私が十数年間、
ピアノを弾くはおろか聴くことも出来なかった理由はある程度ならはっきりしている。
クラシックピアノは、
元祖はヨーロッパ人の持ち物。
しかしヨーロッパ人が至高なわけでは全く無く、
アメリカ大陸やアフリカ大陸、アジアにも音楽や演奏家は存在する。
アフリカルーツでアメリカで活躍したマイケルジャクソン。
彼が私の人生に出現したときのインパクトは大きかった。
ピアノは弾けない、楽譜は読めない、
しかし曲は作れるし踊りも次元違いに凄い。
私に言わせると「わかってる」人の出現だった。
ヨーロッパのピアニストの録音だけでは力不足になっていた。
マイケルと同等になろうとするには、
足りてないものを結構感じた。
これは才能と言うよりも、芸能人としての悪い意味での特性や子どもの頃の就労状況のことなどを言っている。
しかし、それも言い訳かも知れない。
簡単にマイケルに追いつけてはならない、と。
もう少し身近で、
年齢も近くて、
マイケルよりはずっと目指しやすい人材を見つけたとき。
その人の演奏はとても心を打った。
「わかってる」もあるし、
私が「わかる」となる部分も大きい人だった。
要は、
この人みたいな人に出会うまで、
年数がだいぶあったと言うだけであろう。
10年経たないうちに出会っていればそこでまた始めただろうし、
30年経った後でも気にせず始めていただろう。
たまたま、パンデミックの開始時に出会った巡り合わせもわかりやすかった。
子どもが小さいうちに忙しくなりたくない、
それも大いにある。
今も忙しいしとても疲れているけれど、
会う人は極力減らしているのでエネルギーの備蓄は出来ているはず。
私は人が基本的にはすごく苦手なのです。
苦手なことをわざわざやりにいく必要は無い。
「わかってる」と思った人は、
自分がヨーロッパ人だとか、なに人だとか、
そういうことよりもっとずっとただ自分自身を見つめているような人だった。
この姿勢があれば、
地域やジャンルの垣根を超える力を音楽に宿すことが出来る。
私自身が日本人であることに1ミリもピンと来ていないから、
そういう仲間しか認めたくないのだろう。
その想いは強い。
自分のルーツに感謝したり大好きでいられる恵まれた人間と同等に話せるわけが無い。
感謝しようと、大好きでいようと頑張っている人も同じように無理だ。
生きるために間違ったことをし続けられる神経が気持ち悪い。
わざわざ「足があって感謝」なんて言わないでしょう?
本当に愛されている人は足のありがたさをわざわざ言ったり縋ったりしないんですよ。
ここは、小学生のときに似たようなことを自分も考えたからなんだけどね。
ただただ異常で悲惨な小学生だったと思いますよ。