私は、
人生の初頭において、
かなりいい加減で責任感の無い大人に育てられた。
物心ついてから30年以上経つけど、
そんな人間ばかりでは無いと気づいたのはわりと最近。
たちの悪い宗教のように、
私も洗脳されていた。
あなたは世界で一番不要な人間だ。
お前なんて一番要らない。
そう、自分の意思で思えるように物事を運ぶ。
「涼子がいると何も出来ない」
と、毎日のように言われたが、
言った人はそんなことはもう覚えていない。
「そんなに毎日怒るんなら、私、死ぬよ?」
と小一くらいのときに言ったけど、
「は?何言ってんのよ!」
とまた怒るだけだった。
この人は、
死なれるのが嫌なわけではなく、
死ぬとか面倒なことを言い出すのが嫌だったのと、
死んだら自分のせいにされるのが嫌だっただけだ。
「わかった?死ぬなんて『言う』んじゃないわよ」
とは言われたが、
「死なないでよ」と言われたことは無い。
その前後、違う流れで
「私が死んだらどうする?」と尋ねたら
「ピアノを弾く人がいなくなるわね」が第一声だった。
自分のために自分の母親が買ってくれたものの自分がピアノが下手なため、
私しか進んで家のピアノを弾く人間がいなかったからだ。
虐待する親はそのまた親からも虐待されている、
との俗説があるが、
私の母親は母方の祖母が大好きである。
祖母はそこまで問題のある人では無い。
完全では無かったものの、
祖母は自分の長女の故障に少しは気づいていた。
伯父や叔母からも愛されている。
彼女は絶対に子どもを虐待はしていない。
全ての人間が、
何らかの形で必ず母親から洗脳を受けている。
それに気づく人はきっと、
割合にしたらほとんどいない。
それを前提として、
皆、出逢っていく。
さて。
また、私のショパンを弾くのに尽力しますか。