これね、
思ってしまったことだから言ってしまいますけれどね。
私、
マイケルジャクソンを大好きになったのは2004年の高校生のときなのですが、
1991年のアルバムDangerousのジャケットは、
リアルタイムでの記憶があるんですよね。
当時4歳。
お店のポスターやTVの宣伝で出ていれば、
記憶に残るのは容易いでしょう。
長女が、
絵を描くのが好きですし得意でしてね。
それがわかった瞬間くらいに、
「マイケルくらいの大物ミュージシャンからジャケ写を依頼されるような絵描きになって欲しい」
と、
母の私は思ったんですね。
でもね、
あんなすごい絵を描ける人が、
ほんわか幸せかと言うと、
そうとは考えにくい。
だから、
そんな画家にはならない、なれない方が幸せなんだろうなとも思いました。
私の第一子に生まれたと言うのは、
我々両親自身もまだ自覚し切れていないようなことにも気づきながら生きていくと言うことは、
葛藤は充分に与えられている人生だとは思います。
目を背けたくはない。
もちろん不幸にはなって欲しくないですが、
それを回避したいのであれば全てから逃げないことが大切です。
妊娠中から絶望的な鬱だった次女の方が、
自己主張が出来て元気なのは、
実は上の子だけの育児中は全力で仕事やバレエに逃げながら乗り切っていただけなことを赤ちゃんの長女自身が感じ取っていたからだと思っています。
次女は、どこにも逃げ場がなく等身大で鬱だった私と一緒にいたわけです。
子どもにとっては、社会的にどう見えているかではなく母親が母親自身を誤魔化していないかが重要なんです。
死なれるのは嫌でも、
死にたいくらい辛いのをちゃんと認めて素直に嘆いてそれ自体を何とかしようとしている母親の方が、
母親自身の鬱を母親自身までもが否定し自分の育児を含め無理して何かで紛らしているよりも安心するのでしょう。
長女はミルクアレルギーでした。
なので、仕事は二、三時間区切りで一旦帰宅したりして授乳をしていました。
粉ミルクを飲んでもらって一気にたくさん仕事を済ませて来てしまった方が収入や効率は良かったはずですが、
「お母さんそれ以上仕事に出ないで」と身体で表明してくれていたと言うことにはわりとすぐ気づきました。
二人子どもがいるということで次女の授乳期は仕事がかなり少なかったのですが、
次女はミルクアレルギーで無かったからです。
次女と違い長女には「おちちが欲しいのにすぐお母さんが来てくれない」という我慢を何回かは強いてしまったことは事実です。
そのとき、保育士免許を持っている夫がどんなにあやしてもダメだった、すごい泣きだった、
と聞いて、
その現場は見ていないはずなのに明彩に浮かんだりもしたものでした。
授乳が終わった後にすぐお母さんが出て行ってしまうのも、
お腹は満ちたものの寂しかったはずです。
そう言ったものの埋め合わせは、
後からでも出来ると私は体感出来ています。
だから、やっています。
