そんなに書く事が有るわけでは無いので手短にすませよう(うんうん)
少し以前から感じていた事なんですが、情報と言う物に思う事が有ります。
一口に情報と言っても、幅が広すぎますので
今回は[ネットにおける個人の情報]について書きたいと思います。
個人情報は、余り簡単に手に入ると色々問題が有る事は周知の事実なので今更書く必要も無いと思います。
まっ、普通はここで終わる話しなんでしょうが、これで終われば面白くも可笑しくも無い訳です。
あくまでも、先程の問題は他人から見た目線での自分の情報になるのです。
ここからは、自分自身の目線で見た自分情報を公開するに当たって最適な範囲とはいかような所までか?
そんなコンセプトで進めて行きたいと思うのです。
そもそも、個人の情報と言う物は目に見える部分を除いた場合、
自分が作る物か他人が作る物かと言う疑問が産れます。
大多数の人は自分が自分を作っていると勘違いして生きているのですね。
しかし残念ながら、そんな人は一人も存在しません。
ほとんどが周りからの意識に寄って自分を成り立たせています。
その理由を詳しく説明したい所ですが、長くなりそうなので止めます。
(これは大前提として捉え、柔軟に笑って読んで下されば有難いです)
それを踏まえた上で、話しを進めると
最初に考えられる事は、出会ったばかりの相手と(当然ですが、どんな人でも初めて会う瞬間が有ります)
仲良くなって行く順序、もしくは課程を思い描く必要が有ります。
そして大切なのは、まさしく最初に出会うその瞬間なのです。
本来どのような人でも他人とコミュニケーションを取らねば生きていけません。
偏ったコミニケーションは偏った考え方を形成し
偏ったコミニティの中では、偏った人間が形成されます。
小さく生きて行くならば、偏っていても大丈夫ですが
広く世間に向けて生きる為、
または一般的な価値観の中で受け入れられて生きるには
不十分な個人になります。
そこから見ても自分が自分自身の考えのみで、個人の意識を作りだす事は不可能なのです。
それを認めるか認めないかは、話しが長くなるのでまたもや止めます・・・
(もう大分長くなってますが)
話しを戻しましょう。
では、何故出会った瞬間が大事なのか?ですが
その時点ではお互いの個人情報は知識として一切無い訳です。
名前、年齢、住所、親、兄弟、好きな物、嫌いな物、どんな性格、
はたまた昨今では、性別すら分からない場合も有るようです。(え~特殊な例ですがオレは有りだと思ってます)
その状態から、お互いの情報を聞き出していく
または自分の事を相手に伝えて行くと言う所に
実は個人の大きな成長が存在するのです。
どこまで自分の事を伝えるか?
どこまで相手の事を聞いていいのか?
その時の頭はフル回転してます。
当然失敗もあり、成功も有りますね。
相手を怒らせた。自分が気分を害してしまった。
相手が喜んだ、自分の事を解って貰え嬉しかった。
その中で自分自身が学習している事は、とても膨大な量です。
そこから、少しずつ距離を縮めて行くのが人とのコミニケーションの基本です。
そのような事を繰り返す中で、自分自信の中に有る意識も成長して行きます。
ここでも大切な事が有ります、対個人とのコミニケーションの延長に
大勢とのコミニティが存在するのです。
(分かり易く言えば、個人に否定される人間が多数に認められる事は有り得ません。)
そして成長した意識は、成長した意識を呼び寄せ、更なる成長へと導きます。
これは目に見えない事ですが、自然に起こる事なので誰にも止めようが有りません。
(あ~もう大分長くなった・・・)
ここから、ネットに置ける自分情報をどこまでupするかと、upした内容を、どのように踏まえて人と接するかに付いての報告に移りたいのですが
もう長いから止めます。
大体の感じは伝わったのでは無いでしょうか?