Felix Vallotton《Sleep》1908,Musee d Art et d Histoire Geneva 画像:Wikiart


昨夜の日曜美術館、ヴァロットンやっていましたね。なんかやたらサスペンスフォーな音楽でしたけど笑
すごく個人的なことですが思ったことを少しメモ。


「心の奥底に悪を潜めているのに、そうとは認められない人のために描く」というようなことをヴァロットンは言っていたとありました。
この言葉でなんとなく、ヴァロットンに惹かれた理由のひとつが解かれた気がします。
低温で硬質で不感症的でさえあるのに、その内側ですごくジクジクしているようにも見えるわけのひとつも、たぶん。
矛盾と混沌をさらりと始末することでむしろゴロンと剥き出しにしているようなところは、我がお師匠様と近いものがあるのかもしれない。
でも少し違うのは、非現実感かな。「非」というより「異」というほうが近いように思うけど。

いつも顔を合わせている身近な人が、ふと全く知らない別人というか、生き物に見えたりするような。(そんな感覚ないって言われてしまったこともあるんですが…)
たとえば引っ越したての家とか旅先のホテルで朝目を覚ました時とか、一瞬、あれココどこだっけ?って思いますよね。急速に世界から突き放されたような。ああいうのに近い感覚で、「そこにいるのに、その外側から自分や周囲を傍観しているような感覚」とか「いつもと同じはずなのに、全く違う顔を見せる瞬間」みたいなのって、形や程度は違えど誰しも体験していると思います。

そうした感覚が、厳格な家庭から享楽的なパリへやってきた異邦人(もちろんそれだけじゃないけど)のヴァロットンにも日常的にあったとすれば、なんとなくひとつの納得と共感をおぼえます。
あの覗き見的といわれる視点や浮遊感は、だから奇妙なのになんだか知ってる感じがするんだなと。
などと手前勝手なことをつらつら思いました。


お尻の話も出ていましたね。ぜひタモリさんの意見が聞きたいなと思いました笑
あ、ヴァロットンが変態ってそういう意味か?
タモさん好きな人はヴァロットンも好きかもしれないですね。(適当



ではでは~もいもいshokopon