なぜ自分と同じように出来ないのか | 戦争について

戦争について

ピアノ演奏者。戦争について一生懸命書きます。

パワハラ社長のようなタイトルですが。


初めて思ったのは、小学校二年くらいです。


私は家庭で、世界一出来が悪いくらいの扱いを受けていました。


ヒステリックに人格否定されて、

馬鹿にするようにジェンダー否定をされて。



なので、そんな私が出来ることが出来ない人がいる、

というのが意味がわからないのです。

世界一出来が悪い人の下?って?





で、今、

「意味がわからない」「理解ができない」という旨を今の家族に言うと

「わかるように努力しろ」と説教されます。

もちろんその人が、

私より出来ない人がどういう仕組みで出来ないのかを説明してくれることもありません。

出来ないのが普通、お前とは違う、

別件として扱え、

みたいな。


そうなると、

わかったふりをその人の前ではすることになります。

そして、出来ない人のことは観察しています。

それでもやはり、わからないのです。


そうすると「わかることが出来ないと決めつけてる」と非難されます。



私がわかったのは、

私が思っているよりずっとこの人は私の話をわかっていない、

と言うことでした。

私がどのくらいわかっていないかが、

多分全くわかっていない。

繰り返し同じ説教すればいずれわかるくらいに思っている。

確かに、外国語学習などはそのように慣れで何とかなることはあります。

しかしそれも、元々は言葉の概念や会話の概念があった上で成り立つことです。


例えると私は、

英会話を学ぶ以前にそもそも人が怖くて日本語の会話が出来ません、

と言った感じでしょうか。




脚が無いのに、

ロングスカートで座っているからわかられないせいで靴をプレゼントされるような感じです。

靴をプレゼントする方は、良かれと思ってやっています。

「すみません、確認したいんですけど脚ありますか?」と聞く人はいないし、

いたら逆に怪しいです。


靴をもらって、

戸惑っていて、「どうしたんですか、言ってください」と言われ、

脚が無いんです、とスカートをめくったら

「じゃあ、気合いで生やしてください」

と言われたらどんな気持ちになるか。


そういうこと言う人は、

気持ちを想像してくださいと言っても、

無理だったり途中で自分の話に切り替え出します。



私も、相手が話をしているときに自分が思ったことを話すことがあります。

それが、同意出来る内容ならいいですがそうでない場合はイラつかれます。

「話して」と言われたので話すようにしていたのですが、

結局は自分の考えと違うものは聞かないという条件つきだったようです。

それも、元々言ってはいたんですけれどね。

そんな人と話す場合、油断が出来なくて結局疲れます。


以上の理由で「話したくない」と言うと、

怒ります。

なんで怒るんですかね。

これも、わかるように説明しない私が悪いのでしょうね。

私がわからない相手方勢の事情と同じで。





どうやら「話したくない」という私の結論が、

極端に映るようです。

おそらく、前提の違いです。

全てのコミュニケーションを遮断したという経験を、

相手は持っていない。

想像ですが、「その人のこと嫌いなの?じゃあ殺せばいいじゃん」みたいな。

「殺したら刑務所に入らなきゃいけなくなる」と

答えたとして、

「刑務所の何が嫌なの?嫌いな人が死んでくれたんならよくない?」とか、

「刑務所が嫌なら、警察にバレないような殺害方法もあるよ!調べたり聞いたりしてみなよ」

と言われたら話す気無くなりますよね。

常識的な人なら。



ちょっと違いますけど、

たぶん私の発言は相手からしたら「そういうことじゃない」と拒絶されてしまうのでしょう。


私も「そうじゃない、私はそんな健康的な段階までまだ行ったことが無い」と思うことはありますので。



ただ、

本当にその人が嫌いで、自分の生命が脅かされるほどの危険人物で、

状況が戦禍などであれば、

殺すという選択は無いわけではありません。

なので、前述のイカれてる風発言も完璧に間違えているわけではありません。

言い方のトーンは問題ありますが。