テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本@パナソニック汐留美術館の続きです。
古代ローマと日本の「お風呂文化」を、絵画や彫刻、考古遺物でたどる展覧会。
今回は、古代ローマと日本のお風呂グッズについてメモです。
▼前編
古代ローマのお風呂グッズ
《同棲把手付ガラス壺》3〜4世紀 MIHO MUSEUM蔵
取手付きの可愛い小瓶。こういう瓶の中に石鹸がわりの粉を入れて湯に通う。
蓋がないのは仕様?蓋ないとひっくり返ってドバーッてなりそう。
《ストリギリス(肌かき棒)》前3〜前1世紀 ポーラ文化研究所蔵
垢すり棒。角度が違う物を使い分けたりする。
これ見るたび思うけど、こんなのでゴリゴリ掻いたら痛くないのかな?
展示では、この棒と小瓶と手桶をまとめて持ち歩けるテルマエセットもあった。
お風呂と医療:手足の奉納物
また古来、風呂が医療とも深く関わることから、外科器具や吸引具といった医療用品も見られたのだけど(英Wikipedia)、中でも興味深かったのが人の手足の模型。
治したい病をアスクレピオスやケレスなどの治癒神に願い、治ったら感謝のしるしに奉納されたもので、日本にも同様の奉納物があるのを思い出した。
手足をかたどった奉納物は世界各地にあるようで興味深い。
▼三方観世音のお手足
▼画像はこの展示より。面白かった。
日本のお風呂グッズ
歌川国貞(三代目歌川豊国)《江戸名所百人美女 御殿山》安政5年(1858)ポーラ文化研究所
たらいに湯を張り、湯に浸したぬか袋で体を拭く女性。
皮脂や汚れを浮き上がらせ、保湿効果のある油分を含む米ぬかは、今でも色々なスキンケア商品がありますね。
花王歴代のシャンプーと石鹸。
左上:チューブ入り花王フェザーシャンプー 昭和34年(1959)発売/左下:花王フェザーシャンプー 昭和30年(1955)発売/中央:花王シャンプー 昭和7年(1932)発売/右:花王石鹸 明治23年(1890)発売 すべて花王ミュージアム
石鹸は、天文年間(1532〜1555)にポルトガルから日本にもたらされ、明治維新後に国産石鹸の製造が本格化した。
桐箱入りは、そんな中で発売された高級国産石鹸。
かけそば1杯1銭だった時代に1個12銭もしたが、粗悪な国産か高級な舶来品しかなかった当時、高品質ながら求めやすいものだったそうだ(花王)。
一方、洗髪は、明治時代まで粘土やふのりで行われていた(海藻とかクレイシャンプーも今でもあるね)。
大正〜昭和期に粉状シャンプーが普及し、その後チューブ入りが登場するも、すぐに液体シャンプーに取って代わり現代に至る。
花王の広告とシャンプーの回数
展示外の余談だけど、そういえば毎日髪を洗う習慣も意外と最近のことで、花王シャンプーの広告が推奨する洗髪回数が時代で変化していったのを、前にどこかで見た。
▼見つけた
1枚目:シャンプーの広告(1932年)
— らび (@ibaruyan) May 4, 2018
2枚目:シャンプーの広告(1935年)
3枚目:シャンプーの広告(1965年)
4枚目:シャンプーの広告(1983年) pic.twitter.com/5bMLnEgUB5
「せめて月二回は!」と懇願しつつも洗わない髪は「他迷惑でございます」と手厳しい1932年から、わずか3年後には「御洗髪は一週一度!」っていつの間にか決定事項。圧強めな花王さん。
やがて「毎日」がうたわれるようになったのは、1983年。
ちなみに平安時代は年1回、江戸時代は多い女性で月1〜2回だったそう(花王)。
最後は、ケロリンコーナー🐸
ケロリン桶って最初は白だったんですね!汚れや傷が目立つので黄色に変わったのだそう。
「はじめは白色だったとは…」ルシウス同じこと言ってら
【関東と関西の違い】
ちなみに、ケロリン桶には関東用と関西用があるようで、違いを調べてみたら、かけ湯をして湯船に入る関西では手桶のようにも使うため、ひと回り小さいそうだ(ラジトピ)。
また、銭湯のれんにも地域差があり、東京は他地域より丈が短い。江戸っ子せっかちだから邪魔くさいのか?大阪は扉を開けてても中が見えないよう丈が長いそうだ(オーダーのれんの販売店)。
などなどでした♨️もいもい
テルマエ お風呂でつながる古代ローマと日本 [ 青柳 正規(東京大学名誉教授・山梨県立美術館館長) ]
テルマエ展
お風呂でつながる古代ローマと日本
会場:パナソニック汐留美術館
会期:2024.4.6.土~6.9.日
料金:一般1200円
【巡回予定】
神戸市立博物館👉2024.6.22.土~8.25.日
人類史上に輝く繁栄を誇った古代ローマ。なかでも日本人が深い関心をよせるものの一つがテルマエ(公衆浴場)であり、ヤマザキマリ氏による漫画『テルマエ・ロマエ』はテルマエへの親近感をより一層高めました。本展では、同漫画の主人公ルシウスが案内人となり、古代ローマのテルマエとともに、日本の浴場文化も紹介します。ルシウスが浴場をとおして日本と古代ローマを往復したように、それぞれの浴場文化を体感することのできる機会となるでしょう。