日本の将来を考える。 -4ページ目

日本の将来を考える。

日常の気になったことを書き連ねていきます。
過激な発言からどうでもいいことまでありますが、気にしないでください。

テレビ局。

それは事実を流さず、都合のよいものだけを流す存在。


数年前までは、学校の教科書にネットの批判はして、テレビは正しいということを学ばせるまでしていた。

100の発言のうちの1の発言の上げ足を取って、聞き手に都合のいいことを伝える。

テレビ局に不利なことを言った政治家は、徹底的に潰していく。


ニュースは、ただ事実だけを伝えればいい。

一つ一つにどうでもいい解説者やコメンテーターの意見は必要ない。


バラエティーは、見る必要のあるものが少ない。

芸人やテレビ局内の身内の笑い話を電波で流す必要はない。

トーク番組は特にそうだ。

芸人の体験談は聞かされても、だからなんだとしか思えない。


スポーツはタレントのゲストがうるさい。

スポーツを見る人はアイドルが見たいからスポーツを見るのではない。

そのスポーツが見たいが見に行けないから、テレビで見る。

タレントの昔話や、演出は興味ない。


これからの時代、テレビは必要なのだろうか。

もし私に大金があったら、ネットを使った放送局を作ってもいいと思う。

CMを間に流す必要はない。

なぜなら、画面の外に広告を出せばいいからだ。

だからノンストップで流すことができる。

どうでもいい、くだらないことを流すテレビ局に比べれば、格段にいいと思う。

徳川家康の重臣である榊原康政。

「老臣が権を得るのは亡国の兆しである」という言葉を残した、武将である。

この信念のもと榊原康政は幕政から一歩引いた立場にいた。


今のお年寄りの方はどうだろうか。

権力にしがみつき、新しいことに挑戦しようとする若者を蹴落とす。

頑固になって他人の意見を通さない。


老後を暮らす身であるのに、生活保護を受給ことで若者の体力を奪っていく。

若者は生活保護より少ないお金で、日々せっせと暮らす。

だから貯金ができず、将来に不安を持つ。

政治家はそんな若者に耳を貸さず、後先短いほうを大切にする。


このままでは日本が滅ぶ気がする。

次長課長の河本さんの記者会見があってから、関西のテレビ局と関東のテレビ局で反応が分かれたみたいだ。

関東は河本さんに対して厳しいことを言っている。

関西は片山議員のやり方に厳しいことを言っている。

ネットは河本批判で一色だ。


考えてほしい。

河本さんを批判することと、片山さんの政治手法を批判することは、別問題であるということを。


片山さんは議員として発言することに責任を持ってほしい。

河本さんはテレビに出ている芸人だが一国民である。

その一国民を名指しで批判することは議員としては非常識だと思う。


だからと言って関西のテレビ局は、河本を擁護するかのように片山さんを批判し続けるのも、お門違いだ。

批判するなら、別問題として批判しないといけない。

完全に論点のすり替えを狙っていると思えない。


近いうちに、そこまで言って委員会で取り上げえるテーマだと思う。

その時に識者の方たちがどのような発言をするかに期待をしたい。

もし、不正受給に対して甘いことを言っていたら、そこまでの番組だったんだということになるから。

優秀な司令官がいて、精鋭の兵士が揃っていると戦は勝ちやすくなる。


精鋭の兵士がいても、指揮官が無能で、その指揮官に従うと負けやすい。

しかし精鋭な兵士がお互いが協力して連携をしだすと、十分に勝つことができる。


優秀な司令官がいても、まともに訓練せずさぼったり、遊んだりする兵士ばかりでは勝ち目が薄い。

優秀な司令官は戦い方に苦労をする。

勝てる作戦を立てれても、兵士がそれに対応できなかったり、無視したら、まず勝ち目はない。


これからの日本と比べてみると、どうだろうか。

優秀な司令官もいれば、無能な司令官もいる。

それよりも、精鋭になる兵士がほとんどいないような気がする。

要は、つらいことに向かえる子供たちが、いない気がする。


厳しいことを言うとすぐに嫌がったり、おなかが痛いなど病気になる。

つらい勉強を簡単にさぼって、楽しいゲームやマンガに向かう。

いかに何もせず、楽に方法ばかりを追い求める。


途上国の子供たちは家族を養うため、明日を生きるために、一生懸命に働く。

生きるか死ぬかの生活をしている人たちもいる。


それに比べて、日本人の子供たちは傲慢になりすぎている。

中国の一人っ子政策の結果である、わがままな子供が増えてどうしよう、と頭を悩ましている状態に近付いている気がする。


将来、精鋭の兵士になっていくである層の子供たちが、特にひどい。

親がとても甘やかす。

与えられたことをやらずに、やりたくないと文句をいう。

自分の思った通りにならないと、すぐ勝手になる。

ルールを守ろうとしない。


これでは精鋭になれないと思う。

ということは将来の日本は、必死になっている国に抜かれるのではないか。

もしそうなったら、現状よりひどくなるのではないか。

仕事もなく、お金もなく、できるのは文句を言うだけ。

必死に経験を積んで優秀になった司令官の文句ばかり言ったり、司令官のせいにする。


いまの子供たちの姿勢を国を挙げて返れなければ、日本の将来はないのでは。

「お客様は神様です。」

一昔前のサービス業でよく言われていた言葉だ。

お店は、「お店に来る人を神様と思って大切におもてなしをしなさい。」という意味で使っていたと思う。

しかし、あくまでもお店側からの話だ。


お客さんは、神様ではない。

ましてや神様がお客さんではない。

お店とお客さんは対等の立場のはずだ。

お店は物を提供する側、お客さんは提供されたものをもらう側だ。

提供する側が偉いわけがない。

もらう側が偉くなるはずがない。


商品の値段には、物の値段のほかに、そのようなサービスの代金も入っている。

その対応に満足して、お店の商品を買う。

それが当たり前のことだ。

だから立場は対等だ。


最近の様子をみると、お店とお客さんの完全に立場が不平等になっている。

お客さん側が偉いという意識が強すぎる。

お店側を自分の言いなりになる人のように無理なことを平気で言う。


例えば、店の飾りを壊す、店員に暴力をふるう、お店に自分のためだけのサービスを要求する、店員の指示に従わない、などなど


そのようなことをする人は、お客さんではない。

でもお店側は、お客さんではないからと、てきとうに対応できない。

お店側のつらいところだと思う。


ニュースで電車内や駅での係員への暴力が増えているとあった。

背景には係員は、乗客のわがままにこたえなければいけないという意識があるからと感じる。


親がしていることを子供は見て、真似をする。

子供が親になったと聞きに、自分の親と同じことを当たり前としてする。

その行為を、また子供が見て、真似をする。

完全に悪循環している。


この悪循環を続けたら、日本はレベルの低い国になる。

この悪循環を止められたら、日本は世界の手本になる、気がする。

今年もAKBの総選挙があるみたい。

投票用紙が新曲のCDの中に入っているらしい。


その投票用紙のために何十枚何百枚とCDを買う神経が私にはわからない。

正直、好きなメンバーのために何千円、何万円も使うことは異常な気がする。


もし友人が好きなホストやキャバ嬢に何万円もかけていると言っていたら、どう思いますか?

私はそれを聞いたら、間違いなくひくと思う。


AKBのコンサート会場やイベント会場で、そこに行ってグッズを買い集めたり、AKB関連のグッズをファンがほしいから買ったりすることはオタクと一緒なだけだから、いいと思う。

CDのおまけとして、投票できる投票権を入れて販売するのは、おそらく法律にも引っかかりはしないと思う。

あくまでも、おまけだからだ。


しかし今は、そのおまけがメインな気がする。

投票権がほしいからCDを買う。

握手ができるからCDを買う。


そのようにして販売しているCDを歴代売り上げと関連させるのは、やめたほうがいいのは?

歌一本で勝負している歌手や、素晴らしい歌詞を提供している作詞家に失礼だと思う。


ガチャみたいにもうそろそろ規制をかけてもいい気がする。

もうそろそろ、夢から目を覚まさせてもいいのでは…


AKBのメンバーは、AKBにいるときはAKBの名前が付いているから、ちやほやされている。

AKBをやめると、AKB時代のファンは一気にいなくなる。

女の子のファンではなく、AKBのメンバーの女の子のファンなだけだから…

AKBのグラビアも本職のグラビアアイドルに比べたら、貧相な体をさらしている公開処刑のようなものだ。

AKBのブランドが価値を高めていることに女の子は気付いたほうがいい。

メンバーをやめたら消えていった、多くの○ー娘のメンバーみたいにならないためにも。

“厚生労働省は23日、民間企業に義務付ける障害者の法定雇用率を現在の1.8%から2%に引き上げることを決めた。”と、ニュースにあった。


現在は就職難だ。

健常者ですら満足に仕事がない。

健常者よりも障害者を優先的に雇いなさいということだろうか。

障害者も自分の生活のために働くべきである。

会社は障害者だから雇ったではなく、その会社が必要としたから雇ったとなるように、障害者は努力すべきである。

不景気の中障害者は法律のために仕方なく雇ったでは、余計に障害者の肩身を狭くするだけだ。

だから障害者は障害者であることを武器にせず、健常者と同様に努力するべきである。




障害を持った子供を地元の学校に行かせるかどうかという話題が毎年上がる。

明らかに、これは親のエゴやわがままだと思う。


障害を持った子供(A君とする)がもし地元の小学校に入ったら、誰が面倒をみるのだろうか。

四六時中、母親がA君の世話で教室にいたら、そのほかの子供たちにとって良くない。

先生が前からプリントを配布して後ろに回す時、A君は不自由だからプリントを回せない。

誰かがそのA君の分までやることになる。

A君は給食の用意が障害を持っているからできませんというのは、子供の差別になるのではないか。


そのようにして育ったA君は、大人になっても、誰かがしてくれるという感覚が染み付いて、仕事につけやいような気がする。

それならば、A君は無理に地元の小学校に行かないほうがよいと思う。

障害者のための学校に行き、社会に出た時のための訓練をさせるべきだと思う。


昔は、生まれた時点で障害を持っているとわかったら、生まれてくる子のためを考えて死産としていたことが多いらしい。

現在は、倫理上とか人権とかで、できないから、親は子供の20年30年先を見据えて行動するべきではないのだろうか。

東京スカイツリーが開業した。

テレビはスカイツリー一色だ。


なんかおかしい。

全国中継の情報番組を見るとスカイツリー一色だ。

スカイツリーと関係ない地域にまで、スカイツリーのことが流れている。

スカイツリーが開業しました、全国中継では、1コーナーで終わればいいのではないのか。

関東以外の多くは、スカイツリーの下の商業施設にどのようなお店があるかに興味はないと思う。

どこどこからだとスカイツリーがきれいに見れるとかは、普段東京に旅行しない人には興味がないと思う。


正直、テレビを見ていて途中で見るのをやめた。

地方の人間には、東京に集客できただけだという情報なだけで、見ていてつまらないからだ。


全国中継の情報番組は必要なのだろうか。

みていて東京で作るから東京中心の情報しか流れない。

大阪で作る番組は大阪中心の情報しか流れない。

それ以外の人(九州や中部や東北)は、知りたいとは思わないような気がする。

政治や経済、外交は全国ニュースで流すことは必要だと思う。

しかし、全国版の情報番組で地方には関係ない情報を流す必要はないと思う。

もっと、地元の情報を取り上げてほしい。


「東京スカイツリーが開業しました」というニュースは、あ~そうなんだとうレベルだ。

全国中継の番組でいろんなコーナーをつぶしてまでやる内容ではないと思う。

金環日食があった。

ぎりぎり金環日食の見える場所に住んでいる。しかし

よりきれいに見るために30kmくらい南に行って見てきた。

だが残念なことに直前に雲が来て、運悪くなって瞬間を確認できなかった。

前後は快晴だったのになぜだろう。


さて今回の金環日食は小学校や中学校で登校時間に差があった。

日食前に登校し全校でみる学校と、各自で見てから約1時間登校時間を遅らせる学校との、大きく2つにわかれている。

数百年に一度といわれる今回の天体ショーを子供たちに見てほしい、という思いが学校は強かったと思う。

学校の都合もあると思うが、登校時間を遅らせて自宅で見なさいというのは、学校は手を抜いていると感じた。

そうすると日食に興味のある生徒は、早起きして見ると思う。

しかし普段登校ぎりぎりまで寝ていて、親に起こされて学校に行く生徒は、日食を見ずに寝る時間を延ばしただけだ。

いつもより早めに登校して生徒みんなで日食を見たという学校は良い学校だと思う。

子供たちに日食を見ることによる感動をさせ、机では学べない勉強をみんなで共有できた素晴らしい先生たちだと思う。


ぜひ、まず見ることのできない天体ショーは学校は、子供たち全員に見るようにさせてほしい。

見たという体験が子供たちの勉強になり、子供たちの成長につながるからだ。

そして、このような体験が子供たちの将来の夢や希望につながるのだから。

現在、地方の中学校は部活のほかに、クラブ活動に生徒たちを参加させている。



この制度、どこかおかしい。

例えば、テニス部に入部したとする。

そうすると自動的にテニスクラブに参加を求められる。

参加を拒否すると、先生から冷たい目で見られるので、一気に部活の練習をやりにくくなる。



このクラブ活動は学校の活動外としている。

先生ではない社会人がコーチとして、そのスポーツを指導している。

そのコーチの立場は学校の部活の強化につながるように協力している、スポーツ指導員である。



クラブ活動は学校の活動外としている。

夜9時近くまで練習していても学校の活動がいだから問題ない。

定期テスト直前に練習試合をしても問題ない。

定期テスト直前に合宿をしても問題ない。

なぜなら、学校の活動外だからだ。



クラブ活動が学校の部活指導の一環としてやっているならば、先ほどの活動はできないはずだ。

夜9時まで部活(クラブ)が続くのは最終下校の意味がなくなる。

中学生を学校活動で夜までさせることになる。

定期テストの一週間前は公式戦を除いて、原則部活動は学校が禁止しているはずだ。

その一週間の禁止を破って部活動をさせていることになる。


もし学校の活動外のクラブ活動としてやっているならば、学校とは関われないはずだ。

クラブなら、参加自由であるはず。

部活を通じて参加を促すのは、民間が学校内に営業活動をしているようなものだ。


学校とは関係ないのだから、学校からの協力はできないはずだ。

もし協力を許すなら、スポーツ以外にもボーイスカウトなどの青少年育成団体にも学校と連動させても問題ないはずだ。



クラブ活動は中学生たちや民間の仕事に影響を与えている。

必要以上にスポーツを強いることで、その日の復習や、次の日の予習をする時間や体力をなくしている。

クラブがあるからを理由に、勉強をさぼる口実を与えている。

クラブ活動で、夜間に民間の活動で使えるはずの時間が中学校にとられている。

スポーツを通じていろいろ勉強させるといって、肝心の学問は全く教えない。

むしろ中学生の姿勢や態度が悪くなっているような気がする。



私の地元の中学校では、中学校の先生と社会人のコーチが連携するために話し合いをしている。

この行為もクラブ活動が中学校の指導の一環につながっていることを表している。

今の中学生にここまでクラブ活動を強いるべきなのだろうか。


始まりはゆとり教育で勉強で絞れなくなったから、スポーツで絞るようになったのが始まりだ。

その結果、今の大学生や高校生の学力が大きく下落している。

子供たちの将来を暗いものにしているのではないか?



クラブ活動はスポ小やボーイスカウトのようなものなら大いにやっていいと思う。

ただ中学校の活動に支障が出るものはやるべきではないのではと考える。