昨日は西武池袋店がストライキで休業しました
ここにはある種の思い入れがあります。
以前のブログでも何度か書いてますが学生時代バイトしてた場所。元々親友のMY君がバイトしており、その紹介で入店しました。
仕事場は地下食品売り場。当時は「デパ地下」なんて言葉はまだ無かったと思いますが、池袋店には京都の名店を集めた「錦小路」という一角がありました。京都に錦市場という商店街があり、そこから10店ほどのお店(以降メーカーと称します)がテナント出店したわけです。
百貨店というのは、いわば場所貸し業。テナント出店するメーカーから売り上げの一部を賃料代わりに吸い上げるビジネスです。什器備品は百貨店側が貸与、光熱費も百貨店負担だったと思います。一方、人員はメーカー側が手配し、人件費もメーカー負担。つまり店頭に立っているのは百貨店の社員ではなくメーカーの人間。錦小路の場合、京都の本店から赴任してくるメーカー社員もいましたが、ほとんどは東京で採用してました。社員として採用したメーカーもありましたが大半はアルバイトと「マネキン」と呼ばれる派遣店員。店長すら社員ではなくマネキンさんで賄っているメーカーもありました。
で、私が世話になったのはI佃煮というメーカー
隣に乾物Dがあり、そこにいたのが後年、このブログにもよく登場するYTでした。
I佃煮は佃煮と言いながらどちらかというと、お総菜(京ばんざい)がメインで冷蔵オープンケースに大皿を15枚ほど並べ、そこに京都の本店から毎日深夜便で運ばれた総菜を盛り付け、量り売りしてました。百貨店と言いながら、かなり原始的なやり方をしてまして、錦小路のテナントの大半はレジを置いてなかったと思います。だから暗算に強くなります(笑)。例えば白和え200グラム390円だったのですが全部のお客様がその通り買うわけではない。100グラムのお客様もいれば300グラムもいる。それに応じた金額を即座に計算しなければならない。しかも一人一点とは限らないから、それらも合算していく。そして頂戴した現金は冷蔵ケースの上の空き缶へ硬貨を、その下に隠してあるポリ袋に紙幣を放り込んでいく!また、暗算だけでなく量る技量も身についてきます。大皿からトングやお玉を使ってビニル袋に詰め込むのですが、例えば100グラムと言われた場合、風袋(商品を入れるビニル袋等のこと)加算と若干のおまけで105グラムくらいにするのがセオリーです。最初の頃は何回もやり直したりしますが、慣れてくるとパッと詰め込んで秤にのせれば1回で105グラムを指すようになります。また、詰め方だって各具材を偏らずバランス良く入れるのは勿論、汁物は漏れないようにちゃんと結わえなければなりません。
衛生観念も低かった。今なら大皿料理の量り売りをオープンケース(蓋のない冷蔵ケース)で陳列するなど考えられないでしょう。通行するお客様がその気になればいくらでも商品にさわれるわけですし(実際、指を突っ込んで「味見」をしていったお客様がいました)、埃だって入る。最悪、異物混入すら起きる。でも陳列としてはこれが商品を一番引き立てるということで是とされてました。隣の乾物D。ここは大箱で納品された削り節を店で100グラムとかの単位に袋詰めするのですが、素手でつかんで入れてました。というかDに限らず、鮮魚でも青果でも商品を素手で扱うのは日常でした。いずれも昭和の話です。
また、隠語(符牒、符丁)もありましたね。いわゆるお客様の前では使えない言葉を店員同士だけがわかる言葉におきかえたものです。西武の場合、例えばトイレに行くときは「すけんや行ってきます」だったと思います。隠語は百貨店毎に異なり、数軒の百貨店の経験があるマネキンさんなどは他の百貨店の隠語と混同していたこともありました。隠語や店員への合図は店内放送や店内BGMにも使われていました。
そう言えば「試食の常連客」も何人かいました。そのうちの一人が「桜台のおばあちゃん」と呼ばれていた方で、どうやら西武池袋線の桜台から定期券を使って「通って」いるらしい。毎朝10時の開店と同時に入ってきて、ほぼ一日百貨店の中で過ごしていました。時には西武だけではなく池袋の他の百貨店にも「遠征」していたらしいですが。ほとんど買い物をすることはなく、試食専門。小さな風呂敷小脇に抱え「マイ爪楊枝」片手に店内をウロウロ。歯が無いようで常に口をモゴモゴさせてました。真偽は不明ですが、嫁さんにいじめられてて毎朝追い出されるのだとか。ちょっと愛嬌のあるおばあちゃんで試食の常連客には冷たい店員たちも、このおばあちゃんにだけは好意的というか邪険にはしませんでした。
バイトやってた当時が西武流通グループ(のちのセゾングループ)が一番輝いていたころでした。
糸井重里がコピーを書き、ライオンズ優勝セールがあったり、時として堤清二さんがお忍びで売り場をチェックしてるなんて情報が流れ皆ピリピリしてたり。
今も池袋に行ったとき時間があると西武の地下に寄ったりしますが当時のテナントも無ければ人もいません。今回のニュースを聞いて思い出話を羅列させていただきました。