私の本質的な特性として、
「私と同じくらいやれよ」がある。
これは、多義の意味において自分の能力が高めである、
という客観的事実をまだ私が採用していないという私の愚かさにある。
あとは、単純に孤独で寂しいから「同じくらいやれる人が本当に欲しい」というのがある。
軍隊のバディーは、
あまりにも二人に能力差があったら成り立たない。
「私と同じくらいやれよ」起因の怒りの爆発は、
小学校二年生からあった。
それを自分でもわかった私は、
以後学級委員などの権力ある立場には立たないようになった。
しかし、30年以上抑えているだけであって、
性質はほとんど変わっていない。
私と同じくらい出来ない人が、
悪いわけではない。
なので、私の怒りは永遠に葬り去られる質のもの、
と私の頭だけだとそう演算してしまう。