アップしそびれてたサティ展@Bunkamuraの備忘録その2です。
その1はこちら→エリック・サティ展メモⅠ:スポーツと気晴らし
美術の方では、モンマルトルでのカフェのピアノ弾き時代を象徴してロートレックやスタンランのポスターから始まり、20世紀に突入してブランクーシ、マン・レイのオブジェまで並ぶ。
サティがマン・レイやブランクーシと交流があったとは知りませんでした。
正直、サティって変人だ変人だって聞いてたので(音楽的なところ以外でも)、どんだけ変人なのかなって思って来たけど、変人ぶりを期待しすぎたのか、本展の内容では私にはそこまで変人なのかよくわからなかったんですが、そんな中でマン・レイと親しかったというのは、なかなかの変人ポイントだと思えました笑
↓だってただのヘンタイにしか見えないマン・レイ氏である。

(ブランクーシとサティは、古代ギリシアへの関心や作品の単純性といった共通点があったという)
マン・レイとは、《休日休演》というバレエ作品でもコラボしていました。

フランシス・ピカビア 《「本日休演」の楽譜の口絵》 1926 フランス国立図書館
こちらはそのバレエの楽譜の口絵で、看板のようなものを持って腰かけているのがサティ。
そこには、「全てを説明するという習慣を脱ぎ捨てるのはいつかね?」と書いてある。ステキ!
しかしその横にいるのは演者らしいが、帽子いっちょというヘンタイスタイル。説明を脱ぎ捨てると人はヘンタイになるということか。(違うと思う
まったく、さっきからヘンタイばかりである。
本作のストーリーにほぼ筋はなく、振りつけもアドリブが多いダダ的な作品とのこと。
幕間に流した無声映画には、サティもデュシャンらと登場していて、その映画を撮影している様子の写真などが展示されていました。

そういえばサティはよく《犬のためのぶよぶよとした前奏曲》など風変りな題名もあって、それもちょっとダダとかシュルレアリストみたいだと思いましたが、こうした芸術家との交流で互いに影響し合ったりしたんでしょうか。
題名で作品を判断しようとする人々への皮肉を込めていたともいわれるようですが、もいごときなりにその気持ちわかる気がするというか、そういうデタラメへんてこ好きだ(o^∇^o)
コクトー台本、サティ作曲、ピカソが舞台美術を手がけたバレエ「パラード」についても展示があった。
あとあと、サティが五線譜に描いたヴァラドンのイラストも見られた(o^∇^o)
ユトリロとヴァラドン展でその複雑な関係を見てきたばかりなので、ムフフでございました(*ΦmΦ)
ついでに、ミゲル・ユトリロ(彼がモーリス・ユトリロを認知したが実父ではない模様)が描いたサティの肖像画もありました。
サティは、このミゲルを通してヴァラドンと出会い、生涯一度の恋をして、300通ものラブレターを書くことになったようですね。
しかし残念ながら半年で失恋した後、その悲しみと諸々による失意※から、心のよりどころとして自分だけの教会を設立したというサティ。
名付けて「導き手イエスの芸術大司教座教会」なるもので、信者はサティ一人だけ。
そこに、つまり自分宛てに手紙を書いていたそうで、そちらも展示されていました。
本当に手紙書くのが好きな人だったんですね。
でも偉くなるとこんなものまで死後も晒されちゃうから大変だ笑
サティはこの教会のために、『貧者のミサ』というパイプオルガンと聖歌隊のためのミサ曲も制作している。
あとは、好きなアルフォンス・オスベールの作品もいくつかあったのが嬉しかった❀ヽ(ˉ▿ˉ)ノ❀
パリで伝統的な美術を学び、1880年末頃にスペイン旅行から戻った後に作風が劇的に変化。
光の研究がドニやシャヴァンヌ風へと向かわせた。

(画像)インターネットミュージアム
※薔薇の十字会のペラダンと決裂したこと。サティは、ワーグナー崇拝者のペラダンの十字会に聖歌隊長に任命されるが、正反対の美学を持っていた。『薔薇十字会のファンファーレ』『星の子たち』などを制作するも、もともと美学の異なるふたりはやがて袂を分かつことに。一方、オスベールは美学的にペラダンに近くなり、十字会にも参加した。
才能はあるが怠惰と評された学生時代のこと、個人的には特に関心のある「家具のような音楽」のルーツでもあるカフェのピアノ弾き時代のことなど、書き残し諸々ですがここまで。
サティに限らず、この時代は美術も音楽も文学もかなり密接に関わっていたようですね。
他の世紀末の画家の展示などでも度々その様子がうかがえて、ジャンルを超えて芸術家たちが語り合ったり認め合ったりしていた様子を見るととても楽しそうで刺激的で、いいないいな素敵だな~と身悶えてしまいます!
またこういう音楽×美術の展示があるといいな。
聖歌とキリスト教絵画とか、ジャズ・エイジとアール・デコとか…いろいろ!おもしろそう!
ではでは~もいもい
もいメモ
今回の鑑賞をきっかけに、中学生の頃なぜピアノの先生が私にドビュッシーを勧めたのか、いかにお見通しだったのかにようやく気付かされる機会を得た。いったい今までいくつの大事なものの前を気づかずに通り過ぎていたことだろう。すぐそこを、何度も何度も無邪気に盲目に。大事なものっていうのは実はもう出会っていて、再会する時にようやく目に見える。ああ、あなただったのか!と気づくと同時に、ずっとそこで待ってくれていたことに、繋がっていたことにたまらなくなるんだとかそんなことに気づかされた展覧会だった。唐突に意味不明だけど記しておかなければと思ったなんかもうとりあえず私はがんばる。

美術の方では、モンマルトルでのカフェのピアノ弾き時代を象徴してロートレックやスタンランのポスターから始まり、20世紀に突入してブランクーシ、マン・レイのオブジェまで並ぶ。
サティがマン・レイやブランクーシと交流があったとは知りませんでした。
正直、サティって変人だ変人だって聞いてたので(音楽的なところ以外でも)、どんだけ変人なのかなって思って来たけど、変人ぶりを期待しすぎたのか、本展の内容では私にはそこまで変人なのかよくわからなかったんですが、そんな中でマン・レイと親しかったというのは、なかなかの変人ポイントだと思えました笑
↓だって

(ブランクーシとサティは、古代ギリシアへの関心や作品の単純性といった共通点があったという)
マン・レイとは、《休日休演》というバレエ作品でもコラボしていました。

フランシス・ピカビア 《「本日休演」の楽譜の口絵》 1926 フランス国立図書館
こちらはそのバレエの楽譜の口絵で、看板のようなものを持って腰かけているのがサティ。
そこには、「全てを説明するという習慣を脱ぎ捨てるのはいつかね?」と書いてある。ステキ!
しかしその横にいるのは演者らしいが、帽子いっちょというヘンタイスタイル。説明を脱ぎ捨てると人はヘンタイになるということか。(違うと思う
まったく、さっきからヘンタイばかりである。
本作のストーリーにほぼ筋はなく、振りつけもアドリブが多いダダ的な作品とのこと。
幕間に流した無声映画には、サティもデュシャンらと登場していて、その映画を撮影している様子の写真などが展示されていました。

そういえばサティはよく《犬のためのぶよぶよとした前奏曲》など風変りな題名もあって、それもちょっとダダとかシュルレアリストみたいだと思いましたが、こうした芸術家との交流で互いに影響し合ったりしたんでしょうか。
題名で作品を判断しようとする人々への皮肉を込めていたともいわれるようですが、もいごときなりにその気持ちわかる気がするというか、そういうデタラメへんてこ好きだ(o^∇^o)
コクトー台本、サティ作曲、ピカソが舞台美術を手がけたバレエ「パラード」についても展示があった。
あとあと、サティが五線譜に描いたヴァラドンのイラストも見られた(o^∇^o)
"Satie portret Valadon 1893" by Creator:Erik Satie - Book: Эрик Сати, Юрий Ханон. Воспоминания задним числом. Центр Средней Музыки. С-Петербург 2009. archives de --FinitoR. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
ユトリロとヴァラドン展でその複雑な関係を見てきたばかりなので、ムフフでございました(*ΦmΦ)
ついでに、ミゲル・ユトリロ(彼がモーリス・ユトリロを認知したが実父ではない模様)が描いたサティの肖像画もありました。
サティは、このミゲルを通してヴァラドンと出会い、生涯一度の恋をして、300通ものラブレターを書くことになったようですね。
しかし残念ながら半年で失恋した後、その悲しみと諸々による失意※から、心のよりどころとして自分だけの教会を設立したというサティ。
名付けて「導き手イエスの芸術大司教座教会」なるもので、信者はサティ一人だけ。
そこに、つまり自分宛てに手紙を書いていたそうで、そちらも展示されていました。
本当に手紙書くのが好きな人だったんですね。
でも偉くなるとこんなものまで死後も晒されちゃうから大変だ笑
サティはこの教会のために、『貧者のミサ』というパイプオルガンと聖歌隊のためのミサ曲も制作している。
あとは、好きなアルフォンス・オスベールの作品もいくつかあったのが嬉しかった❀ヽ(ˉ▿ˉ)ノ❀
パリで伝統的な美術を学び、1880年末頃にスペイン旅行から戻った後に作風が劇的に変化。
光の研究がドニやシャヴァンヌ風へと向かわせた。

(画像)インターネットミュージアム
※薔薇の十字会のペラダンと決裂したこと。サティは、ワーグナー崇拝者のペラダンの十字会に聖歌隊長に任命されるが、正反対の美学を持っていた。『薔薇十字会のファンファーレ』『星の子たち』などを制作するも、もともと美学の異なるふたりはやがて袂を分かつことに。一方、オスベールは美学的にペラダンに近くなり、十字会にも参加した。
才能はあるが怠惰と評された学生時代のこと、個人的には特に関心のある「家具のような音楽」のルーツでもあるカフェのピアノ弾き時代のことなど、書き残し諸々ですがここまで。
サティに限らず、この時代は美術も音楽も文学もかなり密接に関わっていたようですね。
他の世紀末の画家の展示などでも度々その様子がうかがえて、ジャンルを超えて芸術家たちが語り合ったり認め合ったりしていた様子を見るととても楽しそうで刺激的で、いいないいな素敵だな~と身悶えてしまいます!
またこういう音楽×美術の展示があるといいな。
聖歌とキリスト教絵画とか、ジャズ・エイジとアール・デコとか…いろいろ!おもしろそう!
ではでは~もいもい


今回の鑑賞をきっかけに、中学生の頃なぜピアノの先生が私にドビュッシーを勧めたのか、いかにお見通しだったのかにようやく気付かされる機会を得た。いったい今までいくつの大事なものの前を気づかずに通り過ぎていたことだろう。すぐそこを、何度も何度も無邪気に盲目に。大事なものっていうのは実はもう出会っていて、再会する時にようやく目に見える。ああ、あなただったのか!と気づくと同時に、ずっとそこで待ってくれていたことに、繋がっていたことにたまらなくなるんだとかそんなことに気づかされた展覧会だった。唐突に意味不明だけど記しておかなければと思ったなんかもうとりあえず私はがんばる。
ダダ・シュルレアリスムの時代 (ちくま学芸文庫) [ 塚原史 ]