「ジョニー・ウィアーのインスタ振り切れてて好き」という意見を二度ほど聞いて、
見に行ったら本当に振り切れていて印象に残っています。
振り切れていれば悩みが無い、
ということでも無いとは思うけれど。
でも、振り切れてる人は見ていて安心する。
マイケルやフレディに憧れるのもそこです。
今日、
いや、序章は先月くらいから始まっていたけれど、
攻撃的なのは本当に何一つ良くない、
攻撃的な人はやっぱり嫌だ、
とハッキリ思いました。
私が元々思っている「優しい人が好き」は、
自分が優しくしてもらいたいからという狭い理由ではなく、
人に優しく出来る人は絶対余裕があるからです。
たとえ優しい「フリ」だったとしてもです。
フリをする余裕があるというか、
フリをすることを選んでいる知恵を感じると言うか。
どんな人でも必ずそれぞれ事情はあります。
生まれたときからのその人の人生、
その人の親の人生、総てを見ないと基本的には何も言えないと思います。
主語目的語を大きく括っていいことなんて少ないだろうな、と。
私は最近それを逆手に取って自分の偏見や早合点を笑いにするようにしていますが。
優しい人にも嫌な点はあります。
中身があんまり無い優しい人の褒め言葉は薄いし、
恋愛においてはハッキリ好きって言って来れない人が多い印象があります。
あとはフェードアウトとか。
それでもやっぱり、
攻撃的な人よりはこのような人の方がいいなと、
今日は思ってしまいました。
フェードアウト組も、
好きって言って来れない組も、
情や愛があれば戻って来たり離れなかったりしますから。
そこが愛おしいです。
すぐ意思表明する組より私への愛が長続きしていたり情が強かったりします。
攻撃的ではないけどハッキリしていて気持ちのよい人、
にでも自分はなろうと思います。
そうすれば、
気持ちの悪い人は寄って来なくなるでしょう。
先ほど言った「序章」と言うのは、
それこそ優しくて攻撃的でない次兄と話した際に、
攻撃的な親類のことを私も攻撃するような旨を彼に話してしまい、
あ、それだと私も同じだとハッキリ気づけたからです。
会いに行って本当に良かったと思います。
相手してくれて、地球儀買ってくれてありがとう。
大きめの地球儀、本当に嬉しかった。
狭くて住み心地の悪いあの家から、
38歳まで生きられるようアシストしてくれたのは、
地球でしたから。
ただ哀しいことに、
そこの家で起こったこと、
加害のことは、
地球からのアシストで塗り潰れたりかき消されたりはしていないです。
そのときの自分の被害感情が、
まだ掴めていないんです。
物心つく前に感情を封鎖してしまったことが原因だとは思いますが。
最近、長調の曲を弾きたいと思う気持ちが強くなりました。
これは、結構大きな変化です。
実際に弾いているし。
節目はやはり、
ショパンのop10-1を練習するよう勧められた5月だったかも知れません。
そして、6月に入って発表されたコンクールの課題曲のモーツァルトもdurだったし、
本選で弾きたいと言ったバッハのmollの曲は先生に拒否された。
それは4月だったと思うけれど、
何にせよ3月下旬の発表会後からは色々と動き出してはいたから。