中絶をしたあとの気持ちの整理がつかず、水子供養をしたい……という思いは本物だと思うし、すること自体を否定しているわけではないのです。宗教者の側も苦しんでいる人の心のなぐさめになってほしいと、真摯な気持で水子供養という「新しい儀式」を取り上げるようになった方々も大勢いらっしゃいます。
ただ、「中絶をしたこと=悪」という公式は数学のように必ずなりたつ真実ではないと気づいてもらえたら……と思うのです。中絶を悪にしているのは社会の側です。中絶は「罪悪視」されているのであって、もしあなたが「罪悪感」を覚えているとしたら、それは社会の側からあなたを攻めてくるまなざしをあなたが内面化しているだけだということに気づいてほしいと思います。
世の中に絶対的な「悪」などありません。何が悪であるのかは文化が作り上げています。
以前、わが家に短期間ホームステイしていたロシア人の英語教師の女性は、「ロシアでは、もしや妊娠しているのではないかと疑ったら、次の生理が来る頃に吸引してもらいに行く」とあっけらかんとして話してくれました。もしその時に受精卵があったとしたら経血もろとも吸い出されてしまい、受精していなかったとしたら単に次の回の月経血を一気に吸い出してしまうだけだというのです。
また、かつての中国は人口増に悩んで「ひとりっこ政策」を取り、「中絶はあたりまえのこと」と喧伝して人々の意識を変えることに努め、実際、「中絶に対する罪悪視」はほとんどなくなってしまいました。
十数年前に大学院に入った頃、20代前半の中国人留学生の女性から「中絶ダイエット」のことを教わりました。当時の中国では、中絶をした時の女性のからだのホルモンバランスの激変を利用して、中絶後に大汗をかくような運動をして「激やせ」するのが流行っているのだと、インターネットのサイトを見せてくれました。中国語は読めなかったけど、中絶に対するうしろめたさなど全く感じられない明るくコミカルなイラストに本当にびっくりさせられたものです。
ところがつい最近、ひとりっこ政策が進み過ぎて、将来的な労働者不足が問題になってきたそうで、そのとたん、中国政府は医学的理由による中絶以外は厳禁し、「中絶は悪いこと」だとするキャンペーンを始めたようです。
実は日本にも同様の事情がありました。第二次世界大戦敗戦後のベビーブームで、人口爆発が懸念されたとき、日本の政府は中絶を合法化し、避妊を普及させようとしました。ところが、1960年の高度経済成長期に人手不足がささやかれるようになったとたんに、当時の首相の佐藤栄作氏が「日本は海外から堕胎天国と言われている。汚名返上しなければならない」と言いだして、「中絶は悪いことだ」とするキャンペーンを開始しました。佐藤首相は、1971年に秩父の山奥に作られた水子供養専門寺院紫雲寺にも参列しています。この寺の住職は、元右翼の大物だったと言われています。
翌年、与党から優生保護法から「経済条項」を削除する法案が出されました。それまで「経済的理由」を拡大解釈することで、ほとんど自由に中絶ができていたのですから、女性たちはこの法案に強く反発し、にわかに中絶論争が始まりました。その過程で、「中絶は悪」「中絶は胎児殺し」「中絶は女の罪」といった観念が、マスメディアを通じて国中に広がっていったのです。
それから半世紀が過ぎた今も、中絶に対するスティグマ(悪の烙印)は今も健在であるばかりか、「命の教育」などを通じて「胎児の生命尊重」といった観念が教え込まれるようになって強化されています。そのために、現在、妊娠で困るような世代の人々は、自分が中絶をすることに対して、以前の世代よりずっと強い抵抗感をもっているようです。
だけど世界を見渡してみると、どの国でも中絶は女性の3、4人に1人が必要とするあたりまえの医療なのです。特に、中絶薬が開発され、広く使われるようになった現在は、かつて中絶を厳禁していたカトリックの国々などでも、中絶観はさまがわりし、中絶の合法化が進んでいます。
現在、日本でも中絶薬の承認に向かう動きがあるようですが、この安全な中絶の手段が日本でも広く普及して、何の障壁もなく、妊娠で困る人々の手に速やかに届くようになってほしいと願っています。
中絶薬はゲームチェンジャーだという言い方もされているようです。世界では、この薬が登場し、しかも女性が自分でのめるようになったことで、うしろ暗くて残酷な「中絶手術」のイメージが払しょくされつつあるのです。