先日の編集後記で申し上げたとおり、金貸し時代の夜逃げ社長シリーズ第1弾です。O・M社長としておきましょう。伊豆諸島は八×島の出身。高校卒業後、お茶で有名な伊×園に就職し、営業として十数年勤務。30代半ばでしょうか、自分の営業力に自信を持ち独立しました。営業員も数名雇用し、企業から販売促進を請け負う、いわゆる「営業代行」の走りを始めたのです。最初は営業員一人につき月額いくら、という感じで固定売上げもあり、順調な滑り出しに見えました。しかし時はバブル崩壊後の平成不況でもあり、クライアントも固定費を削減する方向に転じました。これにより契約を解消されたり、成果報酬制に変更されたりと、売上げは下降しました。常用だった営業員も削減したり、契約社員に切り替えたりしてリストラしました。ここまでだったら、まだ良かったんです。O・M社長の戦略ミス、転落はこのあと始まります。それは次回に。
編集後記
昨日は商談で池袋へ行き、そのあと西武池袋地下を覗いてみました。実は私、学生時代ここでバイトしていたのです。80年代、西武セゾングループがもっとも輝いていた時代でした。「おいしい生活」「うれしいね、さっちゃん」・・・今、このフレーズをご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか(ちなみにコピーは糸井重里)。そうそう、先日閉店になった有楽町西武がオープンしたのもこの頃で、池袋店から応援に駆り出されてた人もたくさんいました。
もちろん当時のテナントも人も残っていませんし、店も様変わりしていますが、ここへ来ると、あの時代にタイムスリップしたようなほろ苦い感じになります。