになる。

〇知識の意図的な悪用によってつくられるカルマ的負債は、無知によってつくられるカルマよりもはるかに大きい。例えば、もしあなたが、あることを行えば他人に何らかの危害が及ぶということを知っていないがら、それを行ってしまったとしたら、その時にあなたが創造するカルマ的負債は、知らずに同じことを行ってしまった時に創られるカルマよりも、ずっと大きいのである。

〇直観は、複数の利用者を持つある種の通信網のようなものである。利用者の一人は魂である。直観は、あなたと魂が交信するための携帯電話のようなものでもある。その交信は、高次の自己、すなわちハイアーセルフを経由して行われる。ハイアーセルフは、魂があなたに話しかけるときの結合リンクである。そして、あなたとソースとの間の架け橋である。

 あなたと魂との間のコミュニケーションは、ハイアーセルフの体験である。しかし、その際にあなたが交信するのは、魂の総体ではない。あなたのハイアーセルフは、あなたの魂の一部分であって、あなたの魂の総体ではない。それはいわば、小さな魂である。ハイアーセルフは魂を意味するもう一つの言葉ではあるが、魂はハイアーセルフ以上のものである。

 一つのカップと、一リットルの水と、大きな水槽を思い浮かべてみよう。水槽が魂である。魂の一部が一リットルの水になる。その一リットルはなおも魂ではあるが、魂の総体ではない。いわゆる任務に赴いているのは、魂の一部分である。あなたはカップである。カップは一リットルの水、すなわちハイアーセルフとは接触しているが、水槽とは接触していない。

 


 

〇何かの流れが身体を上がっていく感じをイメージしたり、それを感じるつもりになったりするとそれが実際の流れに気付く助けになることがある。
 「つもりになること」は、なじみのない経験をとらえる知覚を目覚めさせる役に立つ、「つもりになる」だけでいいのである。
 エネルギー収集エクササイズでエネルギーの絶え間ない流れを感じるには、足の裏と頭のてっぺんに同時に注意を集中させるとやりやすい。結果として生じた「掃除機のような感覚」では息を吸いながら頭のてっぺんに注意を集中させると、足の裏から何かが「吸い込まれている」ように感じられる。息を吐きながら足の裏に注意を集中させると、頭のてっぺんから何かが噴出しているような感じがする。この二つの感覚に同時に注意を集中すると体内でエネルギーの流れが確立され、エネルギーレベルにも上昇する。
 そうするとあなたは「うーん、エネルギー収集エクササイズをやって最初の何回かは、何かが流れる感覚が実際に感じられたのです、でも、今はそういう感じがしないので、もうエネルギーを収集できているとは思えません」となるかもしれない。これの説明として、引っ越しをした時のことを思い出してほしい。新居に移って最初の幾晩かは、ほんのちょっとした物音でも気になったはずだ。新居でしばらく過ごすうちに、そんなことはもう聞こえなくなる。そう言う物音がしなくなったのだろうか? 多分違うだろう。
 私たちの心の中にある何かが自動的に、そして慎重に周囲の環境にある新しいものを理解できたと満足すれば、そういうものをさらに経験してももはや無視するようになるのだ。そうした新居の物音が感じなくなっても間違いなく続いているのと同じように、エネルギー収集も「初体験」の時のような感じがしなくなっても、エクササイズ中に起こり続けているといえる。このエクササイズのどの段階でも、体の内側や外側のどこかに「何か」が流れたり、動いたりしている、というような感覚が少しでも感じられればあなたは「エネルギー収集」の感覚を経験できたのだ。
 これこそが今後のエクササイズで、エネルギーを素早く収集する方法を理解するための鍵となる。「エネルギー収集」というのは、ある意識状態だ。そして、その感覚を追体験できるくらいまで思い出せるなら、あなたの意識は自動的にその「エネルギー収集」の意識状態にシフトするということになる。練習を重ねればただ「エネルギー収集」のイメージを感覚を思い出すだけで「エネルギー収集」を理解したと満足すれば感覚を無視して、ただ自動操縦で、エネルギーを収集するようになれるだろう。あなたが「エネルギー収集」の練習を続けて行くと、体内を移動したり。体の外側で降り注いだりするエネルギーの流れに、パターンがあることに気付くかもしれない。流れの中に、またいくつかの流れがあるのである。

 


 

〇ある妻が夫に、「大事なミーティングがあって、一緒にいたいけれど今はできない」と言ったとする。もし、その夫が他人を信頼できない性格であるとしたら、その時彼は、妻のその発言を、彼女が自分を嫌っていること、あるいは、彼女にとっては仕事の方が自分よりも大事なのだ、ということの明らかなサインだと解釈するかもしれない。その誤解は、彼は妻の話を素直に受け入れられないために、つまり、彼女を信頼する能力を欠いているために発生するものである。

 そして、夫からの誤解した態度が繰り返されたとしたら、彼女の内側ではまず驚きが発生し、続いて悲しみが、さらにはフラストレーション、怒り、最終的には、夫が誤って知覚した時の嫌悪感まで発生することになる。そうやってこの夫は、不信の力学をスタートさせ、自分が最も恐れていることを自らやってしまう。他人を信じようとしない人たちは、不愉快な苦悩に満ちた転生を、彼らが信頼という課題をクリアするまで続けることになる。

〇思いやりと調和しないあらゆる性格的特徴は調和がとれるまで転生を繰り返すことになる。例えば、怒りっぽい性格は、それ自身の怒りが最終的に、思いやりと愛以外の、それ自体が魂のエネルギーを遮断するものとして直視され、排除されるときまで、不愉快な、あるいは悲劇的でさえある人生を転生し続けることになる。

 

〇人の縁を育みたければ、人を見下さないこと。

〇批判は人の縁を遠ざける呪文。

〇相手の長所だけを見るようにすれば、良縁の芽が生まれる。

〇コンプレックスを抱くと人の縁が遠ざかっていく。

〇人を妬んだりうらやむと、縁が寄り付かなくなる。

〇打算で動くと、縁が消滅してしまう。

〇プラスの方向から解釈する癖をつければ、縁が深まる。

〇自分に都合よく解釈することで、意外な形で縁が生じる。

〇あなたが体験する出来事には、すべての意味がある。

〇マインドをポジティブにすれば、縁が生まれやすくなる。

〇自分の長所を挙げていけば、マインドがポジティブになる。

〇一日一回楽しいことをすると、心の体質が変わってくる。

〇ありがたいという口癖が、ありがたい現象を招く。

〇人を立てることで、相手との縁が深まる。

〇成功者は人を立てることを習慣にしている。

〇他人の自己重要感をスポイルすると、悲劇を招く。

〇誉め言葉は、縁を作るためのおまじない。

〇ちょっとしたねぎらいの言葉が、縁のきっかけとなる。

〇教えを乞う姿勢を大事にすると、縁が増大していく。

〇聞き上手になれば、縁が育まれる。

〇相手の関心事に理解を示せば、好感を抱かれる。

〇相手に価値を譲れば、縁を深める絶好の機会となる。

〇小利口にふるまうより、バカになれる人が他人に好まれる。

〇他人に喜びを与えると、人の縁がどんどん膨らむ。

〇マイナスの言葉は、縁を遠ざける呪文のようなもの。

〇縁は、ブラスの言葉を発する人に吸い寄せられる。

〇笑顔は、縁を引き寄せるスパイスのようなもの。

〇グッドニュースの提供マンになれば、縁づくりは成功する。

〇感謝の言葉をかければ、そのお返しがある。

〇ユーモアをうまく使えば、あなたの好感度がアップする。

〇相手のメモリアルデーを記憶しておくと、縁づくりに役立つ。

〇相手の趣味や嗜好に敏感になると、縁づくりに役立つ。

〇徳を積めば積むほど、人の縁が作りやすくなる。

〇親切の種をまけば、縁を招くことにつながる。

〇相手の立場になって行動すれば、縁はあなたを好む。

〇生き金を投資すれば、縁が分配される。

〇人の嫌がることをやり続ければ、人の縁を引き寄せる。

〇ボランティアメニューを実践すれば、運命の人が現れる。

〇仕事に使命感を組み入れれば、驚くほど縁を作れる。

〇平凡で怠情な生活からは、縁は生まれない。

〇願望は、縁を引き寄せる磁石のようなもの。

〇願望への強い想念が、運命の人を引き寄せる。

〇複数の縁を作るために、願望はできるだけ公表すること。

〇願望実現のチャンスは、意外な時に意外な形で訪れる。

〇願望の芽が出なくても、焦って土を掘り返してはいけない。

〇ハッピーエンドを信じると運命の人は土壇場で現れる。

〇新しいことにチャレンジすれば、縁が引き寄せられる。

〇非日常的な体験が、あなたに素晴らしい縁を与えてくれる。

〇ヒラメキは、潜在意識からのメッセージ。

〇情報に敏感になれば、運命の人と出会う可能性がある。

〇人からの誘いは、運命の人と出会うためのチャンス。

〇頼まれごとに気軽に応じで上げれば、新たな縁が生まれる。

〇数字の一致に敏感になと、運命の人が現れやすくなる。

〇夢に敏感になると、運命の人に出会う可能性が高まる。

〇共通点・同感部分・共鳴部分が多い相手は、運命の人である可能性がある。

〇同時体験が多ければ、運命的なつながりのある証拠。

〇運命の人との出会いが、あなたの人生を好転させる。

〇倍返しの精神を大事にすると、縁を深めることになる。

〇自分が困っているときこそ、相手のことを優先させる。

〇相手の過ちを赦す寛容な姿勢が、縁を深めていく。

〇他人の降伏を願う場、縁という形で還元される。

〇シンクロニシティの連鎖に気付けば、運命が好転する。

 

〇ある日、妻が夫に「大事なミーティングがあって、一緒にいたいけれど今はできない」と言ったとする。もし、その夫が他人を信頼できない性格であるとしたら、彼は、妻のその発言を、彼女が自分を嫌っていること、あるいは、彼女にとっては仕事の方が自分よりも大事なのだということの、明らかなサインだと解釈するかもしれない。その誤解は、彼は妻の話を素直に受け入れられないために、つまり、彼女を信頼する能力を欠いているために発生するものである。

 そして、もしもこの妻が、夫からの誤解した態度が繰り返されたとしたら、彼女の内側では、まず驚きが発生し、続いて悲しみが、さらにはフラストレーション、怒り、そして最終的には、夫は、夫が誤って知覚した時の嫌悪感まで発生することになるだろう。

 そうやってこの夫は、不信の力学をスタートさせ、自分が最も恐れていることを、自ら発生させることになる。他人を信じようとしない人たちは、不愉快な苦悩に満ちた転生を、彼らが信頼という課題をクリアするまで続けることになる。

〇思いやりと調和しないあらゆる性格的特徴は調和がとれるまで転生を繰り返すことになる。例えば、怒りっぽい性格は、自身の怒りが最終的に、思いやりと愛、すなわち、魂のエネルギーを遮断するものとして直視され、排除されるときまで、不愉快な、あるいは悲劇的でさえある人生を転生し続けることになる。


〇私たちの内部にある生命力を意識した生活を始めるにつれて、オーラは美しくなってくる。では、生命力があることにさえも目を向けようとしない人はどうなのか。そこで私たちの社会を観察することによって、どのような人々がいるのかを生命力との距離の関係から考えてみることにする。
①「他の人に迷惑のかかるようなわがままし放題、思いついたことをぱっとやってしまうような人」このタイプの人のオーラは赤い色の他に、暗い白が濁って混ざっているのが見れる。心をコントロールして、他の人に迷惑をかけないようにしようという気持ちはそれほどない。
 ジョージ・アダムスキー氏は、人間の身体と心、そして身体を作っている細胞群についても述べている。彼によると人間の利己主義は、自分の心にマイナスの性質を持った悪魔細胞を創り出し、そのまま利己主義を増長するなら、それらの細胞はやがて増え始めて本来持っていた良いものにとってかわるようになってしまうという。
 まず、①のような人々は年中ケガか病気をするような人で、友達も離れていってしまう。もし、とても安定した幸せな生活をしていても、どこかに歪が生じていて、それによって段々と不幸な惨めな思いをするようになっていくこともある。細胞群は統一されておらず、好き勝手なパワーを心に与えている。なぜなら、心が好き勝手な想念を欲しがっているからである。
②「身体の神経等の反応特性が鋭くまた長くこだわるような心になりやすい体質の人」この人のオーラは黄色に青が混ざっている人や、濁ったオレンジ色などに見える。つまり心が何とか自分の心をコントロールしようとしているのであるが、すぐに自分の殻に閉じこもり、自分の欠点を排除する事にこだわったり、不気味な精神的な事をしたがる傾向がある。この人たちの細胞群も好き勝手なパワーを心与えているが、心は内部にある生命力にも目を向けているので、うまくいけば細胞群を統一する過程に乗せることもできるようになる。
③「気が弱くいつもおどおどしているのに、家に帰ると元気になって、普通に戻るか、威張りだす人」こういう人は日常生活で余分なエネルギーを無駄遣いしているので、オーラの出は他の人より幾分少なくなってっている。外と家との差は、誰でも多かれ少なかれあるものだが、その差が激しすぎるのは良くない。細胞群は日常は不活発な状態を強いられ、夜は好き勝手に開放するのだから。要するに、謙虚なように見えて実は細胞群の統一は今一歩できない人である。
⑤「自分は建設的に活動しているはずなのに物事がうまくいかない人」このような人は自分のやりたい方向性がしっかり絞り切れず、フラフラしやすかったり、ついつい怠けてだらけてしまって、継続できなかったり、また見通しもなく活動してしまう人が多い。やはり細胞群のしっかりとした統一をしようとすること、つまり自分のやるべきことをしっかりとやり遂げようとすることをすべきである。そして、あらゆる生命に対する感謝もこのような人には必要となってくる。
⑥「何気なく過ごしている人」油断をすれば利己主義ははびこってくる。人間の一番陥りやすいのは、怠け心である。
⑦「細胞群が統一されてさらに生命力を意識した生活をしている人」このような人は、内部にある生命力も体内を良く循環しており、自分の思いを万物に調和させて働かせることができるようになる。したがって、この人のそばにいると心地よくて友達も自然に増え、病気の人も近くでいい影響を受けるようになる。また、心が広がり、狭い殻が心地よく打ち破られていくのを感じるようになる。植物にさえも話しかけて植物は心地よくて、振り向くことになる。こういう人のオーラは純粋な青などが霧のように出ており、広く濃く広がっている。もちろん他の金や銀の色も交じって見えることがある。人間の目標は細胞群を統一して生命力と一体化する方向に進むことにある。

 


 

〇魂は、肉体を離れた後も、生きていた時に行った様々な選択を通じて、獲得した質の光に包まれ続ける。そして魂は、別の来世を創造する必要が生じたとき、自分が包まれている光の質に基づいて創造しなくてはならない。つまり、ある人生でネガティブなカルマを蓄積してしまった魂は、別の人生のために、より多くの制限に包まれた一生を創造しなくてはならなくなるのである。

〇唯物論者はほとんどのことを、自身の物理的体験を通じて学ばなくてはならない。その学習には、ひどく時間がかかる。そのようにして学ばれる知識は、密度の高い物質空間を通じてもたらされるものだからだ。例えば、信頼について学ぶ必要のある人は、まず他人に対する不信を体験することになる。続いてその不振が様々な誤解を生み、さらにはそれがまた、様々な緊張や不愉快な出来事を発生させることになる。

 唯物論者は、不振が原因で発生する不愉快な出来事を、人々との交流の中でその源に気付き、それを変化させない限り、この人生においてのみならず別の人生においても、延々と体験し続けることになる。