ここを読んでくださっているみなさま、ありがとうございます。

 

ずいぶん久しぶりの投稿になってしまいました。ここ2年ほどは経口中絶薬の承認にまつわる様々な活動でてんてこ舞いで、カウンセリングの方になかなか時間を取ることができませんでした。

 

その間、何度かカウンセリング枠を設定してほしいというリクエストをくださった方々もいたのですが、私の側の予定がつかず、結局、お話しできないあいだに決断の期限が来てしまった方もいたのではないかと、本当に申し訳なく思っています。

 

日本全国で、毎日、大勢の人たちが「中絶」について考えたり悩んだりしているのだと思いはせると、自分のできることのあまりの小ささに、めまいがしそうです。

 

それでも、昨年も乏しいセッション数の中から、何人かの相談者さんが良かったという体験談を書いてくださって、励まされました。

 

一方、2022年にアマゾンKindleで、『中絶のスティグマをへらす本: 「産まない選択」にふみきれないあなたに』という本を出しています。素人装丁でお恥ずかしいのですが、カウンセリングを受けられなくても、中絶の悩みを自力で解消できる人が一人でも増えてほしいと思って書きました。ワンコイン500円で読めるようにしました。ペーパーバック版もあります。中絶を経験した当事者だけでなく、当事者を見守っている立場にある方々にもぜひ読んで頂ければ幸いです。

 

 

日本で中絶を受ける人々は、あまりにも不当に苦しめられていると私は考えています。この状況を変えるために何かをしたいと思っている方は、ぜひご連絡ください。一緒にアクションしていきましょう!

 

 

この国で中絶のために苦しむ人を一人でも減らしていくことが、私の願いです。

 

みなさま

 

昨年は中絶薬申請の結果がどうなるかという不確定要素があって、いろいろと引き合いがあり、カウンセリングの方は十分に時間を使うことができませんでした。でも、改めて感想を書いてくださった皆様の言葉に励まされ、今後も中絶問題で悩んでいる人(今から受けるかどうかを考えている人、過去の中絶の苦しみから抜け出せない人)に、できる限りカウンセリングを提供していきたいと思っています。

 

 

 

 

こんな私でよければ、お話しを伺います。今、使っているシステムのカウンセリング料金が高いのがたいへん申し訳ないのですが、他の仕事もかなり詰まっているため、こちらのシステムを使わせて頂いていること、どうかご了承ください。

 

お金もないし、どうにもならないと追い詰められている状況の方も、ご相談いただければ、どこまでできるかはわかりませんが、精いっぱいサポートします。

 

できるだけ早い段階で相談していただければ、選択肢も増えます。悩んで悩んで、日本の合法的中絶が可能な妊娠22週直前……というのは、解決策がとても限られますので、できるだけ早く(まだ産むか、産まないかも決められずにいる段階でも)ご相談いただけると、可能性が広がります。

 

一人でも多くの「困った妊娠」をしてしまった方に、少しでも力を与えられたら……と思っています。

 

今年もどうぞよろしくお願い致します🙇

Piccolare Annual Report 2020

特定非営利活動法人ピッコラーレの2020年度活動報告書が届きました。

 

2020年2月から中絶後の相談に特化した窓口を作ったとのこと。翌年3月まで42名の相談者、延べやりとり188回があったそうです。半数が20代、3分の1が30代、中絶回数が1回の人が85%を占めていました。

相談メールに綴られている痛ましい言葉の数々が紹介されていて……読んでいて胸が苦しくなりました。

 

私自身にも覚えがあります。「自分が殺した」「中絶したことを決して忘れてはならない」「わたしには幸せになる資格はない」「一生背負っていかなくてはならない」……わたしもかつてはそんな風に思いつめ、自分を責めてばかりいました。

 

個人的には、2つ下のきょうだいや幼いいとこたちの世話をしながら育ってきたことなど、育ち方の影響もだいぶ大きかったと思います。だけど最近の若い世代の中絶に対する罪悪視と拒否感は、わたしを含めた現在の中高年よりも強いような気がしてなりません。

 

2014年に書いた本の中で、小中学校の理科で「人間の胎児の成長」について学ぶようになったことが中絶へのスティグマを強めているのではないかとわたしは指摘しています。先日、ある大学生から、「まさにあの本に書いてあるような教科書で学んできた。それが自分の中絶観に影響していると思う」と言われて、ああやっぱり危惧していたとおりだったかと立ちすくむ思いでした。

 

もちろん、先生の教え方によってだいぶ効果は変わってくるとは思いますが、まだ受精卵のころから「胎児」を一個の生命体であるものとして受け止め、何もしなければすくすくと育って行ってわたしたちと同様の「人間」の赤ちゃんとして生まれてくる……という認識は、中絶を必要以上に悪いものとして感じさせます。実際には、たとえ受精して、子宮内膜に着床したとしても、2割くらいは流産してしまうのが人間のいのちなのです。

 

海外ではここ数年のあいだにいくつものカトリックの国々が中絶を合法化したり、規制を緩和したりしています。かつては「胎児の権利」が「女性の権利」と同等の重みで憲法に書き込まれていたアイルランドさえも、2018年に国民投票で「胎児の権利」という文言を削除して、女性の中絶の権利を保障するようになりました。2019年3月にWHO(世界保健機関)がコロナのパンデミック宣言を行い、その直後に国際産婦人科連合がパンデミックの最中について「中絶薬のオンライン処方と自宅における中絶薬の服用の解禁」を宣言したとたんに、アイルランドは中絶薬のオンライン処方と自宅服用を採用した最初の国の一つになりました。

 

海外でそのような変化が生じている理由のひとつは、中絶薬が開発されたことで、とても早いタイミングで(まだ「胎児」になる前に)人工的に流産を引き起こせるようになったことだと考えられます。薬を使った流産で起こることは自然流産と全く変わらないのです。場合によっては、放っておいてもこの妊娠は自然に流れていたかもしれないかもしれない……という可能性は、中絶薬を服用する女性たちの苦悩をやわらげてくれるかもしれません。

 

日本でも、今年末には中絶薬が承認される見込みです。この薬が導入されることで、中絶に対する人々の見方が和らいでいき、苦しめられる女性が一人でも減ることを願わずにいられません。

中絶をしたあとの気持ちの整理がつかず、水子供養をしたい……という思いは本物だと思うし、すること自体を否定しているわけではないのです。宗教者の側も苦しんでいる人の心のなぐさめになってほしいと、真摯な気持で水子供養という「新しい儀式」を取り上げるようになった方々も大勢いらっしゃいます。

 

ただ、「中絶をしたこと=悪」という公式は数学のように必ずなりたつ真実ではないと気づいてもらえたら……と思うのです。中絶を悪にしているのは社会の側です。中絶は「罪悪視」されているのであって、もしあなたが「罪悪感」を覚えているとしたら、それは社会の側からあなたを攻めてくるまなざしをあなたが内面化しているだけだということに気づいてほしいと思います。

 

世の中に絶対的な「悪」などありません。何が悪であるのかは文化が作り上げています。

 

以前、わが家に短期間ホームステイしていたロシア人の英語教師の女性は、「ロシアでは、もしや妊娠しているのではないかと疑ったら、次の生理が来る頃に吸引してもらいに行く」とあっけらかんとして話してくれました。もしその時に受精卵があったとしたら経血もろとも吸い出されてしまい、受精していなかったとしたら単に次の回の月経血を一気に吸い出してしまうだけだというのです。

 

また、かつての中国は人口増に悩んで「ひとりっこ政策」を取り、「中絶はあたりまえのこと」と喧伝して人々の意識を変えることに努め、実際、「中絶に対する罪悪視」はほとんどなくなってしまいました。

 

十数年前に大学院に入った頃、20代前半の中国人留学生の女性から「中絶ダイエット」のことを教わりました。当時の中国では、中絶をした時の女性のからだのホルモンバランスの激変を利用して、中絶後に大汗をかくような運動をして「激やせ」するのが流行っているのだと、インターネットのサイトを見せてくれました。中国語は読めなかったけど、中絶に対するうしろめたさなど全く感じられない明るくコミカルなイラストに本当にびっくりさせられたものです。

 

ところがつい最近、ひとりっこ政策が進み過ぎて、将来的な労働者不足が問題になってきたそうで、そのとたん、中国政府は医学的理由による中絶以外は厳禁し、「中絶は悪いこと」だとするキャンペーンを始めたようです。

 

実は日本にも同様の事情がありました。第二次世界大戦敗戦後のベビーブームで、人口爆発が懸念されたとき、日本の政府は中絶を合法化し、避妊を普及させようとしました。ところが、1960年の高度経済成長期に人手不足がささやかれるようになったとたんに、当時の首相の佐藤栄作氏が「日本は海外から堕胎天国と言われている。汚名返上しなければならない」と言いだして、「中絶は悪いことだ」とするキャンペーンを開始しました。佐藤首相は、1971年に秩父の山奥に作られた水子供養専門寺院紫雲寺にも参列しています。この寺の住職は、元右翼の大物だったと言われています。

 

翌年、与党から優生保護法から「経済条項」を削除する法案が出されました。それまで「経済的理由」を拡大解釈することで、ほとんど自由に中絶ができていたのですから、女性たちはこの法案に強く反発し、にわかに中絶論争が始まりました。その過程で、「中絶は悪」「中絶は胎児殺し」「中絶は女の罪」といった観念が、マスメディアを通じて国中に広がっていったのです。

 

それから半世紀が過ぎた今も、中絶に対するスティグマ(悪の烙印)は今も健在であるばかりか、「命の教育」などを通じて「胎児の生命尊重」といった観念が教え込まれるようになって強化されています。そのために、現在、妊娠で困るような世代の人々は、自分が中絶をすることに対して、以前の世代よりずっと強い抵抗感をもっているようです。

 

だけど世界を見渡してみると、どの国でも中絶は女性の3、4人に1人が必要とするあたりまえの医療なのです。特に、中絶薬が開発され、広く使われるようになった現在は、かつて中絶を厳禁していたカトリックの国々などでも、中絶観はさまがわりし、中絶の合法化が進んでいます。

 

現在、日本でも中絶薬の承認に向かう動きがあるようですが、この安全な中絶の手段が日本でも広く普及して、何の障壁もなく、妊娠で困る人々の手に速やかに届くようになってほしいと願っています。

 

中絶薬はゲームチェンジャーだという言い方もされているようです。世界では、この薬が登場し、しかも女性が自分でのめるようになったことで、うしろ暗くて残酷な「中絶手術」のイメージが払しょくされつつあるのです。

 

ラーニングは学ぶこと、アンラーニングは学んだことを意識的に捨てること、特に悪い癖やまちがった考え方を矯正することを意味しています。

 

中絶したことで悩んでいる人は、中絶という選択そのものよりも、たいていこの日本社会で中絶に与えられているさまざまなスティグマ(悪の烙印)のために苦しめられているのです。

 

中絶は女性の罪だという見方があります。そういう見方を広めるのに一役買ったのが1970年代以降の水子供養でした。「1970年代以降の」と言ったのには意味があります。水子供養は1970年以降にメディアと寺社とのタイアップで作られた比較的新しい「慣習」だからです。決して古くからある伝統的な行事ではないのです。

 

そもそも、「~供養」の多くは戦後に作られたもののようです。おそらく、消費文化の広まりとともにどんどんモノが増えていき、愛着のある「捨てづらい」ものも増えていく一方で、戦後の檀家制度の崩れによって収入源を失ったお寺さんなどが、人形供養、ペット供養、針供養、筆供養などを手始めに、やがてテレホンカード供養、パソコン供養、眼鏡供養、遺品供養等々、ありとあらゆるモノの供養ビジネスに参入していきました。そのなかで、水子地蔵や水子観音、あるいは永代供養などの高額商品を販売することで売り上げを伸ばした大ヒット商品のひとつが「水子供養」なのです。

 

水子供養はあまりにも戦後日本の文化に定着してしまい、 たかだか半世紀ほど前に始まった行為だと言っても、にわかに信じられないという人も多いのですが、お地蔵さんを専門に研究している学者さんによれば、1960年代以前に作られた水子地蔵はひとつも存在しないそうです。日本の水子供養を行っている寺社を実際に訪ねてまわったアメリカ人女性の研究書でも、日本の水子供養はオカルトブームや胎児写真の普及、女性差別的なイデオロギーによってつくられた宗教学的に根拠のない新しい現象だとされています。(詳しくは、『水子供養』ヘレン・ハーデカー著を参照してください。)

 

世界でも、古代から人は不都合な妊娠をどうにか回避しようとして、とても残虐で野蛮な方法から、ほとんど毒をのむのと変わらないようなさまざまな方法を駆使して中絶は行われてきた(失敗して死ぬ女性が大勢いた)と言われています。

 

そう、かつての「妊娠回避」は命がけのものがほとんどだったのです。なにしろ女性にとっては、その妊娠を産むかどうかは生涯に関わる一大事だったので、命を引き換えにしてでも、どうにか出産をくい止めようとした女性たちが大勢いたのです。

 

そのためか、多くの文化や国々では中絶という行為をとがめることはありませんでした。どうするのかを女性たち自身にゆだねてきたのです。ところが、20世紀の後半になって、女性の命を懸けることなく、ほぼ確実に妊娠を回避できる方法が登場してきたことで、世間の見方は厳しくなり、女性たちの「中絶」を取り締まろうとする機運が高まってきたのです。(つづく)

 

わたしのところに相談に来る方は、人生において「するかしないか」の大きな選択に迫られているケースが多い。なかでも、産むか産まないかをめぐる中絶にまつわる決断は、多くの人にとってやはり難しく大きな問題になりがちだ。直感的に「今は無理!」「ほしくない!」と確信している人でさえ、「でも……あとで後悔するのでは」「今の気持ちが変わってしまったらどうしよう……」などと揺れる。それは人間としてあたりまえのことだと思う。だって、「未来」はだれにもわからないのだから。

 

そんな方に、ひとつだけアドバイスをあげたい。「もし、こっちではなくあっちを選んでいたら、ものすごく幸せだったに違いない」と考えるのはどんなものかと。今、苦しんでいる人は「自分が選ばなかった道」をあまりにも美化して考えてしまいがちだ。あっちを選んでさえいれば自分は幸せだったはずであり、こっちを選んでしまったから今の自分は不幸なのだと。

 

どうしてそんなことが言えるだろう? どっちを選んでいても、それが「正解」だなんて誰にも分からない。「産んでいたら良かった」も、「産まなきゃ良かった」も、今の自分の状況を嘆き、人生のなかのたった一つの「決断」にすべての不幸の原因を押し付けている。たしかに「産む産まない」の選択はとても大きな違いをもたらすけれど、それだけが「選択」ではない。人生はじつは数限りないささいな「選択」の積み重ねがあって「今」がある。同じ事象にめぐりあっても、考え方ひとつで気持ちは変わりうるし行動も変わる。行動が変わると結果が変わる。そして、今のあなたがいるのだ。

 

10年後のあなたはどうなっていたいだろう。5年後は? 1年後は? 来週は? 明日は? では、今、何をすべきだろう。「今」あなたが一歩前に踏み出すかどうかで、明日の、来週の、未来の結果が違ってくることはまちがいがない。

 

人生には運のいいときもあれば悪いときもある。成功することもあるけど失敗することの方が多い(少なくとも私はそうだった)。不幸のどん底だと感じてしまうときもあるのは私も知っている。でも、ほんとうは100%の幸せもなければ、100%の不幸もない。かつて幸福の絶頂にあると感じていた私は、次の瞬間、あとは転落しかないと気づいて絶望に襲われた。未来をおそれた。でも、それは違うのだ。たぶん、幸福は自分で作っていくものなのだ。今の、今日の一歩が、明日の、未来の私を作っていくのだから。

 

たとえ今、この瞬間、自分の人生はどん底だと感じていても、一筋の光がさしこんでくることはきっとあるはずだ。真っ暗闇のトンネルのなかを進んでいるような気がしていても、いつかは抜ける時が来るのだ、と信じることはできる。

 

分からない…のは確かに怖い。迷うときも、もちろんある。悲しいこと、つらいこと、自分を許せないことも、やはりあるだろう。

 

それでも、悲しいこと、つらいこと、自分のだめさかげんをとことん知ったことで、そんなマイナスの経験をしたからこそ、未来のあなたは豊かになりうる。

 

「もしあっちを選んでいたら幸せだったはず」という呪文は捨てよう。こっちを選んだ自分を見つめ直して歩んで行こう。人生そんなに捨てたものじゃない、と思える日がくるはずだから。

 

国際セーフ・アボーション・デーJapanプロジェクトが、2021年3月30日付で「中絶薬(流産処置薬)に関する緊急声明」を発表しました!

 

賛同人、賛同グループのみなさま、この活動を継続するための運営資金カンパへのご協力、よろしくお願いいたします!一口1,000円から(何口でも歓迎)でお願いします。

2020-japan.webnode.jp

 

罪悪感とは?

 

 いちばんシンプルな言いかたをすれば、罪悪感とは「間違えた」という気持のことです。それは子どもがごく幼いときから――5歳にもならないうちから――自分のふるまいについて親たちから「いけません」「だめ」「しなさい」などと言われる時に抱くような反応です。(中略)

 

 自分らしさを探求するうちに、不安や罪悪感も当然生まれてくるでしょう。大切な人たちに認めてもらえないかもしれないことをして、愛情を失うのが怖いのです。しかし、まわりの大人が本当に自分にとって関心のあることを追究しなさいと励ますなら、子どもは積極的に自己肯定感を育てていくでしょう。こうして罪悪感は自然と克服され、子どもはひとりでものを考えられる健康な人間に成長していくでしょう。心理療法でいう「他人とはちがう人間」になるのです。

 

 この成長段階をうまく乗り越え、罪悪感に打ちのめされずに自分独自の考え方ができるようになった子供は、健康な大人になるためのレッスンをひとつ学んだことになります。つまり、、親がよいと思っていることを全部よいと思う必要はないし、親の振る舞いを全部真似しなくても言い、自分に合わないものは退けてもいいと学んだのです。(中略)

 

 

プラスの罪悪感

 

(前略)「他人とはちがう人間」であるあなたが自分の行動にノーマルな罪悪感を抱くとき、それは自分の動機や感情をよく探ってみなさいという合図を送っているのです。つまり、罪悪感は、自分の内部を「チェックしてみなさいというメッセージなのです。(後略)

 

 

プラスの罪悪感とは

・チェックシステムである

・洞察や内省を促すものである

・これまでの考え方を変えるきっかけになる

・自分にとってなにが正しいかを知る手助けになる

 

 

マイナスの罪悪感とは

・不安や緊張をもたらす

・他人があなたの選択や行動についてどう考えるかを心配させる

・自分にとって正しいkとおを放棄させる

 

キャンダス・デュ・ピュイ、デイナ・ドヴィッチ著 片山亜紀訳

『癒しのカウンセリング――中絶からの心の回復』より