生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真@東京ステーションギャラリー

 

 

4月某日、生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真@東京ステーションギャラリーに行きました。

 

 

アマチュア写真家たちによる豊かな芸術表現が展開された大正・昭和戦前期に活躍し、日本写真史において傑出した存在として知られる安井仲治。

その活動の全貌を200点以上の作品を通じて紹介する、20年ぶりとなる回顧展です。

 

 

あれこれ未記録だけど、明日で終わってしまうこちらを駆け足で記録!ランニングダッシュ

 

 

チラシが2種類あっていただいてしまった!ワーイ🥳

安井仲治 僕の大切な写真展@東京ステーションギャラリーのチラシ
 
サムネイル
 

あと​今回、東京ステーションギャラリーの美術検定割引が再開されているのも確認できました。ワーイ🥳

 
 
学生中よりカメラにのめりこみ、早くに頭角を現して38歳で早逝するまで、多様な技法やスタイルを取り込みながら意欲的に撮り続けた安井。
芸術写真から新興写真前衛写真へと、写真史の当時をひとり駆け抜けるよう。
それでいてジャンルやルールにとらわれることなく、自身の作りたい画にこそ従っていたようでした。
 
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その点でも面白かったのが、コンタクトプリント
撮影時の様子が窺えるのでいつも見るのが好きなのだけど、安井のそれは、撮り方自体はナチュラルに感じたものの、ネガを反転したり大胆にトリミングしたりと自在に手を加えていて興味深かった。
 
《旗》1931

たとえば、大阪中之島公会堂前でのメーデーをとらえた、ルポルタージュ・フォトの先駆け的な連作。
ドラクロワとかのロマン主義絵画みたいに躍動的な画面は、コンタクトプリントを見ると大幅に切り取られて出来ていたりする。
 
《検束》1931
 
当時と現代ではカメラ事情も異なるとはいえ、微調整を超えるトリミングは厳禁!足を使え!数とパターンを撮れ!とその昔に扱かれたヒヨコからすると、そこまでしちゃう!?と驚くほどポーン
また、ブレを活かしたり合成を加えたりと、多様な技法を用いてもいる。
 
以下、ざっくり展示の流れです。

 

 

 

芸術写真

 

最初期の作品では、ピクトリアリズム(絵画主義)的な作風が見られた。

《クレインノヒビキ》1923
 
本作はピクトリアリズムの代表的な技法のひとつである、油性の顔料で描画するブロムオイルピグメント印画法の一種)を用いている。
 
「芸術写真」追求の機運が高まっていた1920年代、独特の柔らかさを持つ絵画風の写真が目指され、安井もこうした手法を駆使した。
写真表現の主潮が移り変わった後も、安井は新しい表現を取り入れつつブロムオイルへのこだわりも持ち続けるなど、独自の探究を続けた。
 
《分離派の建築と其周囲》1922
 
ソフトフォーカスで淡い画面の初期作。ハマスホイみたい。
目がハート<そういえばハマスホイも写真を参考にしていたというし、「写真に触発された絵画」と「絵画を目指した写真」が生まれた時代…なんて歯がゆい両片思い!(?
 
 

 

新興写真

 

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(凝視)1931
 
10代で関西の名門写真団体「浪華写真倶楽部」に入門、20代半ばで関西写壇の中心的存在となり、全国的な活躍を見せていた安井。
 
そんな折の1931年に開催された「独逸国際移動写真展」は、日本写真界に衝撃を与えるものだった。
マン・レイモホリ=ナジなどの前衛的な写真が紹介され、写真表現は芸術写真から「新興写真」へと主流が変わる。
 
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《即興》1935
 
絵画の追従から、写真のみができる表現を目指した時代。
写真の特性を活かして、極端な角度のアングルフォトグラムフォトモンタージュなどの新技法が用いられ、安井もこれらを試みた。

 

 

前衛写真

 

(背広)c.1938
 
日本の写真史上、ひとつのピークを迎えていた1930年代。
'30年代半ばになると、新興写真は「前衛写真」という新たな展開を迎え、安井もその主導的作家のひとりとなる。

 

シュルレアリスムの理論を積極的に取り入れ、写真の精緻な写実を逆用することで、物体の中にひそむ驚異や、存在すること自体の秘密といった現実そのものの幻想を現出する(わくわく🤩
 
《構成 牛骨》c.1938

 

 

 

収まりきらない代表作

 

一方で、それら特定のジャンルに収まりきらない作品も。
 
《蛾(二)》1934
 
窓にとまった蛾など、小さな生き物に向かうカメラ。光を通した羽が儚く美しい。
この章の写真は、透かした光がしばしば美しかった。*1
 
(陽光(1))1932-39
 
代表作も多く並ぶ3章、ほかにも色々書ききれないので下記に個人メモ。*2
 
 

 

戦時社会で

 
1937年の日中戦争開戦後、写真家も活動を制限されていく。
安井は戦時社会を生きる人々を撮り、その悲哀と全体主義の滑稽さを巧みに描き出した。*3
 
《流氓ユダヤ 窓》1941
杉原千畝の「命のビザ」で神戸に逃れてきたユダヤ人をとらえたシリーズ。*4
 

《犬》1939

掲示板に貼られた野球速報と戦況報道。
 
 
 
…などなど。

駆け足でいつも以上にまとまりないけど、このへんでランニングダッシュもいもい

 


 

安井仲治作品集 [ 安井 仲治 ]

 

生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真
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会期:2024.2.23.金〜4.14.日
会場:東京ステーションギャラリー
料金:1300円


東京ステーションギャラリーでは、「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」展を、2024年2月23日(金・祝)から4月14日(日)まで開催します。日本写真史において、傑出した存在として知られる安井仲治の20年ぶりとなる回顧展。戦災を免れたヴィンテージプリント約140点、ネガやコンタクトプリントの調査に基づいて制作されたモダンプリント約60点のほか、さまざまな資料を展示。安井の活動を実証的に跡付け、写真の可能性を切りひらいた偉大な作家の仕事を現代によみがえらせます。

 

*1:同様の感じで、タコの写真が特に気に入った🐙。タコの足のひだに光が透けて、タコの形状の奇妙さと光の美しさの組み合わせがよかった。画像がなく残念。小さな生き物にカメラが向かったこの頃、安井は子供の誕生や弟妹の死などを迎えた。

*2:代表作のうち、犬の目が直視しがたい《犬》1935、模倣者が続出したという《海浜》1936など(斜めに傾いた灯台、地面にカゴ、その向こうに小さな黒い人影が予兆的)。

*3:ほかに「白衣勇士」を撮った数枚も時代を思わせた。「報国」「文化協力」が叫ばれた時代、戦傷病者の家郷に送るため、そして快適な療養生活を一般にアピールするため陸軍に“奉納”された。また、検閲を受けて一部ページが切り取られた安井の私物の『ライフ』誌など。

*4: 同時期のサーカスを追ったシリーズにも、流浪するものとしての哀愁やしたたかさ。


【その他】

人物:筋肉の陰影が渋いミケランジェロ爺さん《農夫喫煙》、ゴッホみたいでかっこいい《或る船員の像》、べったり濃厚な黒で荒いけど細やかな《農夫》1927(オイルトランスファーか)など。一方で、女性の写真に添えられたぼやきも面白かった😂「木や草を撮っている方が性に合う。女優は10かそれ以上を出し切るので絞り出す美がない。といって深窓の麗人も困る」

半静物:静物を組み合わせ、現実と超現実のあわいを現出させる。独自のデペイズマン的試み(103,105など)
磁力の表情:ガラス乾板に鉄粉を撒き、その下に磁石を置く。それをネガにしてプリント。いろんなことやっている。特にNo.159はルドンやクレーを思わせて可愛らしい。