阿頼耶識 あらやしき と聞くと、さらやしきとか○○屋敷とか連想しますが・・・
そうではありません
唯識学という仏教書があります。
唯識学とは『唯(ただ)8種の識で成り立つ』という意味らしい。
8つの識とは、『視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚』←人間の五感
そして、意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)の三種で合計8種
末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)は無意識と言われる領域です。
つまり6つの意識と、2種類の無意識で成り立つと・・・。
この2層の無意識が言うところの潜在意識ってやつです。
末那識(まなしき)は自我執着心と説明してありました。阿頼耶識が大本命に潜在意識という認識をしています。
阿頼耶とはインドの言葉で ア=貯蔵しておく、ラヤ=蔵 貯蔵しておく蔵と訳すそうです。
ちなみにヒマラヤという山がありますが、ヒマ=雪 ラヤ=蔵 ですので雪の蔵という意味だそうです。
お寺のお坊さんは仏教大学に行くんですが、そこの授業でも阿頼耶識=潜在意識の勉強はするんですね。
その唯識学で、望むこと、望まないことに関わらず感情を伴うと現実化するとあります。
ここでポイント感情を伴う ってことです。
頭で思ったこと(意識)+感情=念
思ったことが念になると阿頼耶にインプットされる。→現実化する。
エイブラハムも同じことを言っています。
『なりたい感情に自分を同調させる』
結論として唯識学と同じことを言ってます
エイブラハムの難しさは日本語訳の難しさにあります。
どこで腑に落ちるかはありますがやはり突き詰めていくとたどり着く真実ってのはあるんですね