「あんたがこんな状態じゃ留年するからよ」
「前みたく留年ぎりぎりでオールグリーンさ」
ばしっ!
「むぐ……」
変な声が出た。俺の顔には漫画本の表紙が目の前にあった。……このキャラクターをこんな近くで見るのは初めてだなと冷静に考えていた。
「一年の頃は先生達が留年させないように、留年候補生の試験問題を易しくしてくれたんじゃない。それでも留年ぎりぎりってあんたどんだけ馬鹿なのよ。留年の話だけじゃない。夏なんて赤点取って補習受けてたじゃない。それに今回のテストでまた赤点取ったらどうなるかって先生から言われてるでしょ?」
「大丈夫、大丈夫。俺はやればできる子なんだよ、やらないだけ」
 漫画本を顔に押し付けられ話している。この状態はきっと仁太から見たら滑稽な絵だろう。
「できる子はやろうとするからできるの。やらない子はいつまでもできない子。行動に移せない子なのよ」
 ……悔しいが正論だ。
ここで返しても惨めになるだけだと素直に思った。顔にある漫画本と聖奈の手をどかした。
「わかったよ。やればできる子がやりますよ」
 いかにも子供が拗ねたような口調で言っていた。
「赤点取ったらみんなにも迷惑かかるんだから。透は明日の勉強をこれからすること。わかった? いい?」

「へいへい」
 ふう、と安堵の息か不安の息を吐きながら聖奈は左腕をさすっていた。
「あと今日の勉強会を開いたのはこれを2人渡すために来たの」
 先ほどの数学の参考書と一緒に出した書類から二枚の紙を取り出し、俺と仁太に渡した。
「日程が決まったのか?」
 仁太がようやく話に入ってきた。
「そうよ。十二月二十四日のクリスマスパーティーの日にね」
「だから今日いきなり勉強会開くとか言い出したのか。家で勉強中にいきなりメールで来るんだもんな。びっくりしたよ」
 聖奈の細く鋭い目つきが俺に向けられる。
仁太は何事もなかったかのように見ていた資料から顔上げる。
「それなら明日でも良かったじゃないか。明日は学校あるし、みんな集まるし」
「だって、早く部員に知らせたいじゃない。それこそ察しなさいよね仁太」
 仁太は納得いかない顔をしていた。そんなに一人で勉強したかったのだろうか? 勉強の邪魔をされたと思っているのだろうか。
「あまり活動していないのによく申請通ったな」
「私の歌声でクリスマスパーティーを輝かしてみせます! って言ったらすんなり承諾してくれたけど?」
「お前が歌うなら首を縦に振るしかないだろうな」
「まあ私、美声の持ち主だからね」
西野聖奈も先生に好かれている生徒の一人であり、プロの歌手になるために今もボイストレーニングというのをしているらしい。何度かコンクールで賞を取ったことがあるらしく、周知が認める実力であった。

「麗奈か」
安堵した顔つきで仁太が微笑して言っていた。
「よくわかるな」
「……まあな」
 落ち着いた雰囲気と安堵感を残しているのは何か俺にとって、歯切れが悪い気がした。
「へぇ、足音だけでわかるなんて、まさか……仁太は聖奈のことが気になっているのか」
「それはないな」
 速答だった。速答で答えてくれるところが漫才のボケとツッコミのようで心地が良かった。むしろこのやりとりがしたかっただけだ。これを聞いたあいつは不機嫌になるだろう。いや、誰でもか。しかしさっきの歯切れが悪いのはどうしても気になる。
 スリッパの音が3階の奥のこの部屋の前で止まると戸が開いた。いつもの三人が揃う瞬間だった。
「お邪魔しますね。お二人さん」
 よう、おう、とそれぞれ挨拶を投げかける。すると甘いフレグランスの香りが鼻腔を刺激した。この匂いはわりと好きだった。聖奈は俺がいるソファーとは反対側にあるベットに腰を掛け、足を組んで数学の参考書を取り出していた。参考書以外にも書類だろうか、色々出しているがなんだろう。
 仁太の部屋は六畳ぐらいの大きさで3人が入る部屋には十分だった。仁太の部屋には扉の向かいに机があり、扉から見て左にソファー、右にベットがある。ここにある乱雑した漫画本は俺が自分の家から持ってきった本ばかりで、仁太の家にある本の多くは自分のものだったりする。そして机の右斜め上にある小窓はいつも半開きである。
「遅れてごめんね。急いで来たんだけど、玄関で仁太ママに会って話込んでたのよ」
「ああ、長話だったろ? 何かごめんな」
「そんなことないよ。久しぶりに会ったからだと思うし」
 会話が止んだかと思うと、聖奈は横目でこちらを見る。
「ねえ、それより……ちゃんと勉強してた?」
 すると今度は、左手にいる仁太の顔を覗きながら言う。聖奈は先程とは表情を変え、真剣に聞いていた。
そこまで真面目に聞く必要があるのか? 仁太が勉強をしないわけがないだろう。
「いや、……悪い」
 視線を自分の手元に落とし、ペンを回している仁太。
「やっぱりね」
 ちょっと待て、なぜ否定する。お前は休憩も取らず机に向かって勉強していたじゃないか。新しいペンだこをもう一つ作ろうとするぐらい頑張っていたじゃないか。そうか。『僕は勉強してません』とか言いながら高得点を出してみんなからチヤホヤされ、優越感に浸りたいのか。ああ、そんなこと考えているからお前は友達が少ないのか。そんな短絡的憶測、仁太に対する失礼極まりないことを考えていると、
「はぁ……透、あんた進級する気あるの?」
 ベットから立ち上がり、腕を組んで俺を見下すような目とチャームポイントのアヒル口がこちらに向けられている。授業中に寝ていた生徒に教師が注意をするような口調で聖奈が嘆息とともに言い放った。……黙っていれば可愛いのに。

こいつの名前は西野聖奈。仁太と同じ二年の最初の頃から一緒のクラスになり、それから季節が3回変わった今でも一緒にいる。大人しそうな容姿であり、整った顔立ちはいわゆる童顔という部類にはなるだろう。世話好き、お節介で口うるさい、姉御肌な性格のため外見とのギャップがある。そのギャップがいいと言う男子がいるが、俺にはわからない。普通は性格もおとなしそうで清楚な女の子がいいだろう。
ん? いまさらだが、そもそもなぜいきなり俺の話になる? 今日は本当に疑問符ばかりが生まれる。俺は咄嗟に聞いた。
「今、仁太の話をしていたんじゃないのか? 俺の進級と何の関係がある?」
「違う。透の話よ」
「は? 俺の話?」
本当に女は言っていることが分からない生き物だ。
「あんたがちゃんと勉強していたのか、仁太に聞いたのよ」
「なんで?」
なぜここまで過保護扱いされないといけないのか。まあ、前科があるのは分かっているが、何も今に始まったことではない。聖奈は2年の最初の頃から俺に対して世話を焼きたがる。
 ここで普通の高校生男子なら、こいつ俺に気があるんじゃないかと妄想を桃色花畑に描くだろう。だが聖奈には年上の彼氏がいる。だからこそ、この西野聖奈という女の俺に対する過保護は本当によく分からない。女心は本当にカオス理論を超えると思う。偉人かお偉い人がそんなことを言ってた気がする。

工藤仁太は俺の高校の同級生である。誠実で芯が強い男だ。二年に上がる時のクラス替えで知り合い、一年の頃から勉強の成績が良いらしく、学年でも成績上位であり、先生達からの人望も厚い男である。そんな真面目君がなぜこんな勉強が出来ない、努力しない男と一緒にいるのかというと……正直分からない。
いつからこんなに仲良くなっていたのか、最初に何て話したのか忘れてしまった。きっかけがあるはずだが、どうにも思い出せない。まあたどたどしい挨拶から始まり、趣味はなんですかとか、休日はどのように過ごしているのですかなど聞いたのだろう。……まあそんな高校生らしくない始まり方は絶対俺の妄想だろうなと思いつつ、仁太の方に向き直った。
「なあ、俺らって最初どうやって仲良くなったんだっけ?」
「透よ。俺の質問は無視か?」
「ん? ああ、明日の数学のテストには漫画本は関係ないだろうな。だが数学だけが勉強じゃないってことだ」
 仁太は「はあ……」と溜息をつきながら頭を掻いていた。そして何か考えるように腕を組んで顔をしかめた。
「今がテスト期間中じゃなかったら、『なるほど、そうかもしれない』と答えていたと思う。だけどな、今はテスト期間中だ」
 ああ、分かってるよ、と言いそうになったがやめておいた。言ったとこで言われることは予想がつくし、そのようなことを言われてたのは初めて言われたことではないのだから生産性がない。言われることがわかっているのに、それの逆のことをしてしまうのはなぜだろう。こういう時に反抗期っていう便利な言葉が似合うのか

「勉強も大事だけどさ、俺らってどうやって知り合ったかも大事じゃないか?」
 仁太が眉をしかめた。目が泳いでいた。
「急にどうした? 何かあったのか?」
「いやただ気になっただけだけど、どうして俺みたいな怠け者にお前みたいな努力家の友達ができたのか不思議に思ってさ」
「フィーリングだろ」
 は? と言ってしまった。まず何を根拠に言っているのかが分からなかった。あの仁太が俺とフィーリングが合うと言っている。勉強のしすぎで疲れてるのか。それか数学のテストとか言いながら本当は英語の勉強をしていて、その中に単語の練習でFeelingが出てきてしまって、それを何度も書いているうちに頭の中に根強く残ってしまったに違いない。うん、きっとそうだ。
「そうか。大変だったな。そんなに脳に焼きつくまで書いていたんだな。」
「書いていた?」
「俺とお前がフィーリングが合うなんて世迷いごと言ってるからさ。かなりびっくりしたよ」
「それは……」
タンタンタン、下から階段を駆け上がる音がする。

 プロローグ
一週間ほど前に木枯らしが過ぎ去った冬の日。初日のテストを終えた俺たちは放課後部室に集まっていた。揃って何かするわけでもなく、ヘッドフォンで音楽を聴いていたり、テスト勉強したり、本を読んだり、お菓子を食べながら互いにゲームをしている部員などとそれぞれが自由奔放に過ごす光景がそこにはあった。ちなみに俺は暖かい玄米茶をちびちびと啜っている。
俺たちは有意義な高校生活を満喫していた。
コンコンッ。
 木製のドアをノックする音が響く。
 この部室には似合わない空気が流れた。
 初めて聞いた言葉に疑問を抱くような表情で五人はドアのほうに視線を集める。部室に来客が訪れることは、これが初めてのことだったからだ。ヘッドフォンをしていた部員も他の部員がドアに視線を向けているのに気づき、顏をドアに向ける。
 本を読んでいた部員が返事とともに部室のノブを回す。
ガチャリ。
 ドアが開くと、そこには夕日の光を背に帯びた少女が佇んでいた。
 久遠アリス。
それがその少女の名前であった。




たとえばそんな話があったとしても俺には何も関係ない。ずっとそう思ってきた……。何せ俺はめんどくさがり屋だからだ。
しかしどんなに拒んでも時間という現象、存在、概念がある限りそれは近づいてきている。
 そもそも時間とは味方なのか、それとも敵なのかも分からない。楽しい時間は早く過ぎていくし、酷な時間は過ぎるのが遅い。だが時間がないと人は人生は送れないし、万物も生まれてくることはなかったであろう。

明日からテストという状況で、
「何でこんなこと考えているんだろ」
 声にならない声がでた。
「ん?何かいったか?」
 仁太が背を向けながら、あまり興味がなさそうな声で話しかけてきた。
「いや、なんでもない」
 相槌程度で返すのが今はいいのだろう。テスト勉強の邪魔になるだろうし――そういえば仁太はずっと休憩をとらず机に向かっているが大丈夫なのだろうか。言いづらい雰囲気だった。
「なあ、もう休憩しようぜ」
 すると仁太の動きが急に止まり、
「おいおい、お前はずっと休憩していたはずだろ」
 机に向かっていた体を椅子ごと回転させ、こちらに向いた。今度は興味があるような口調で話す仁太がいた。ペンを回しながら話す仁太は、俺が苦手な偉そうに話す体育教師にかぶって見えた。
「俺はお前のために言ってるんだよ」
「そうか、ありがとよ、透。だがお前は勉強しろ。さっきから漫画ばかり読んでいったい何しに来たんだ。数学の勉強をしに来たんだろ!」
「そんな怒るなよ仁太。俺には漫画も勉強の1つだと思うわけよ」
 俺は隣にある十冊は積み上がった漫画本を軽く叩く。
「じゃあ、その漫画本が明日の数学のテストにどういった形で出題されるのか是非お聞きしたいね」