慣れ親しんできたスタイルから、全く違う世界へ行かざるを得ないことは起こる。
89歳の母親が、ついに「介護」と言う状態になった。
今年の5月には、確かに89歳と思わせる様に衰えたなと思った。
私は関東、母親は九州と別に住居を構えている。
7月の終わり頃に、転んでしまったそうだ。
しかし、同居している弟(独身)には、大丈夫だから私には教えなくても良いと言ったそうだ。
本来なら、母親の状況を見て大丈夫かどうか、歳なのだから医者に連れて行くとかするのが、当たり前だが、残念だが彼にはそれが出来なかった。
9月の中ごろ、突然、手足に痺れが出て、一人で動くことが出来なくなったそうだ。
かかりつけの病院で診察してもらい、急遽、近くの介護付き病院に入院した。
しかし、そこの対応が良くないと2日で退院し、膝の手術をしたことのある整形外科ににいき診察してもらい、大きな病院に入院して検査すると言う段になって初めて弟から連絡があった。
急遽、九州の帰り紹介された病院の入院に付き合った。
なぜなら、病名もはっきりしないし、入院の目的も何なのか解らない。
弟は手術をすると言うだけ。
看護師の説明では「検査入院」ということ。
病名は「頚椎症性脊椎症」が疑われると言う話だった。
CTとか色々検査して、担当の医師から説明があった。
母親の病気は「頚椎症」で、神経を骨が出っ張ることで手足を麻痺させている、生まれつき頚椎が普通より細いから出やすいことと、7月の転倒時に神経がダメージを受けていて、それが今回の症状を加速させることになったと。
頚椎の部分に対する手術は、89歳と言う高齢だからと出来ないわけではないが、手術後一定時間(24~48時間)固定するために動きが完全に封じ込められるが、これに耐えられるかが重要とのこと。
医者の見立てでは、母親はどうもこれに耐えられないだろうと。
母親に、このことを説明して本人の覚悟を確認した。
「そこまでしなくてもいい」
手術はしないことで退院した。
紹介してくれた整形外科の先生に預かってきた手紙を渡しに病院に行った。
母親の病気と手術も固定のこともそんなに驚くことではと。
肝心なことは、「患者さんが、何が何でも直すんだ」と言う気持ち出ないと駄目だそうで、非常に残念がったいた。
母親の場合、頚椎が細いこともあるが、そこには手足だけでなく横隔膜などを動かす神経もある。最終的にはこの神経が駄目になると呼吸ができなくなる。つまり、最期が来ると言うことだ。
そこまで本人も家族も覚悟されるしかないですねということだった。
65歳を前に、お袋の介護をする生活を決めた。
食事を作ってやる、下の世話をする。
今はまだ頭もしっかりしていて、時々「いやみ」まで言う。
食欲も旺盛。
ただ、手足が動かない。
介護保年も加入しているのだから、その制度を利用するように話をするが、全く聞く耳を持たない。
大正時代の日本人で、社会保障制度など理解できていない様だ。
今の生活資金は、15年前に先立った親父の遺族年金のお陰だ。
お袋は年金という社会保障制度というより、親父が勤務していた大会社のお陰と信じきっている。
来週あたりに一度、この市の介護制度の内容と利用方法を市役所に相談に行く必要がある。
しかし、「介護」とは、希望のないニュー・フロンティアだと思ってしまうね、今は。
後藤静香の詩を思い出した。
十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
三笠山にのぼる第一歩
富士山にのぼる第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標が
その日その日を支配する