中絶の罪悪感について、今日から何回かに分けて考えてみます。
中絶を受けたことで悩んでいる人の多くが罪悪感から抜け出せずに苦しんでいます。「頭では正しい選択だったと分かっているのに、心が苦しい」と言う人もよくいます。「もし産んでいたら……」と延々と考えてしまって、何をしていても頭から離れないとか、心から笑えなくなったなどと言う人も。
「罪悪感」って何でしょう。「悪いことをした」という気持ちを抱くことは、人生いろんな局面で起こりますよね。たとえば自分の不用意なことばで誰かを傷つけてしまったと察知したとき、ちょっとした自己嫌悪に陥ったり、「今度から気を付けよう」と思ったりすることもあります。でもそこで「罪悪感」に縛られて延々と考えるといったことは(程度問題ですが)少ないのではないでしょうか。
「中絶の罪悪感」が重いものになりがちで、なかなか抜け出せなくなってしまう人もいるのは、「中絶は悪いもの」と一方的に決めつける見方が今の日本の文化に根強くあることが影響していそうです。「中絶」イコール「悪」であるとレッテルを貼り付けるような考え方です。これを中絶のスティグマと言います。中絶のスティグマは文化や社会によって変わります。日本は中絶のスティグマが強い国です。それにはいろんな理由があるので、おいおい説明していきましょう。
あなたが受けたある時点での「中絶」は、あなたにとって望まない、不都合な、タイミングの悪い……等々、なにかしらネガティブな要素の貼りついたその時の「妊娠」を終わらせることによって、その妊娠の結果としてついてくる出産やおそらく育児、さらには相手の男性との関係性などから解放されることでもあったはずです。
誰かに中絶を強制されたわけではなく、もしあなたが自分で決めた結果の中絶ならば、あなたにとって、人生のその時点で、その妊娠をそのまま続けるよりも、中絶した方がいい、すべきだ、その方がマシだといった判断が働いたはずです。
中絶の決断はあなたが自分の一回限りの人生を少しでも良くしようと思ってしたこと……であるはず。誰かに弁解するのではなく、まずは自分自身にそのことを認めてあげてみませんか。
わたしらしさって何だろう?
本物のわたしってどこかにいるの?
本物のわたしを見つけたい!
そんなことを思っていた頃もあった……。
どんなに嫌でも、あがいても抜け出せない「わたし」がここにいることに気づかずに。
どこかに「理想のわたし」がいるわけじゃない。
みっともなくて、情けなくて、どうにもならない「わたし」が、今、ここにいる。
……でも、次の一歩は、好きになれる自分に向かう一歩にできるかもしれない。
それができるのだと信じようよ!
一歩、そしてまた一歩……。
そうやって、一歩ずつ創っていく未来の「わたし」。
後ろに下がってしまう日もあるかもしれない。
斜めに曲がってしまう日もあるかもしれない。
それでも、前を向いて、よいしょ! ほら、一歩。よいしょ! また一歩……。
その積み重ねで、人生の時は過ぎていく。
死ぬ瞬間に、「いろいろあったけど、まあ、いい人生だった」と思っていたい。
そのために、今日も前を向いて、「わたし創り」。
かつてさんざん罪悪感に悩まされたものだった。自分が選んだ中絶で、わたしは子どもを殺してしまったのだ、と。
ずっと罪悪感にさいなまれていた。自己チューだった、冷たい母だったと、そして自分には二度と母親になる資格なんてないのだと……。
何十年も前、そんなふうに自分を責めさいなんでいた「わたし」に言ってあげたい。
あなたは本当は中絶したくなかった。生かしたかった。できるものなら、少しでも状況が違っていたら、産みたかったんだよね。実際、いろいろと手を考えた。他にどうにかできないものかと、選択肢を探った。でもどうしようもなかった。あなたは中絶に追い込まれ、しかたなく、うなずいた。選択肢なんてなかった。
あなたは力尽き、手を放してしまった。命を支えていたその手を、放すしかなかった。そして死なせてしまった。そう、殺したわけじゃない。殺したかったわけじゃない。みすみす死なせてしまった……。
完全な避妊がない限り、女は人生のいろんなタイミングで妊娠してしまう。まだ子どもは早すぎるときにも。もう子どもは育てられないときにも。条件が整っていないときにも。準備がまだのときにも。
不都合な相手の子どもを宿してしまうこともある。産むわけにはいかないときもある。決して自己都合なんかじゃない。自分だけのことではない理由が山ほどあって、それをかきわけて、女は決断する。やっぱりこうするしかないのだと。
皆が皆そんなんじゃないのも知っている。でも、ねえ、中絶を後悔していたり、自分を責める気持ちが強い人は、たぶんかつてのわたしと似ている。
あなたは中絶に追い込まれ、それを嘆き、自分のせいだと思い込んでいる。
もうちょっと何かが違っていたら、もう少し助けがあったら、手を放さずにすんだのに……と嘆いている。でも、そのときのあなたには、他にどうすることもできなかった。助けはなかった。そんななかで、あなたは命を手放したんだよね。
それを殺しとは言わない。そこに殺意はない。みすみす死なせてしまった子どもへの、申し訳なさと、深い深い嘆き。もう少し自分が強かったら、もっと自分を犠牲にできていたらと、後になって思うのかもしれないけど、そのときのあなたには、もはやそうするしかなかったんだよね。
女の決断は、決して間違ってはいない。だから、どうして自分がそうするしかなかったのかを見極めて、受け入れ、そこから先に進んでいこう。
だって、あなたは十分苦しんだ。大丈夫、きっと変われるから。そこから、あなた自身の命の輝きを増していくことがきっとできると、わたしは信じてる。
他の誰がなんと言おうとも、わたしは信じてる。
水子供養が今から半世紀前に生まれたものだとあなたは知っていますか。
地蔵研究をしている学者によれば、1960年代まで「水子地蔵」は存在していなかったという。古い歴史をもつかのような説明をしている寺社もあるものの、宗教学の専門家によれば少なくとも「中絶胎児を供養する」儀式は仏教の経典に根拠が見当たらないそうだ。
水子供養がメディアで盛んに取り上げられたのは1970年代から80年代にかけてのことだった。女性週刊誌には、大勢の水子を供養してきたと語る霊能者や僧侶が登場して、「供養をしないと水子のたたりがある」と女性たちを脅す一方で、京都や鎌倉の水子寺を紹介することで傷心旅行のノスタルジーをあおる記事も載ったりしていたようだ。
まだ子供だったわたしは当時そうした記事を目にしたわけではなかったけれど、大人になる頃までには、なんとなく「水子供養」というものがあるのは知っていたし、それが「中絶」と関係しているらしいことにも気づいていた。そして、「水子供養」と「中絶」のどちらもタブーになっているということも。
自分自身が中絶を経験したとき、「水子供養」のことを思い出しはしたけれど、そんな時だけ神仏に頼ることを潔しとしなかったのと、なんとなくうさんくさい感じがしたので、それはしなかった。でも、中絶問題を研究するようになってから、一度だけ、リサーチのためと思って参加してみたことがある。
それは地元の医師会が主催する年に一度の水子供養会だった。「医療者」と「一般」に座る場所が分かれていたので、一瞬迷って、「一般」の側に座った。こちら側に座っている人は何らかの形で「中絶」を経験した人たちなのかな……と思って、そっと周囲の様子を伺った。それまでに水子供養の成り立ちやしくみを学び、いかがわしいところも多いけれども、真摯に取り組んでいる寺社があることも知っていた。
自分の中絶のことに思いを馳せるというよりも、わたしはすっかり観察者になっていた。少なくとも声を出して泣いている人はいなかった。普通の法事とさほど変わらない雰囲気だった。それでも読経が始まると、斜め前くらいに座っている30代くらいの女性がハンカチを眼に押し当てていた。
医療者側に座っているのは、ほぼ間違いなく中絶を行っている産婦人科医と助産師や看護師たちなのだろう。向こう側の人たち、特に女性に神妙な顔つきをしている人が多い気がした。それはそうなのかもしれない。一般側の人は一度か二度の中絶しか経験していないけれども、医療者のなかには一年間に相当な数をこなしている人も少なくないだろうし、このような機会に、これまで見てきた悲惨な状況の数々が思い出されるのかもしれない……と考えて、わたしは自分の中絶で何が行われたのをまったく知らないことに気づいた。
良い悪いは別にして、全身麻酔を多用する日本の中絶では、中絶を受けた女性自身には実際に何が行われたのかが分からない。わたしの場合もそうだった。研究を進めていくうちに、その空白の中に、なにやら残虐なイメージがするりと入り込んでいたということに、徐々に気づかされていった。
わたしの場合は、どこで垣間見たのか、中絶の残酷さを「宣伝」するために反中絶派や水子供養の施術者が使う写真やビデオのイメージなどにかなり影響されていたのだと後々理解していった。実際にはまだ「胎児」なんてどこにもいない段階でさえも、わたしの頭の中では「赤ちゃん」に変換されていたということも。
中絶問題の研究を本格的に始めた2003年頃、日本にもインターネットが入って来て、あちこちで中絶の体験談を書いたり、オンライン供養をしたりできるようになった。アメリカの一部の中絶クリニックでは、中絶する胎児に向けたお別れのメッセージカードを作っているところも
あるのを知った。(ただし、おそらく今は存在していないと思う。その話は機会があればいずれまた。)「きちんとお別れしたい」という気持はわたしにもよく分かる。その手段として水子供養を選ぶ人がいるのも理解できる。それに、中絶後に内省が必要な時もあるのは国や文化が違っても同じなのだと思う。わたしも当時、日記帳に「赤ちゃん」への思いをつづり、混乱した気持ちを吐き出すことで、気持ちを整理していったものだ。
そうやって何度考え直しても、結局は「中絶を選ぶしかなかった」という結論に落ち着いた。失った子とも何度も何度も対話して、しまいには「ママ、もう泣かないで。いつかまた会いにいくよ」と言ってもらえたような気もした。少なくとも、胎児に恨まれているとか憎まれているという感覚はなく、むしろそこには愛があった。失われた子に対するものだとしても、たしかにその子はわたしにとって大切な存在だったし、今もそうだということが腑に落ちていくことで、わたしは癒されて行ったように思う。
だれも計画的に望まない妊娠をするわけはないし、嬉々として中絶する人もいない。同じ選択でもケーキを選ぶような意味での選択ではなくて、自分の人生を大きく変えてしまうかもしれない分かれ道で、ほんのわずかの判断材料と自分の信念をもとに、右か左かを選ぶような意味での選択なのだ。どっちを選んでも、もうひとつの道の先は分からない。それならば、選んだこの道を一歩一歩大切に歩んでいくしかない。
本当の意味ですっきりと納得できたのは、それから何十年もかかったけれど、今はそんな気持ちに落ち着いている。中絶の経験は、間違いなく自分の価値観や生き方を吟味するきっかけを与えてくれた。だけど、わたしの試練は最初の中絶のときはまだ始まっていなかったのだ……。
中絶を受ける覚悟を決めて、駅裏のひっそりとした通りにある小さな産婦人科医院に行った。二十歳そこそこで、産婦人科に行くこと自体が初めてだった。待合室には小さな子どもを連れた妊婦さん、30~40代くらいのキャリア風女性、当時のわたしの母親よりも年上の女性もいたのにちょっと驚いた。わたし一人が場違いなほど若く、受付の女性がそっけなく応対してくれたことに、ある種ほっとしたのと寂しい気がしたのを覚えている。
診察はみじめだったし恥ずかしかった。内診の時は目をぎゅっとつぶって何も考えないようにした。先生は「産めないの?」「中絶したら産みたい時に流産するかもしれないよ」と言ったが、決まり文句で言っているだけのように聞こえた。
男の先生だったという以外、どんな医師だったのかを全く覚えていないのは、そもそもろくに顔も見なかったからかもしれない。ただ、手術日を3週間先の週末に指定されたことははっきり覚えている。信じられなかった。なぜそんなにも待たされるのか。予約がいっぱいなのかなと一瞬考えたけど、口に出すことはできなかった。言われるがままにうなずくしかなかった。
その時、わたしはで「妊娠5週目」のはずだった。(ちなみに産婦人科の妊娠週数は、前回の月経の初日から数えるので、「受精」してから数えるなら2週間少なくなる。)学生のわたしには少々高価だった妊娠検査薬は、確実に判定するには月経予定日の1週間まで待つよう注意書きがあったので、わたしはその日をじりじりとして待って検査を行い、陽性なのを確かめてすぐに受診したのだ。このことは何度も何度も思い返してきたので間違いない。
それが8週目の終わりにされてしまったのだ……20数日分もお腹の中で大きくなってしまうと……辛かった。安アパートで大声を出すのもはばかられたけど、毎日、毎日、のたうちまわるようにして泣いた。「やはりどうにか産めないものか……」とぐずぐずと考えては、結局あきらめ、自分を責め、彼を責め、顔が歪んでしまうほど泣き続け、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
中絶問題を研究するようになって、わたし同様に中絶を待たされた人が大勢いることを知った。それは医師が使っている搔爬(そうは)と呼ばれる手術方法のためだと知ってあ然とした。医学書に、あまり小さすぎると取り残すことがあるという説明を見つけたのだ。小さなさじ状の器具で子宮の中を掻き出す際に、5週目の胎芽(まだ「胎児」でさえない)はまだ2mm程度なのでうまくひっかからないで残ってしまうことがあるのだと……。
医師が吸引と呼ばれる方法を使っていたら、妊娠5週でも、場合によっては妊娠4週でさえ処置できたのだと知ったとき、あの苦しみぬいた3週間はいったい何だったのかと、わたしは怒りにうち震えた。さらに研究を続けていって、胎児をわざと大きくしておいて掻き出すなんて野蛮な方法を使っているのは先進国では日本だけだと気づいたときには、なおのこと怒りを燃やした。
そのうちに、日本の「中絶」は「搔爬」があたりまえと医師にも、一版の人にも思われていて、「赤ちゃんを掻き出す」という残虐なイメージを持っている人が多く、それが他の国に比べてはるかに「中絶」を「悪いこと」だと思わせていることも分かって来た。
世界では、中絶はパーソナルには「悲しいこと」や「残念なこと」であったとしても、社会にとっては「あたりまえ」で大勢の女性が経験している不可欠な「リプロダクティブ・ヘルスケア」だと考えられている。
それを知ることで、今、中絶の悲しみに沈んでいる人には「罪悪感」はもたないでいいんだよと伝えたい。あなたが罪悪感を感じていると今思っていても、本当はそれは中絶を「罪悪視」してくる時代や社会や文化のなかに暮らしているためで、時代や社会や文化が違えば「中絶」はまったく別の意味をもたされているのだから。
むしろ、きちんと中絶を「選択」する人は、妊娠や育児、あるいは彼との関係性のことをしっかり考えているのだとさえ言えると思う。「今は産めない」「もうこれ以上は無理」「この人と子どもを育ててはいけない」などの判断は、人類の歴史上ずっと女たちがしてきたことなのだ。
そうやって別の客観的な見方をすることを「相対化」と呼ぶのだけれど、これができるようになってくると、「中絶の苦しみ」はずいぶん変わってくると思う。わたし自身がそうだったから。
それにはとても長い長い時間と手探りでの模索が必要だったけど、その末に学んだことを、今、苦しんでいる人に知ってほしい。それは、何十年も前のわたし自身が知りたかったことだと思うから。
今のわたしは中絶問題研究者、中絶ケアカウンセラーと名乗っている。いちおう中絶問題の専門家だと自覚している。だけど、こんな人生になるとは夢にも思っていなかった。だけどすべては大学生の時にまったくもって「ありふれた」中絶をしたことから始まった。
つきあっていた相手、たぶん結婚するだろうと思っていた相手の子どもを宿したのではないか……と思った瞬間のわくわく感は、今も忘れられない。ちょっとした身体の変化でもしやと疑い、妊娠検査薬の箱の指示通りに検査できる日までじりじりしながら待ち、いざ使ってみたらビンゴだった。「愛の証」ということばが浮かんだ。「彼とわたしの子ども」を夢想した。学生同士。「ちょっと早いかな」とは思ったものの、今でいう「でき婚」になることをばくぜんと期待しながら、はにかみつつ彼に打ち明けた。
すると思わぬことに、「今回ばかりはあきらめてくれ……」と、彼はすぐさま頭を下げたのだ。微笑みが凍り付き、目の前が真っ暗になった。天から地の底に投げ出されたようなものだった。わたしは泣き出した。彼の言い分は理解できた。いろんな状況を踏まえると、彼の判断はしかたのないもののように思われた。頭では理解できたけれども、心はどうしても納得できず、泣いて泣いて泣きとおした。
泣きながらいろんなことを考えた。「この人と別れて一人で産めるだろうか」、「子どもに恵まれない親戚に育ててもらえないか」、「でも彼とわたしの子なんだから失いたくない」、「産んでしまったら決して手放せなくなるだろう」、「いっそのこと、この子もろとも死のうか」などとも思い詰めた。それでもどうしようもなかった。彼に支えられることでどうにか生きていたその頃のわたしには、彼と別れるという選択肢は選べなかった。だから、彼の言うとおり、「あきらめる」しかなかった……。
性暴力の末の妊娠や、遊んだ結果の妊娠の場合も、それぞれまた別の痛みや苦しみを抱えるのだろうが、「好きな人の子どもを堕ろす」ことには、それ特有の痛みが伴う。しかも、いずれは結婚するだろうと思っている相手の子どもであれば、「なぜあんなタイミングで……」とか、「もし産んでいたらどうなっていただろう」といった嘆きや悔やみが何度も何度も襲ってくる。
「子ども」よりも「彼」を取った自分のことを「悪い母」「弱い母」だと思い、自分を責めた。いくら冷静になろうとしても、「守ってあげられなくてごめんね……」という思いがこみあげてきて、嗚咽がとまらなくなった。
今のわたしに分かるのは、当時のわたしが抱いていた「中絶」のイメージは、事実とはかけ離れていたということである。わたしは「赤ちゃん」が「殺される」ことをイメージしていたけど、それは「赤ん坊の命」をたてに中絶する女性を断罪するプロライフ派の人々や水子供養で女性たちの罪悪感を煽った宗教者たち、それをセンセーショナルに取り上げたメディアによって日本社会に浸透した「イメージ」に他ならない。中絶に反対する人々が「胎児殺し」を「赤ちゃん殺し」と言い換えたり、あるいは中絶の器具から逃げ回る胎児の姿を捉えたとうそぶきながら「子宮内の映像」を見せたりすることで巧妙に意図的に」作り上げたイメージだったのだ。
中絶問題を研究してきて、当時のわたしが「罪悪感」だと思っていたものは、決して自発的に湧いてきた自然な感情ではなく、今、自分が暮らしている社会や文化の中で積み重ねられてきた中絶を「罪悪視」する人々の言動によって、内面化させられたものだということがはっきりと見えてきた。「罪悪視の内面化」は自責を産むばかりで、自分にとって中絶することで得られるプラス面に目をやれなくなる。罪悪視する人々の目の前では、ひとつでも「いいこと」があるなんてそぶりをすることさえ許されないのと同様に、罪悪視を内面化しているわたしは、自己否定に走る以外に道はないのだ。
中絶の選択は軽いものだとは思わないし、軽いものにしていいとも思わない。だけど中絶の選択は、責任ある決断になりうる。自分の置かれた状況で、限られた時間のなかで、ぎりぎりまで考えて出した決断であれば、自分の限界という意味でも、まさに「しかたがない」と諦められる。
古代から女たちはそうしてきたのだし、その選択に誰も口出ししてはならないのだ、と今は思う。
*中絶を受けるかどうか、中絶したことで悩んでいる方、中絶しないことを選びたい方にも
ボイスマルシェのカウンセラー塚原久美です。
自分自身が中絶や流産をはじめ、様々な悩みを抱えて長く苦しんできた経験から、今、悩みを抱えて苦しんでいる女性の力になりたくて、ボイスマルシェというオンライン・カウンセラーとして登録しました。
本日4月1日からご利用いただけます。
思い立ったときに匿名ですぐに電話相談できます。
守秘義務がありますから、もちろん内容の秘密は守られます。
得意分野は妊娠にかかわるあらゆる悩みで、産む/産まないの悩みに焦点を合わせた特別プロブラム「予期せぬ妊娠 産むか産まないかで迷う方のためのセッション(55分)」も提供しています。
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自己レスです。
この記事のことで友達と話してて、ふと、「ああ、自分の立ち位置を意識してなかったなぁ…」と反省しました。
「選択」したくてもできないこともある。「選択」するつもりだったのに、気づいたら、選択できなくなっていた。「選択する」なんてことを全く考えてこなかったけど、後になって思えば「選択」を考えるべきだった、「選択」しておけばよかった……ということだってあるだろう。
「もつ/もたない」という二項対立の図式は、あまりに単純化しすぎで、あまりにも多くの思いをを無視した言い方だったな……と思った。
それと共に、自分自身、中絶、流産については多少なりとも語っていながら、たとえば「産まない選択」をしていた十数年については、あまり深く考えず、語ってもこなかったな……とも気づきました。
「産まない選択」の時期を経て、それでもやはり「産みたい」という自分の気持ちを再確認したこと……それでもすぐには授からず、不妊を疑い……産婦人科へ行き、不妊治療に向けての第一歩を踏み出したこと……その末に、妊娠し、すったもんだで出産し……産んだ後にも、また別の……全く思ってもみなかったことに遭遇しながら育児をしてきたあげくに……今がある。
すべてを語ることはできないけれど、わたしの「リプロ」へのこだわりは、中絶だけではなく、本当は、そうしたすべてが影響しているのだと思う。
「産まない選択」をしていた頃。わたしは、落合恵子さんの「子どもを持たないからこそ経験できる人生を生きている」といった考え方(ググっても出てこないので、正確な言葉ではないと思います)にある種救われていました。
ううん、たぶん逆だな。子どもがいないからこそできる経験もあるという考え方を知って、「産まない選択」ができたのだと思うし、それを肯定していられたのかもしれません。
不妊を疑い、そのまま治療してもうまくいっていなかったとしたら、わたしはまた違う人生を生きていたのかもしれないけれども、でも死ぬ瞬間に人生を総括したら、結果的に、そう大きくは変わらない生き方をしてきたんじゃないか……という気もする。
女の人生は、あまりにも「産む」「産まない」で分断されているように思う。
そこではなくて、今、自分がどう生きようとしているのか、どのように他者や社会とかかわっていこうとしているのか……といったことが重要なのではないだろうか。
最近の朝日新聞の投稿欄に、「子供を持たない選択 おかしいか」という投稿に対して様々な意見が寄せられていた。そういう選択もありうると肯定する意見がほとんどだったが、それ自体、「子供を持つのが当たり前」が常識になっていることを反映している。
日本の新聞に、「子供を持つ選択 おかしいか」という投書が掲載され、話題になることはまず考えられない。
図書館の棚を眺めても、『わたしが子どもをもたない理由(わけ)』(下重暁子著)、『「子供を産まない」という選択』(衿野未矢著)『誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方』(くどうみやこ」著)など、産まない選択をテーマにしている本はすぐに見つかる。
ただしこの3冊には、中絶によって子どもを産まなかった人は一人も登場しない。
本当はいろんな出産があるのと同様に、いろんな中絶があるはずなのに……。そしていろんな中絶を知ることで、その底に流れている共通の問題が見えて来るはずなのに……。
図書館で、「子供を持つ選択」やその理由を述べた本は、もちろん一冊も見当たらなかった。
小説のなかでも、産む選択は良いこと、中絶は良くないものとされるのが常である。一つの作品の中で対比的に描かれることも少なくない。
明るい陽射しがあればこそ、闇が深まるという創作のテクニックなのかもしれない。そうだとし
ても、中絶がとても悲惨なもの、おぞましいものとして描かれるのに対し、産む選択の方はあまりに安易に、能天気に、そしていかにも幸せなように描かれているところまでパターン化しているような気がする。
『インターセックス』(帚木蓬生著)と『デザイナーベイビー』(岡井崇著)は、どちらも最先端の産婦人科医療の闇を描いた作品だが、どちらにも予定外の妊娠をした女性たちが登場し、どちらもさほど悩むこともなく「産む」ことを決意する。昨日DVDを借りてきて観た『八日目の蝉』(原作角田光代著)にも、産む決断をする女性が出てくる。
最後の作品は母性をテーマとしているので、まあ仕方ないのかもしれないけれど、男性作家の二つの作品に出てくる女性たちは、「選択した」というよりも、「受け入れた」という感じが濃厚で、ちょっと気になる。
「それが当然」と社会の価値観に従ってなんとなく受け入れてしまったことは、後になって自分に跳ね返ってくることがあるからだ。
なんとなく世間に合わせて…とか、そんなものだから仕方ない…と、立ち止まって考えることなくどんどん「受け入れて」いくと、あとでツケが回ってくることがある……というのは、わたし自身が学んだことだから。
ただし、自分で「選択」しても、その後の人生が思い通りになるわけではないし、結局、また別の選択をしながら生きていくしかないんだけどね。
