先日、朝の生島さんのラジオでゲストの月尾嘉男さんが「リテラシー」について語っていました。リテラシーは訳すと能力と言ったところでしょうか。100年以上前、日本は世界有数の高リテラシー国家だったとのこと。それは識字率が高く一般庶民に至るまで基礎教養が備わっていたから。それが近年劣化が激しいとのこと。

で、リテラシーといえば私としては「ITリテラシー」が真っ先に浮かびます。そう、私のITリテラシーはおそらく小学生以下。自分が上手くできない腹いせにIT業界の人たちを「IT村の住民」とか言ってディスってますけど、要するに「やっかみ」です。

そしてITリテラシーの次に思い浮かぶのは「お金のリテラシー」でしょうか。私も決して人のことはいえませんが、その私から見ても、このリテラシーに欠けている人たちっています。その一例が小さな借金を繰り返す人です。まずは銀行系のカードローンから始まり、次にクレジットカードのキャッシング、そして消費者金融。ここで留まればまだ良いでしょう。でも留まれず一線を越えてしまう人も結構います。金融機関、貸金業者以外からの借金、つまり肉親、そして友人・知人からの借金。中には貸金業者を飛び越していきなり友人に借金を申し込んでくる輩もいます。昔、私にも借金を申し込んできた人がいました。友人と言うほど親しくもなかったし貸す義理も無いので「貸金業者に行けば」的にかわしたら、こんなことを言いました。「金融屋は怖いから」・・・・私は呆れて二の句が出ませんでした。「じゃ、なにかい、金融屋は怖いけど、岡村だったら踏み倒しても大丈夫ってことかい!」って言葉が喉元まで出かかりました。ミナミの帝王、萬田銀次郎のセリフだったと思いますが「金の貸し借りとは地獄の釜の蓋の上でのやりとり」。つまり一歩間違えば釜の中へドボン。それほど危険な行為なのです。だから怖いのが当たり前。そこんところ、舐めてませんか、ってことです。

勿論こういう人たちでも最初は恐る恐る借金します。でも人間というのは何でも慣れてしまうものでだんだん平気になってくる。一回あたりは少額でも繰り返せば大金になる。高い確率で返済不能に陥ります。

借金をする経緯も色々ありますが、リテラシーの低い人たちの借金の発端は一言で言えばほとんどが単なる浪費。別の言い方すれば「身の丈を知らない」 貸す側は質素でお粥すするような生活しているのに借りた側はその金で夜の街を飲み歩く、なんて光景もよく見ました。そして借金は浪費の借金だけでなく、その借金を返すための借金に拡大していく。またこういう輩ほど携帯や光熱費も人の倍使ってるから、そちらの支払いにも追われていく。そして新たな借金を重ねていく、起きている時間の大半を金策に使うようになり仕事もだめになっていく、このスパイラルになります。

先日も生活保護受けてるのに借金しようとする強者がいました。基本的に生活保護受ける人は最初の審査段階で「身体検査」され、借金などあれば整理させられます。そして「身綺麗」になって保護開始となる。そして余計なことしなければ、その金で十分生活できます。でもその金では返済資金は賄えません。だから生活保護受ける人は借金しちゃいけないし、そもそも借金する必要がない。それなのに借金しようってのは、どういう感覚なのか。まさに「お金のリテラシー」が0としか言いようがない。