こんにちは
我がオフィスでは
10月20(土)に「真田の郷 ラン&ウォーク」を開催!!!
信州リンゴ狩りやそば打ち体験を楽しみながら
戦国の名将真田一族の史跡をラン&ウォークで巡る
ユニークなスポーツイベント
http://www.sports-fitness.co.jp
せっかく「真田一族」の史跡に行くならと、
「真田一族」について勉強中…
今日はその3回目、「真田幸村の合戦デビュー」
特に派閥に属さず、我が道を行く昌幸(幸村の父)は徳川の
理不尽な要求(沼田領の横取り)に
たえきれず、徳川と一戦交えることに…
とは言え、天下の徳川と戦うためには、後ろ盾が不可欠、といことで
バックに秀吉がついている上杉にバックアップを頼んだ。
以前、上杉も裏切ったことのある昌幸は信用してもらうために
デポジット(預け入れ)的に我が子、幸村を人質に差し出した。
人質時代の幸村は、結構「上杉景勝」に気に入られたらしく
秀吉とも面識が出来、秀吉もまた幸村を気にいった様子…
一方、父昌幸は「沼田の一件」で引き起こした徳川との「上田城の戦い」と
「丸子城の戦い」を得意の奇作と農民兵を使ったゲリラ作戦で
徳川軍に大ダメージを与えた。
これにより、真田の武名は天下にとどろいた…
トレンドを掴むのが上手い昌幸は、天正14年6月上杉景勝が城にいない間に
デポジット幸村を連れ出して秀吉に差し出した…
これにより、真田家は豊臣家の直臣となった。
(お父さんは世渡り上手だわ)
秀吉の天下統一のためには関東の雄=北条をグループに加えること…
一度は、沼田領(真田家の領地)の一部を北条に譲ることで
話し合いがついたはずだったのに…
北条の家臣が真田領の一部を攻撃したことからまたまたもめごとが勃発、
秀吉激怒北条に宣戦布告!!!
全国の大名を巻き込んだ「小田原征伐」がスタートゴーング!
そのひとつの合戦が「松井田城の攻略」
幸村のファーストミッション…
その後も
箕輪城攻略、武蔵鉢形城、八王子城陥落、など「小田原征伐」一連の働きで
好結果を出した真田親子
その後も秀吉に重用されるようになっていった…
すっかり秀吉のお気に入りとなった親子だったが、
全国制覇を成し遂げ、戦国の世に終止符を打った豊臣秀吉が
慶長3年(1598)に京都伏見城で死去…
これにより
またまた真田家のドラマが続いて行くことに…