昔、教え子の作文でこんなことを書いてもらったことがあります。
「建部先生は差別をしない先生でした。」
その一文を読んだ瞬間、その子の心の中が見えたようでした。
その先の文章を読み進めて、僕が授業で意識していたことが書かれていて、
「やっぱり感じてくれている子はいたんだ。」
と思ったのを、ふと思い出しました。
学校の先生も、塾の先生も同じなのですが、
個別授業ではなく、対集団の時の話です。
子ども達はいろんなキャラの子がいます。
頑張り屋で元気いっぱいの子。
寡黙に真剣に取り組み続ける子。
お調子者だけど全然やらない子。
地道にやっているけどアピール下手な子。
こちらが教科内容の説明をする場面ではなく、
生徒を当てる場面、生徒とコミュニケーションを取る場面。
そこで無意識に偏った生徒に当ててしまうことがあるのです。これはあるあるです。
先生の目線がいきがちな、センターの席の前から2列目~4列目の生徒とか。
難しい問題でも間違いなく答えてくれそうな生徒とか。
みんなの人気者で、クラスの雰囲気を明るくしてくれる生徒とか。
そういう子を当てていれば、クラスをコントロールしやすいから。結構やっちゃうんです。
そうでなければ、
「建部先生『は』差別をしない先生でした」
とは書かれませんからね。
他の何十人かの先生は偏る場面もあったのでしょう。
彼女の文章のその先には、
「建部先生は1回の授業で全員の生徒を当ててくれていた。みんなを見てくれていた。」
というような内容が書かれていたと記憶しています。
クラスが30人だろうが40人だろうが、意識してやってきたことです。
みんな同じように頑張って塾に来て、一生懸命授業を受けてくれていて。
だったら全員を同じようにしっかり見てあげようと。
ちなみに学習塾Abilityは、個別&小集団指導なので、1クラスでそんな大人数ではやりませんけどね。
僕も一切差別をしないとは言えません。
頑張っている子と全く頑張らない子がいたら、頑張っている子を優先させる場面もある。
頑張らない子にはそのわけをちゃんと伝えた中でね。
ただ、こちらの都合での差別はするべきじゃないと思います。
社会でも色んな場面であるでしょう。
あの人には超笑顔で、この人には無表情。
あちらには返信するのに、こちらはスルーとか。
ある部分、あってもしょうがないかもしれませんが、それは相手に伝わりますね。
特に敏感な子どもや、人生経験を積んできた大人であれば。
うちは差別のない塾であり続けたいです。
塾生みんなの可能性を信じて、
みんなのAbilityを開花させられる塾に。
今日もいい1日に!
学習塾Ability
0532-29-8900