紆余曲折 -23ページ目

海綿体

を、伸ばそう伸ばそうと鍛えたら性欲がすごい。余談である。



このあいだうっかり図書館でセンセーが借りてる本に「そいつを返せ。そして俺に貸せ」と催促をしていたら、友人数名にちゃっかりお部屋に上がられていた。


ごめん。あれは、俺が悪い。


ていうか机の上にネタ出ししてるらくがき紙とか放ったらかしにしてたのは本当に恥ずかしい。


足跡は歴史にあらず。

足跡と足跡の間こそが歴史であり、辿り着き難い真実である。


という言葉を思い出した。

もとい、思い付いた。

意外ーと的を射ていると思う。へへへ。でも意味はわからない。


他にも何かヅラとか放置してたっぽい。

どーでも良い、と思っていたけど、思い返せばやっぱりあれも放ったらかしにするものではない。

高校の友達が来たとき床にボッスァなってたけど。


留守中に鍵を掛けないで過ごすとはそういうことだ。


そう


勝負パンツを履く日は、念入りに歯磨きすんのと同じ。



卵の賞味期限が近い。

オムライス祭りだ。



全て、余談である。


ジェニアス

「才能」を論ずることはヒマで無気力な者の特権である。

「才能」と「天才」の2つを引っ張り出してきて言葉遊びには事欠かないからして。


思うに、ある分野で活躍しているひとをひとまとめにして天才と称するのは違う気がする。逆に天才と呼ばれる人は全て才能が無い人なんじゃないのかと。


持っている技術、伸ばしてきたスキルを「そこで殺している」からで、自分の持ち物を「他に生かす」ことをしていない。キャパシティがぱつんぱつんだと。


本当に天才というやつが居るとして、例えば絵。

絵の天才は画家ではなく美容師や建築士や彫刻師だと思う。

あいつらめちゃくちゃ上手いのにそれがただの「1つの要素」で済んでる。

自分に絵の才能があるという人はそこで終わらず何か別の事に生かす方向へ行けば良い。

ないという人は描くためだけに描いていれば楽しい。

逆にも言える。

描くためだけにしか描けない、他のことに生かす余裕が無いならそこで骨を埋めるしかないのだと。

他の分野でもいっしょ。


そら、天才なんて居なくなった。


どういう目線でどんだけやってきたかという事だけが大事で、結局最初から判っていたのは才能の有無を気にしている性根では少なくとも天才達の仲間入りはできないと言う事ですなと。


僕は自分含め「才能」という言葉を口にした人は間違いなく凡才だと思っています。

お前目線だと凡才しかいねーじゃねーかってな。


そのくらい一握りのものでしょ。天才って。

ほんとに居ない。

誰も天才じゃあない。


ということは皆天才なんじゃねーの?

良かった良かった。


やってるかやってないかって、そこだけで。

失態


紆余曲折-吐瀉物のような  レンジでカレー温めようとしたらぶわー!


ぶちまけるってこういうことか!


他の失敗もこれくらい派手だと判りやすい。


くそっ。