5月某日、東京都写真美術館で「記憶:リメンブランス」とTOPコレクション展を見ました。
本当は木村伊兵衛展と3本まとめて都写美たっぷりデーにするつもりだったのに、スケジュールを勘違いして2本のみになってしまった。自分のうっかりにガッカリ。あとブレッソン展はいつやるんですか?(八つ当たり
「記憶〜」の会期が今日までだったので、慌ててメモです。
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から
写真や映像が多様なアプローチで捉えようとしてきた「記憶」をテーマに、今年1月に亡くなった篠山紀信をはじめ、7組8名のアーティストたちの作品を紹介する展覧会。
その中から、米田知子をメモ。
【参加作家】篠山紀信、米田知子、グエン・チン・ティ、小田原のどか、村山悟郎*1、マルヤ・ピリラ、 Satoko Sai + Tomoko Kurahara
*1:コンセプト:池上高志(サイエンス)+ 村山悟郎(アート) 実装:Alternative Machine + Qosmo, inc.
米田知子は、写真を通して土地やものに宿る歴史的真実に迫り、詩的な感性をたたえた情景の背後に幾層にも重なる記憶を呼び起こす(ShugoArts)。
米田知子《〈Scene〉アイスリンク—日本占領時代、南満州鉄道の付属地だった炭鉱のまち、撫順》 2007
米田知子 〈DMZ〉絡まった有刺鉄線と花(非武装地帯近く・チョルウォン・韓国)Ⅱ 2015
静謐で詩的な画面は、タイトルを見てハッとする。
そんな過去や現実があるように見えない、ありふれた穏やかな景色。
だけど、そのようにして、ごくごく日常に人々の記憶や歴史は堆積していることを思い出させる。
>ちょっとまた隙あらばジ*リ語りですみませんが、アシタカが呪いをもらって村を出るシーンの背景美術が、神々しいでもなく不穏に包まれるでもなく、ただ淡々といつものように自然はそこにあるものとして描かれていたのを思い出します。それって実際そうだよなあと思うし、それでいて心の風が吹いたりと嘘はめちゃくちゃ大きくつくし、そういう緩急が大好きなところのひとつです(口角泡早口)
学生時代に呑気に飲み歩いてたら、この辺も昔は空襲で酷いことになったとか店の人に教えてもらったりして、私はいつもそんな過去の上を歩いているのだなと感じたことも思い出しました。
そしてその記憶や歴史は、その時やその場所、私とあなたでも変わる。
ひとつの直線上に続くものではなくて、インターステラーみたいに現れたり消えたり姿を変えたりしているような、幾重にも含まれた世界に生きているような気がしてきます。
米田知子《〈DMZ〉(未)完成の風景Ⅱ 》2015/2023
鏡を持った人物が立つのは、韓国と北朝鮮の間にある非武装地帯。
手に持つ鏡の中の風景と、その後ろに広がる風景。二つの国の景色がひとつの画面に収められている。
TOPコレクション 時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から
つづいてTOPコレクション、今回は「時間旅行」がテーマ。
ちょうど100年前に刊行された宮沢賢治著『心象スケッチ 春と修羅』の序文を手掛かりに、戦前、戦後そして現代へと、写真と映像による時空を超える旅に誘います。
構成は「1924年-大正13年」「昭和モダン街」「かつて、ここで」「20世紀の旅」「時空の旅」の5章。
『アサヒグラフ』昭和13-49年
桑原甲子雄《京橋区尾張町森永キャンデーストア銀座売店(中央区)》〈東京昭和十一年〉より
堀野正雄《(大東京の性格)》1930-1940
北野謙《溶游する都市 / 東京ドーム / 東京》1990
町って、普段は歩いてても変わらないようで、いつの間にかあっけなく変わってしまって、そうするともう、あんなに見慣れていたはずのそこが以前はどんなだったか思い出せなくなったりして、意外と、ずいぶんと脆いものを前提に生きているんだなと思います。
都写美のある恵比寿ガーデンプレイスの歴史にも触れられていて、ビール工場の写真がかっこよかったな。
宮本隆司《サッポロビール恵比寿工場》〈建築の黙示録より〉1990
…書ききれず雑ですが、などなど。
「記憶」と「時間旅行」、まさに写真が得意?なことかもしれないですね。
個人と世界のとある日を残す心象スケッチ。私という現象。
以前、ジャック=アンリ・ラルティーグが幼くして写真を撮り始めたきっかけは「幸福な日々が過ぎ去ってしまうことに耐えきれなかったから」という話を聞いて、とても印象的でした。
だって私は子供の頃にそんなこと考えもしなかったし、中学から写真を撮るようになったのも別に大切な瞬間を残したいとかじゃなかった。過去はどんどん忘れていくし、戻りたい時もないし、どちらかというと、写真も現実じゃないから惹かれたのだと思う。
そういう自分も今ではやっと、過去を残しておきたいという気持ちや記録の重要性が少しは理解できるようになった。それだけ取り戻せない時間や記憶が身に染みるお年頃になってきたということかな😅
だし、それだけ今が幸せということでもあるのかも。そういうことにしておこうもいもい
記憶:リメンブランス
―現代写真・映像の表現から
会期:2024.3.1(金)—6.9(日)
場所:東京都写真美術館 2F
料金:一般700円
写真・映像は、人々のどのような「記憶」を捉えようとしてきたのでしょうか。現場で記録するルポルタージュやドキュメンタリーだけでなく、時間や空間が隔てられていても、観る者の感覚を揺さぶり、想像力を拡張させることで目には見えない記憶を伝える試みも続けられました。それぞれが他者の記憶、あるいは時代に刻まれたイメージと観る者自身の記憶とを結び付ける写真・映像の特性を活かしたものでありながらも、作家たちのアプローチは多様です。 本展では、『決闘写真論』(1976 年)における篠山紀信の示唆を起点としながら、高齢化社会や人工知能(AI)のテーマに至る日本、ベトナム、フィンランドの注目される7 組8 名のアーティストたちの新作、日本未公開作を含む70 余点を紹介します。
TOPコレクション 時間旅行
千二百箇月の過去とかんずる方角から
会期:2024.4.4(木)—7.7(日)
場所:東京都写真美術館 3F
料金:一般700円
本展覧会は「時間旅行」をテーマとする東京都写真美術館のコレクション展です。人が様々な時代を自由に旅する「時間旅行」という発想は昔からよく知られたSF的なファンタジーですが、想像の世界や芸術の領域では、人は誰でも時間と空間の常識を飛び越えることが可能なのではないでしょうか。 詩人で童話作家の宮沢賢治が1924(大正13)年に刊行した『心象スケッチ 春と修羅』では、宇宙的なスケールの時間感覚の中で「わたくし」の心象、言葉で記録された風景、そして森羅万象とがひとつに重なりあったような「第四次延長」という世界が描かれます。その世界観は当時の最先端の科学や思想から影響を受けた宮沢賢治の想像力が生み出したものです。しかし百年前の詩人の言葉とそれを生み出した想像力には、現代という分断の時代を生きる私たちの心にも響く何かがきっとあるはずです。 本展は百年前である1924年を出発点として、「1924年–大正13年」「昭和モダン街」「かつて、ここで」「20世紀の旅」「時空の旅」の5つのセクションに分け、37,000点*を超える当館収蔵の写真・映像作品、資料を中心にご紹介します。「時間旅行」をテーマとする本展で鑑賞者は、それぞれの時代、それぞれの場所で紡ぎ出される物語と出会うことができるでしょう。また、本展は宮沢賢治による『春と修羅』序文の言葉をひとつの手掛かりとして、戦前、戦後そして現代を想像力によってつなぐ旅でもあります。写真と映像による時空を超えた旅を、どうぞお楽しみください。