〇どんな想念も、それが発達する過程で生命エネルギーを消費する。ある想念が有益でないとしたら、この想念に使用されたエネルギーは無駄であったということになる。有益でない想念が環境に及ぼす影響は、何の役にも立たないかあるいはハッキリと有害なものである。だから心が有益で創造的な想念だけを抱くことが大切である。白昼夢を見る人は空想で心を消費させ心を消費する。そのような実際的でない思考は、生命エネルギーの大変な浪費であり、考える人から正確に考える能力や決断を下す能力を奪い取ってしまう。
〇ある想念が力の満たされるために必要なことが二つある。一つは想念を創り出し発展させるために、心の全潜在力が活用されること、もう一つは、自然の力がその想念を支えることである。考える人と周りの世界が想念に最大の力を与えるときにのみ、その想念は最も強力になるのである。ある想念を心の全潜在力で支えても、その想念が周囲に喜ばれず、自然界に歓迎されないものであれば、その想念は最後の成就まで力を保ち続けることができない。
〇瞑想している人は知っているが、瞑想中は想念の微細な状態を体験する。想念の非常に微細な状態を体験するには、神経系のより繊細な領域にその想念に対応した微妙な活動が起こらなくてはならない。その想念を超越し、心が超越状態に到達すると、心は静止の状態に入り、純粋意識という完全な自覚を得る。これは確かな体験である。それは外部にある対象を体験するのではなく、体験者が体験者自身を体験する独特のものである。これが純粋意識の状態であり、純粋存在の体験である。純粋存在の体験と神意識の状態とは同じことを意味する。このような体験を可能にするためには、神経刑に特定の状態が作られることが必要である。神経系が受け身の状態に老いることはなく、よく平衡の取れた特定の機敏な状態が生じなければならない。この状態は活動的であるが、活動はしていない。なぜなら何も対象を体験していないからである。これは熟睡の時の脳が示すような通常の状態ではない。
 瞑想中に想念を体験すると脳の働き方に特定の状態が作られる。想念を精妙なレベルで体験する場合、脳もその体験レベルに対応した適切な活動レベルで機能する。超越するときの状態の場合もやはり脳機能の特定の状態が作られ、その結果、超越的な純粋意識の体験が生じる。想念の層を次々とより微細な状態に向かうように体験を深めていくと、この特定な脳機能の状態に達することができる。つまり、心の働きを使って超越意識に到達することができるのである。これは心を用いて神実現にいたる方法である。一つの体験から次の体験へ、粗大な領域から微細な領域へ、と心を導いていくと最後には、超越状態の特定の体験に到達するのである。
 体が長い間働き続けると神経系は疲労し睡眠が必要になる。疲労とは片時も休みなく働き続けた結果生じる神経系の生理状態である。そして、最後には、もうそれ以上の体験ができなくなる状態。すなわち眠りの状態に達する。
 超越意識を創り出す、特定の状態を神経系の中に生理的に作り出す方法が、何かあるはずである。神経系が疲れ切ったときに脳が何も体験できない状態になるのと同じように、今後は逆に神経系に生理的な刺激を与えて超越意識を創り出すことが可能であるはずである。もしこれが可能であれば、それが神実現に至る生理的な道ということになる。

 


 

〇自分の人生が、向かっていきたいと考えているのとは全く別の方向に動いていく、といったこともあるだろう。さらには、人生内の苦痛に満ちたパターンを取り除いてしまいたいのに、それがいつになってもなくならない、といったこともあるだろう。分裂した人格にとって、調和の取れた存在になることは簡単ではない。調和の取れた存在となることを願っているのは、分裂した人格を構成する一部の側面のみであるからだ。そのほかの側面は、調和を追求する側面ほどには、責任感も、やさしさも、思いやりもなく、人格全体を別の方向へと引っ張ろうとする。

 それ等の側面は、自己を満足させる創造を求めている。そして悪いことに、多くの場合、とても強力である。分裂した人格は、常に、それ自身の様々な側面の中から、どれかを選択しなくてはならない。そしてその状況が、私たちの進化の背骨となっている。私たちは、その選択を通じて進化する。


〇意図の選択は、カルマの選択でもある。もしあなたが怒りに任せて話し、行動したとしたら、その時のあなたは、怒りのカルマを創造する。あなたが思いやりを持って話し、行動すると、思いやりのカルマが創造され、異なった道があなたの前に開かれる。これは、あなたが自分の様々な側面を認識していようがいまいが、また、自分が行う選択にその都度気付いていようがいまいが、常に起こっていることである。

 高密度の物理的次元内での無意識の進化、すなわち、無意識の意図によって創造される体験を通じてなされる進化が、私たちの種が今日まで歩んできた道だった。それはいわば、真のパワーに至る無意識の道である。一方、責任ある選択を通じた進化の道は、真のパワーの獲得に向けた意識的な道である。

 


 

〇神意識の状態は、最も正常で自己充足的な心の状態である。瞑想中心が最も微細な思考の状態を超越すると、心は一人きりになる。これが自己意識の状態あるいは純粋存在の状態なのである。したがって、神意識の状態に到達するためには、心から対象のあらゆる体験がなくなる事が必要であるが、熟睡時のように、体験する能力を失ってしまってはならない。このような神意識の状態をもたらすには、神経系を活動の状態でもなく、無活動の状態でもないといった中間的な状態に置かなければならない。神意識の状態はそのような状態なのである。
 神経系が機能するときには、感覚の期間を通じて対象の体験を伝達し、行動の器官によって活動に従事する。このように機能していると、神経系は疲労してくる。わずかでも疲労してくると知覚が鈍くなり、その人は眠気を感じ始める。
 疲労がもっと大きくなってくると、心は体験できなくなって知覚が停止する。これでわかるように心の状態は、神経系の生理状態に依存しており、疲労は体験する能力を減少させる。このことから、神経系が疲労してしまうと、心は神意識の状態を得られなくなると結論することができる。したがって神意識の技術を考察する場合、疲労は一つの重要な要素になる。
 一日の活動は、体や神経系を過度に疲れさせるようなものてあってはならない。過度の活動のほかに無分別な飲食も呼神経系を鈍くする。これもまた神意識の状態にとって害になる。したがって、正しい食事と活動の規則的な習慣を養うようにするのが望ましい。
 心を超越存在のレベルまで持っていくと、心は自ずから自然法則と調和し無限のエネルギーの源と一致する。これによって、行動の領域は円滑になり、神経系も緊張に陥らないようにする。しかし、得たエネルギーを使いすぎないように気を付けなくてはならない。さもないと、神経系が効率を失って再び緊張したり疲労したりしてしまうからである。

 


 

〇あなたが、与えようとしないで受け取ろうとする思いばかりをめぐらしていたら、その意図をしっかりと投影した現実を創造することになる。同じような波動の魂たちを自分に引き寄せ、彼らと一緒に「受け取ろうとばかりする現実」を創造することになる。あなたが体験することは、ことごとく、あなた自身の関心を投影するとともに、それを確認するものとなる。周囲の人たちを、受け取ろうとばかりする人間として眺めている。あなたは彼らを信頼せず、彼らもあなたを信頼していない。

〇大本の魂から分裂した意識は、一人一人がいくつもの性格を持っている。ある側面は愛にあふれ、とても忍耐強いかもしれない。しかし、ほかにも執念深い側面や慈悲深い側面、身勝手な側面などを持つかもしれない。そしてそれぞれの性格が、それ自身の価値観と願望を持っている。そこでもしあなたが、自分のそういった性格のすべてに気付いていなかったとしたら、その中で一番強い力を持つ性格が、ほかの性格の前に出てしまう。それはつまり、強い性格の意図にしたがってあなたの現実が想像されることになる。

 例えば、あなたの慈悲深い性格は、あなたの家に押し入って捕まった強盗に、もう一度チャンスを与えたいと考えるかもしれない。しかし、その性格よりも執念深い性格の方が強力だったとしたら、おそらくあなたは複雑な思いを胸に、その強盗を警察に突き出すことになるだろう。あなたは、自分の持つ異なった性格の一つ一つに気付くまでは、自分の意図を意識的には選択できない。特定のことを「言いたい」、あるいは「行いたい」と考えている一方で、それと矛盾した別のことを考えている自分を、頻繁に発見することになる。

 

〇瞑想の実践を続けていくと、心がますます神意識に親しむようになり、ついには神意識が心の本質に確立される。すると、心が外側の環境に関わっている間も、現在意識のレベルに神意識が永遠にとどまっているようになる。心のレベルに神意識をもたらすらすこの技術は心の意識する能力を拡大すると同時に、心がその全機能を果たすことを可能にする。この技術には、心のあらゆる潜在力を活性化するという利点がある。隠れているのは何もなくなり、潜在意識すらなくすべてが顕在意識となる。その結果、一つ一つの想念が非常に強くなる。
 心が神意識の領域に到達すると、自然にすべての自然補足のリズムに調和し、宇宙的な進化の過程に合流するのである。神意識の本質は絶対の至福意識であるから、心はそれに満たされ、現存意識のレベルに永遠の幸福が訪れる。
 神意識は永遠不滅であり、恒久不変であるそのため、神意識の不滅・永遠・不変の質が心の本質に注入される。そのような心は安定しており、動揺せず謙虚であり、それと同時に至福に満ち満足しており自己充足的で機敏である。
 絶体存在は、あらゆる想念とあらゆる創造の源であるから、現在意識がこのレベルに到達すると、心は宇宙生命の無限の創造的知性に親しむようになる。心が神意識の領域に調和するようになると心は無限のエネルギーの源を手に入れる。そのようなエネルギーに満ちた強力な心は、当然、非常に力強い想念を抱くようになる。
 想念の一つ一つが活力をもって神経系を刺激し、神経系の持続的で力強い活動を引き起こす。そして、神経系は大きな力と安定した目的をもってさらにその末端機関である体を刺激するから、想念は直ちに努力なしに、積極的な行動に変換される。
 このように想念を具体化する力が非常に強くなるために、一つ一つに行動も強力になってくる。心のレベルに神意識をもたらす技術は、このようにして個人の実際的な日常生活に影響を及ぼすのである。

 

〇怒りっぽい人が自分の怒りが作り出す様々な結果に気付くまでは、怒りっぽい性格のままでい続ける。その人の生涯の間にそのことに気付かなかったとしたら、その人の魂は来世にそのレッスンを持ち越しになる。そして、その人の魂は、今の人生とよく似た特徴を持つ別の人生を誕生させることになる。どの生涯においても、学ばれるべきでありながら学ばれないことは、魂の学習のために新たに作ってしまう課題、すなわち、その体の生涯がその経験のなかで示した物事の対応に起因する、新しいカルマ的負債とともに、別の人生に加えて持ち越されることになる。魂がしっかりと学んだこともまた、別の人生に持ち越されることになるのだ。魂はこのようにして進化する。

〇人々の美徳や長所や気高さを探し、さらに目をやるようになると、あなたは自分自身の中でもそれらを探し、それらに目をやるようになる。たとえどんな状況においても、もし、そこに存在する最も高い波動の流れを自分自身に引き寄せたならば、それによってあなたは、それと同じ波動の意識を放射し、現状をどんどん好転させせていく。自分の意識と物理的現実との関係に気付くことは、カルマの法則に気付くことであり、それが機能している様子を見ることである。あなたは、自分が意図したとおりの人物になる。

 

〇神意識はどこかにあるものではないから、どこかから持ってきて、それを生きるということはできない。神意識は実在そのもの、万物の生命そのものである。それは絶対的な意識がすべてに浸透し遍在している状態である。神意識を生きるためには、まず、現在意識がそれに親しみ馴染むことが必要である。
 瞑想中、心が思考のもっとも微細な状態を超越すること。心は神意識の状態に到達する相対界のすべてを超越するから、これは体験のない状態である。それは純粋な超越の状態・実在の状態である。それは純粋意識であり、ただ「在る」のみという状態である。心はその純粋な神意識の状態からはまた相対界に戻って想念を体験する。超越界の領域に入ってはまた相対界に戻るということを絶えず繰り返していると、心は神意識の本質を次第に深く知るように自分自身の本質に一層はっきりと目覚めてくる。
 瞑想を続けていると、五感を通して対象を体験している間も、心がその本質を維持するという能力が増大してくる。このようになると心とその本質である超越な神意識は一つになり、心は思考・会話・行動に従事している間も、その本質すなわち神意識を保つことができるようになる。
 このような状態に達するためには二つのことが必要である。その一つはすでにみたように、瞑想の実践である。もう一つは、目指す目標に早く到達するめに同じように重要なことであるが、瞑想から出てきてまた活動の領域に従事するときに、心を緊張させないということである。
 活動の全領域を正しく体験し、必要な行動は、すべて行わなければいけないが、心に過度の負担をかけるべきではない。何を行うにも緊張せずに楽に行うことである。
 活動する心の本質に神意識を早く馴染み込ませるために、人生を自然に楽に受け止めることが非常に大切である。現在意識が、超越して神意識の状態に到達すると心は完全に神意識と一体になる。心はその個別性を失って、宇宙的な心になる。
 心は遍在するものとなるり、純粋な永遠実在の状態を獲得する。「超越界」の状態においては、心は体験する能力を持たない。ここでは心は実在しているものではなく、実大そのものになっていのである。心は相対生活の領域に戻ると再び個別性を取り戻すが、瞑想中に獲得した、偉大で拘束無き普遍的な地位をいくらか保持する。
 瞑想を続けていくと、心は日常生活の活動中にもその状態をますます維持できるようになってくる。一般的に言って、心が活動の領域にかかわると、純粋な存在である心の本質にいくらかの緊張が加わる。しかし、もし心がくつろいでいて単純で自然なやり方で活動するならば、心の本質に神意識がしみこむのがそれだけ容易ななる。ところが反対に活動中に心が緊張すると神意識の注入の効果も少なくなる。
 例えば、白い布を黄色い染料に浸すと、布は黄色に染まる。布を染料から外に出すと、その色の濃さは液に浸っていたほどではなくなる。布をしばらく日陰においておくと色は褪せてくる。布を日に当てておけば色の焦るのは一層早くなる。これと同じように、心が神意識の超越状態に達すると、心も純粋存在になる。
 心が超越界から出てきたとき、正しい自然なやり方て心を働かせるなら神意識の本質の注入効果はしばらく維持する。しかし、活動中に心に緊張が加えられると注入の効果はすぐになくなる。したがって、活動が、心の中に神意識の状態を成長させる手段として役立つようにすること、つまり、自然なやり方で活動の領域に従事することが非常に大切である。
 このように瞑想を規則的に実践し自然で緊張のない活動に従事することが、絶体存在と相対界の生命を同時に生きる意識状態を創り出すための近道である。この意識状態では、一方が他方の妨げになることはない。これは、相対生命のあらゆる価値とともに絶体存在を生きる宇宙意識の状態である。

 


 

〇願望の持つ力は驚くほどに大きい。願望は、あなたの人生のあらゆる側面に影響を及ぼす様々なプロセスを開始する。例えば、もしあなたが仕事を変えたいとしたら、その変化は、転職しようとするあなたの思考とともにスタートする。今の仕事から離れようとする願望が意識の中に出現すると、その時からあなたは、ほかのどこかで働く可能性、ほかの仕事を始める可能性に大きく道を開くことになる。

 そして自分が今やっている仕事が、どんどん不快になってくる。すでにあなたのハイアーセルフは、あなたの次の仕事を探し始めている。それから好機が訪れ、あなたは速やかにそれをとらえることになる。その決断には、もしかしたら、若干の時間が必要になるかもしれない。変化に抵抗を示すのが人間の性であるからだ。だけど、結局あなたはその好機をとらえ、あなたの気持ちが現実化することになる。

 どこで働くか、誰と手を組むか、どこに住むかといったことを決めることだけが、あなたが行っている決断ではない。それら決断は、あなたの人生に一番大きな影響を及ぼす類の決断でもない。あなたは、それらの決断以外にも、まさにあらゆる瞬間に、宇宙に対する姿勢、人々に対する姿勢、そして自分自身に対する姿勢に関する決断を下している。あなたはその種の決断を持続的に下していて、あなたの瞬間、瞬間の体験は、本質的にはそれらの決断によって創造されている。結局、あなたの現実を創造しているのは、あなたの思考なのである。

 

〇正しい想念とは、本質的にその想念を抱く人とその環境にとって調和的で、有益な想念のことである。口から発せられた言葉と同じように、どんな想念でもその想念を抱いた人とその環境に対して、何らかの影響を及ぼす。
 小石を一つ池に投げ込むと波紋が生じて、それが池の隅々にまで届くように、どんな想念、言葉、行動でも、その周りに波動を生み出す。そして、その波はあらゆる方向に伝わっていき、周りのあらゆるものにぶつかる。
 その波は全宇宙のあらゆるレベルに影響を与える。個々人の一つ一つの想念、言葉、行動が宇宙全体に影響を及ぼしているのである。一つの想念の影響でもこのように広範囲にわたるものであるから、心に生じるどんな想念についても、その性質を注意深く検討することが必要になる。その想念を抱く人と全宇宙に対して害を及ぼすような想念があるかもしれない。またそれを考える人は全宇宙に対して好ましい有益な影響を与える想念もある。
 個々人はそれぞれ独自の質を持っているから、各人にふさわしい特別な質を持った想念を選んで、その物理的な影響がその人自身と全世界にとって有益なものとなるようになることが極めて大切である。
 発せられた一つの言葉が、振動の波に乗って周囲に伝えられるときの影響はその言葉の意味によって決まるのではない。発せられた振動そのものが問題になる。調和と幸福の影響を生み出すためには、良い質の波動を発することが必要であると同時に波動の質がその個人の質に調和するものであることも重要である。
 波動の質は人によって異なっており、これが各人の個性を創り出している。そのために、特定の個人に適合した想念を正しく選ぶということが、瞑想の実践にとって何よりも大切なことである。
 個々人はそれぞれ異なる質を持っているから、正しいタイプの波動すなわち、適正な質を持った想念を選ぶことは非常に難しいことである。正しい想念を選択して、その物理的な質がその想念を抱く人の物理的な質と調和するようにするという事実を考えあわせるとき、ますます重要な課題てなる。私たちは、被造界の粗大な領域の力よりも微細な領域の力の方が強力であることを知っている。
 誰かに石をぶつければその人はケガをする。ところが、意思の微細な領域に入って行ってその一つの原子を刺激することができるとしたら途方もないエネルギーが放出されて、はるかに大きな結果が生じる。同様に想念の微細な領域に入っていくと、その想念のより微細なレベルが認識されるが、そこでの想念の力は通常の心の意識的なレベルにおける想念の力よりも強力になる。
 このことを考えると、瞑想を始める前に、正しい質の想念を選ぶということがいかに重要なことかわかるはずである。

 

 


 

〇もしあなたが、誰かを思っていたら、自分の意識の質を変化させたことになる。その変化は、相手のエネルギーフィールドにも、即座に影響を及ぼすことになる。例えば、父親を恨み続けていた娘が、自分と父との関係により深い理解へと進化を遂げたとする。彼女に愛や責任といった重要なレッスンを学ばせるべく父親が演じてきた魂レベルの役割を、彼女は理解した。そして、もし彼女の、自分自身を癒そうとする気持ち、および自分と父親との関係を癒そうとする気持ちが明確で深いものなら、その変化は、たとえ彼女と言葉を交わさなくても、瞬く間に何らかの形で父親に伝わることになる。その時父親は、意識的にはそれに気付かないかもしれない。しかし彼は、自分の全存在を通じて、彼女の内側で起こっていることを感じ取ることになる。父親の意識的な心は、それを初めて体験する突然の感傷的な物思いとして知覚するかもしれない。あるいは突然、娘の子供時代の写真に目をやり、理由もなく胸を詰まらせる、ということもあるだろう。

 あなたは、この種のいわば情報交換を、あらゆる身近な魂たちとの間で、また規模の違いはあるものの、あなたの人生で接触する、その他人のあらゆる魂たちとの間でも行っている。自分のデータバンクの内容を変え、特定の魂に送る情報を変化させると、その魂のシステムによって即座に処理されることになる。あなたが発生させる内なる変化がほかの人たちに影響を及ぼすのは、このレベルにおいてである。