回収物を整理していたら昔の東京地図が出てきました。昔といっても昭和36年、私の生まれる一寸前、そんなに大昔でもありません。だから、そんなに今と変わらないだろうと高を括って開いてみたら「これ戦前の間違いと違うか?」と思ったくらい変遷してました
都電がまだ現役でバリバリ走り回ってたことや、西日暮里駅がまだ存在してなかったことは充分織り込み済みでしたが、たとえば以下のような点が・・・
町名の変遷 葛飾区上平井町→東・西新小岩
台東区谷中初音町→谷中3丁目
文京区駒込林町→千駄木3丁目、4丁目一部
町名変遷、上記は抜粋に過ぎず、ほぼ全ての町名が変わっています。古い町名は町会名、学校の名前、交差点の名前等に名残が あります。
鉄道 今は地下化したり地下鉄との乗り入れがされている私鉄も地上を走り、地下鉄乗り入れはなし(そもそも地下鉄開通済みが
今の2割程度)
駅、駅名変遷も多し
廃線 東急玉川線砧支線 都電(荒川線を除き全て) 貨物線、引込み線数箇所
当時無かった線 地下鉄の多く 埼京線 新幹線及び東京~横浜の横須賀線(当時は貨物線) りんかい線
東京モノレール、ゆりかもめ、日暮里舎人ライナー その他
道路 環七 環八(現在のルートの一部になっている道路は散見される)をはじめ、まだ出来てない道路多し
幹線道路も今より車線は少なかった。
それになんといっても橋が少ない
私の感覚では当時既にあってもおかしくない橋もいくつか無かった
例 隅田川 尾久橋(尾久橋通りもまだ無く、尾竹橋か小台橋を使用)
荒川 扇大橋(尾久橋の先)
平井大橋(蔵前橋通り)
鹿浜橋(環七が開通していない)
江戸川 新葛飾橋(国道6号=水戸街道)
以上が当時は無かった橋です。特に新葛飾橋が信じられない。もっとも名前に新が付いているくらいだから歴史は浅いのだろうけど
そして湾岸地域はまだまだ海でした。新木場とかも存在してません。
もっとも私自身は地方の出身者ですから昭和56年より前の東京はリアルタイムでは知りません。東京出身の人はまた別の感想になるかもしれません。