知識について
おおよそ、知識とは何か・・・
この事について、最近良く考える事が多いけれど。
しかし、余りにも漠然とし過ぎる課題で有る為に
中々、これと思える結論に至らずに居ました。
ですが、一つの答えが出た瞬間が有りましたので
ここに記したいと思います。
知識が必要な場面は、人それぞれ様々だと思われます。
例えば、友人、恋人との会話。または会社等、仕事での会議。
はたまた一つの議題での討論等でも必要となるでしょう。
知識が有る事によって、人から尊敬を集める事も可能では無いでしょうか?
しかし、そうした対人間関係だけに捉われる知識の使い方に、
多少の違和感が有った私は、どうにもこうにも頭の中に巣くう五里霧中から抜け出す事が出来ずに、現在に至る事となるのです。
冬の或る日、朝目を覚ましカーテンを開けると雨が降っていました。
私は柄にも無く、一句詠んでみました。勿論、風流の、ふの字も知らない私です。
拙い一句を捻りだしました。
冬の雨、冷たさよりも、温かさ。
これは、私の経験から得た知識で、雨が降る日は温かくなる日が多い。
だから、私は冬の雨は好きなんだ。
そんな事を考えていた時、私の頭の靄が急に晴れ渡り晴天の爽快感が私を包みました。
そうだ!!もしかしたら一番重要な知識の持つ意味は、
自分に感動を与える道具では有るまいか?
例えば、道路に打たれたアスファルトの隙間から生えるタンポポを見た時
その健気かつ、力強い生命力に感動するのも、
アスファルトから花が生える事は難しいと言う知識が有ればこその事でしょう。
または、対人関係に傷つき疲れ果て、どうせ他人には自分の考えは分からない、
分かり合える人なんて居ないんだ。
そのような悲しい知識を、辛い経験から自分の教訓として諦めた人生を送っていた人も、
突然目の前に現れた人が今までに出会った事の無いタイプの人であり、
この人なら分かり合えるかも知れない、信じる事が出来るかも知れない。
そう思える事も、これも自分の持った知識により起こる感動かと思います。
そう考えれば、知識とは自分を高め、そして自分自身に感動を与える為に
重要な役割を果たしているのです。
感動の多き人生は、個人を高める事にも必ず繋がります。
そのようなロジックで知識を対人関係に置いて、どう使って行くのかを考えた場合、
自慢や自分の優位を裏付ける為では無く、
また他人から尊敬を集める為に使う物でも無く。
友人や恋人、そして家族、自分と繋がりが有る全ての人達との間で、深い感動を
より一層共有する為の道具。そう考えて使う事が可能では無いでしょうか?
それはまた、自分自身が大きく満たされる瞬間に近付く、一歩なのだとも思います。
TV、映画、本、芸術、音楽、それもまた自分の現在進行形で進んで行く心のレベルにより
感じ方は変わって行くものでしょう。
音楽は、特にいい例で、昔好きだったジャンルが今は全く違う等、良く有る事では無いでしょうか?
それもまた現在自分が持つ、知識に寄り判断されるのです。
芸術作品から深い感銘を受けるかどうかも、
自分の持つ知識に寄って左右されているのです。
このように知識を持つ事は、必ず自分に還元されて行きます。
そこでまた新たな疑問が産れます。
人は自分を高めたい欲求を、意識的或いは無意識の中で常に持ち続け、
それを止める事は難しいと思います。
自分を高め続ける、それもまた正しい事なのか、はたまた悪い事なのか。
目の前にそびえる疑問の壁は中々消えてくれません、しかし諦めずにゆっくりと、
共に考える仲間を増やしながら進んで行きたいと思います。
いずれ答えが出る時も来るかと思います。
長くなりましたが、知識について一つの私なりの答えが出たので、
ここに記させて頂きます。
ご意見等頂ければ幸いです。