2024/03/04 | 戦争について

戦争について

ピアノ演奏者。戦争について一生懸命書きます。






2020年の正月に、

Facebookに書いた文です。


2018年から2019年、

如何に「居たくない」しか考えていなかったかよくわかりますね。


その後のパンデミック。

家族と分断することを私は選びました。

それを手助けしてくれる人も、

私は探し出してしまいました。



私は、

人に勉強を教える仕事をしていました。


完全に理解をしていると、

教えるときに何も苦労しないそうです。


仕事で「わからないからお金を払って私に解決してもらう」を選んでいる人はまだ仕方ないと割り切れるけれど、

自分が苦なく出来てしまうと周りにも「何でそのくらい理解出来ないの?」と思ってしまう。


理解しないのは、

やる気が無いから、

つまり私のことを「わからない」と言ってる人は私に本気じゃない、

私がいなくても困らない人なんだという思考でした。


今もそうです。



実家にいる人間たちの特性を完全に理解して、

自分を歪めながら生きる。


もちろん、本当にやりたいことなどではありませんでした。





確かに、

染め変えられたりべつのかたちにまではなっていないとは思っています。


この子の根源的な被害も、

結局は実母が「幼い」ことでした。


私の母親は、もっと幼いのですが。


だから、

専門のカウンセラーに「よく生きて来たね」「いつどこで死んでてもおかしくない」と言われるんだ。



「お母さんの壊れっぷりが、予想よりもっとずっと酷い」

と言われたこともある。

そういう案件はかなり見ているはずなのに。




そして、

この年に会ったある人との最近の関わりも、

規格外だと言われる。


このために私は英語を頑張ったんだなとか、

そこまで思ったくらい、

関われたことは嬉しかった。



ただ、

何となく思うのは、


この人のお母さんも、

私のお母さんほどは酷くない。



だから、わかってはもらえない。


そんな風には思った。

性別が違うというのも大きいけれど。

同じ母親でも、

兄たちは私よりはずっと平気そうに生きてるから。



頭の中で、

よく彼に話しかけていた。

「会いたい」と言われたその日から。


相手の分断が何を意図しているのはわからないけれど、

それとは別に、

その人とのやり取りが疲れる、

というのは事実としてあった。



何で疲れたんだろう。

それは、信じることが出来なかったからだ。


相手と言うより、

自分のことを。



自分のことなんて、

信じられるわけは無いよ。


こんな生き方して来た自分を、

誰が誇れる?



生物として生きるために、

人間の尊厳は捨てる他無かったんだよ。



外国人が怖くないわけじゃない、

日本人も同じように怖いから変わらず接せるだけ。



私はこれだけ自己をえぐられて苦しんでる、

だから貴方も苦しんでよ、


それは思ってると思う。



前からそうだけど、

娘たちは、

飲みたいジュースが無いとか、

自分がうがいしようと思ったらコップにお茶が無かったというだけで全力で嘆く。


普通に言えばいいのに、

何でいちいち大騒ぎするんだろうと思う。


子どものうちはこうして感情を出すのが大事らしいけど。



出して来なかった私は永遠に放置される。

死んだ方がマシだ。

本当に。



私に憧れて来る人も、

私を本当に愛しているわけじゃない。

憧れてる、という自分の感情が心地いいだけ。

憧れの人を理解しようとは思わない。


それを、私はやってしまった。

私はやられたいけれど、

やられたくない人もいるんだろう。


気づきたくないことがあるから。

男の子はそれが多い。


気づいちゃったら、

男の子として生きられなくなってしまうかも知れないことは多いからね。



私に全力でぶつかられたら、

迷惑なんだ。


夫は、自己都合でうまく回避している。

時折ちゃんと見捨てて。

こちらがそれをされてどう思うかは考えずに。



だから、男も頼れない。

だからと言って女性にも、頼れない。

その人の人生があるのは同じだから。

娘たちもそうだから。


消えてしまえれば楽なのに。



私がいなくても、

みんなやれるんだから。