影響を受けた人物―マリリン・モンロー― | 戦争について

戦争について

ピアノ演奏者。戦争について一生懸命書きます。

七年前の四月に、

私はこのブログを始めました。


お陰様で、私の中では

「戦争が起こるのは、男たちが元気な証拠」というスッキリした結論も出ました。



今日は、36歳最後の日です。
22歳のときに大好きになったマリリン・モンローが亡くなった年齢を、
確実に超えてしまう節目となります。
正確にマリリンの生きた生年月を数えると、
もう去年の6月くらいには超えてしまっているのですけれどもね。

この想いは私にとっては結構強く、
たまに会うバレエの先生にもわざわざしたくらいでした。


写真ではもちろん子どもの頃から知っていましたが、
動いて声を出すマリリンを観たのは大学生のとき。
セクシーではなく、
「かわいい」と思いました。

あと、今になって「ダイヤモンドが好き、って思っていいんだな」とわかりました。

ダイヤモンドに勝てる風貌の人が、
ダイヤモンドをした方がいいということも。


マリリンのこのときの靴、
黒だったんだね。



あと、画質良いのは消されちゃったけど10年前の今頃にこれ観てこの香水買っちゃったよ。

この人も、鬱なんだよね。
だろうな、とはわかったけど。

ネットかな。
奇しくも、
横須賀海軍施設を出入りしてた頃だった。

付き合ってた彼が、
言わなきゃいけない秘密があると言ってお酒飲み始めて、
なら話しやすいように私の考えもあけすけに話そうかとお酒の勢いでずいぶん饒舌に話した。
英語でよくあんなにスラスラ話せたなと。

簡単に言うと、
「私はいつ死んだっていいの」
という旨。
一通り聞いた彼は、
「マリリン・モンローみたいだね」
と言った。


まだ、
八年前に買ってもらった中粒の黒ダイヤのジュエリーで納得しているけれど。
実際、黒は似合うし使い勝手がいいからね。


横須賀勤務だった彼は年上だったのだけれど、
昔話をしているときに「マイケル・ジャクソンがまだ黒かった頃ね」と言うと「面白いね」と言ってくれた。

彼の秘密である彼の本当の生年をパスポートで見て知ったときに心で出た声は
「まだケネディ政権…」だった。
言えば良かったと思っている。


アメリカも、マイケルやマリリンがいるし、
決して嫌いでは無かった。
私を構成した大きな要素であることには間違いない。


けれども、
今思うと、

本当に出逢いたかった東欧の人と出逢うための、
回り道に過ぎなかったのかも知れないと思う。


ニューヨークスタインウェイがなぜあんな感じなのかも、
一度アメリカに行かないとわからないから。