もうすぐ、3.11です。

東日本大震災があった日です。


むーかし、会社の人とランチ中に、


私「会社と家が近いところがいいなぁ…地震で電車とかとまったら、帰るの大変だよ…ショボーン


会社の人「あはは!もう心配症なんだから。そんなこと気にしないよ、普通(笑)」


なんて会話をした2-3年後、

違う会社に転職(家からもっと離れた)。

心配症だったけど、現実になってしまった。



3.10

仕事中、取引先と電話中にゆらゆら〜と地震。

お互い「お、揺れてますね」なんて話をしたことを覚えています。


3.11

会社の、人とランチで外食後、

会社へ歩いて戻っていたら、めまい😵‍💫が…。

立てない…よろっとして、思わず路駐のトラックに捕まった。

(あー…まさかの目眩…絶対疲れてんだわ、私…会社コキ使いやがって…)

と思ったら…


なんか雑居ビルのガラスが1枚上から落ちてパリンと。

まわりの人たちが上を指してワーワー言ってるのでみたら、高層ビル🏙️が揺れてる…!


めまいじゃなかった💦

地震なの⁈と。


会社に戻ったら、瓶類は落ちて割れてて、私の汚いデスクはもっと汚くなってた。


営業の人が、テレビ見たかと、ざわざわ。

とりあえずやるべき仕事はやらねばと、何度もくる余震の中仕事をやって、その間に次々と何線が止まったとかニュースで。

テレビでは、津波の映像も。

相当まずいんでは。仕事してる場合じゃないんでは。てか家に帰れるの?

と思いながらキーを打つ。


16時過ぎて、会社から帰れる人は帰ってもいいし、泊まってもいいとアナウンス。

私は帰ろうと退社。

タクシー使えばいいやと思うも、タクシーが捕まらない。結局、地下鉄全線止まってて、6時間位歩いて帰宅。

何度も路駐の自転車を盗みたくなったり、

自転車屋さんも覗いたけど、やってなかった。


何度か駅に立ち寄って、動いてないなぁ…とまた歩き出す。

携帯も繋がらない。家に私は無事だと伝えようにも、繋がらない。何十回もかけて、やっと繋がって…父が車で迎えに行こうかと言ってくれたが、その車道は上りも下りも大渋滞…。

有り難く断った。


お腹もぺこぺこでコンビニに寄ったら、色々なものが品切れしていた。

21:30過ぎ、自宅近くの交番で、埼玉県◎市に帰りたい。4号線はどこか聞いていた人がいたけど…ここから◎市って、車でも1時間以上かかるのに!下手したら2時間かも、なのに今から向かうの⁈と思いながら、横目に歩く。

もう、ヒールで6時間歩き通した私には、その方を案内する体力も気力もなかった。

すみません。


品切れのコンビニでは、それでも買える惣菜とか買って、22時前に帰宅。

耐震対策していない我が家は、それはそれは色々なものが倒れていた。

その時、一緒に暮らしていたワンコの杏ちゃんは…大きな揺れの後、母とベランダへ出たら…失禁したらしい。怖かったんだよね。


(杏ちゃん↓)



私は外にいたから、うっかり目眩と思ったけど、屋内にいたら、家具などがガタガタ音も立てるし、なんなら倒れるしで、屋内の方が怖かったんじゃないかな。。。



テレビでひっきりなしの津波の映像、さらに原発がまずいかもと報道されていて、父が

「こんなの爆発したら、とんでもないことになる…」

と言っていた。

(本当に翌日に1機、爆発してしまった。その翌々日には3号機も。)


後に、「Fukushima50」という本と映画を観て、読んだけど、あの時、テレビの向こうのあそこでは、ということになってたのかと…何とも言えない気持ちが、何度でもよみがえる。


つづく