昨夜の政治経済ニュース番組で、中国の教育が少し変わってきていると言う紹介をしていた。
日本で言えば小学校かな。
知識を詰め込む教育でなく、社会に出てから役に立つ教育ということで、「論語」を子供達に読ませるらしい。
意味は解らなくても良いから、「論語」を読むということが肝のようだ。
何故、論語を読むと社会に出てから役に立つ教育につながるのかは解らないけど、兎に角、「論語」のようだ。
「論語読みの論語知らず」と言う諺があるが、あの子供たちは、今はまさにそうなんだろうが、
「温故知新」できっと何かに気がつくのだろう。
上海か、北京かどちらかだった忘れたが。
より良い教育を子供に提供出来ないかと、散々思慮した父親が悟ったのは、「自宅での教育」だそうだ。
「他力」でなく「自力」ということだね。
この辺が中国人の個人主義なのかもしれない。
「教育」は時代も国も無く、人間を育てるに必要不可欠にちがいない。
反日教育が行われたのも現在の日中関係を危うくする一因と言う解釈もある。
「論語」は日本人にもなじみが深い中国古典だ。
「社会に出てから役に立つ」教育の一つとして「論語」を読む。
「孫子」を読むよりは、まだいいのかもしれない。
「論語」には、「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う話がある。
子供だけでなく中国の大人、指導者も読んで見たらどうだろう。
肝心なことは、解釈と行動だ。
孔子の教えである「論語」を信奉する後世の儒学者がたどり着いたのが「知行一致」と言うのは、人類の進歩を語る実例なのかもしれない。