学生時代の親友MY君から電話。
「宮崎地鶏送ったよ」と。彼は大学卒業後、故郷宮崎に戻り、地元の銀行に就職。定年後も嘱託で残りましたが、それもリタイア後は外資系生保に籍を置き現在に至ってます。で、ここ数年、年に2回ほど宮崎地鶏の焼き鳥真空パックを送ってくれるようになりました。宮崎地鶏の焼き鳥は串に刺した物ではなく、焼き鳥サイズに細切れにしたのをバーナーで炙ったものです。私もお返しに新潟の米を送ったことがあったのですが、彼の実家も農家。「新潟米も良いけど、うちの米も食ってみろ」的に宮崎米を送ってきて、それ以来こちらには送るネタがなく、もらいっぱなし状態です。
で、今回の電話は宮崎地鶏送った、という連絡でもあったのですが、本旨は来春で今行ってる外資系生保を辞めて補助教員の採用に応募するとのこと。そういえば彼は教職課程を取っていて教員免許も持ってたな、と思い出しました。新卒就職時に教員採用試験も受けたのですが、それは落ちて銀行に就職したわけです。傍目に見れば地元の主要銀行に入ったわけですから、十分コースに乗ってるじゃないか、となりますが本人はどこかで教員の夢を引きずっていたようです。その証拠に教員免許はずっと更新していたとのこと。採否がどうなるかは別として、この歳になってようやくそれをかなえるってことです。考えてみれは彼は金融の世界より「先生」の方が合ってるな、それも超不器用な熱血先生、昭和の残骸みたいな先生。補助教員に採用された場合、定時制とか支援学校に行く可能性が高い。ちょっと訳ありの生徒に真摯に向き合うんだろうな。遠回りしたけど、行くべき所にようやく行けるね。
ここで私もふと考えます。私の本来行くべき所って・・・・