しまったぁ~!!
前回の営団7000系を勉強する前に、こちらの営団6000系を調べておけばよかったぁ!
まぁ~、入手出来たタイミングが違うので仕方ないんですけどねぇ~(泣)
今回入手したのは、営団6000系先頭車(冷房車)の未組立品×1両と、組立済みの営団6000系先頭車(非冷房)になります。
(どちらも安価に譲渡して頂き、ありがとうございました。)
まずは組立済みの先頭車(冷房準備車)から整備します。
さっそく分解しましたが、バリがほとんどありませんでした。
とても丁寧に作られたんですね~
さて?車番どうしようかな?
そうだ!冷房準備車だから4次量産車(6022号車)にしましょう!
(ちょうどデカールに車番があったのでw)
あぁ~・・・やっぱり営団地下鉄(帝都高速度交通営団)のマークはいいですね~w
さぁ!とりあえず満足したところで新製する車両にも手をつけます。
こちらは冷房搭載車でドアの窓も大きいタイプなんですね。
サクッと組立、サクッと完成です。
こちらは、もちろん東京メトロの車両(6122号車)にしました。
東京メトロ(車体更新後)&営団地下鉄(車体更新前)
う~ん!実にいいですなぁ~w
しかし、デカールと屋根板だけでずいぶん車両の印象が変わりますね~
行先もしっかり貼り付けます。
やっぱり「綾瀬」と「代々木上原」は外せませんよねぇ~w
側面の印象はドアの窓でホントに大きく変わっちゃうんです。
いろいろなバラエティーで楽しめるお手軽なモデルでした。
あまったデカールで前回整備した、7000系も飾りましょう。
しっかり遊んだ営団地下鉄6000系。
さて、それでは7000系に続いて6000系について、しっかりお勉強でもしましょうかね?
(このあと、それはもう6000系の「沼」にハマって大変でしたwww)
=営団地下鉄6000系の概要=
1968年(昭和43年)から1990年(平成2年)まで試作車・量産車あわせて36編成353両が製造されたんですね。
20m4扉のアルミ合金車体で、なんと言っても制御方式で回生ブレーキ付き電機子チョッパー制御方式といった当時の最新技術を積極的に採用した電車です。
「耐用年数40年以上、新技術の導入、保守の容易化、車両の軽量化」を設計の基本としていました。
1971年(昭和46年)3月の千代田線(大手町駅~霞が関駅間)の延伸開業に合わせて営業運転が開始されました。
この前年「1970年(昭和45年)」に日本初の電機子チョッパー制御車として営業運転を開始したのは、阪神電気鉄道の7001・7101形でしたが、こちらは回生ブレーキのない力行専用の車両だったんですね。
千代田線には、当初から電機子チョッパ制御を採用した6000系を投入する予定でしたが、当時の最新技術であったチョッパ制御の開発・試験には大きく時間を要したことから、千代田線の最初の開業には間に合わなかったんですね。
そこで急遽、東西線用として製造していた5000系をやむなく千代田線へ投入したわけなんですね。
もちろん応急的な対策で、将来の東西線輸送力増強時には転籍させることを考慮していました。
6000系のチョッパ制御と車体スタイルは、後に有楽町線用の7000系や、半蔵門線用の8000系に引き継がれています。
また、6000系の後継・増備系列として、1992年(平成4年)06系の10両編成が1本製造されましたが、その後の増備にはならず、2015年(平成27年)には廃車されてしまいました。
登場した6000系は「21世紀の電車」というキャッチフレーズをそのままに、21世紀となった2000年代に入っても千代田線の主力車両として運用されていました。その後、後継車となる16000系の登場により2010年(平成22年)から廃車がはじまり、2018年(平成30年)に千代田線での運用が終了しました。
=受賞=
1972年(昭和47年)3月、「直流電気車用主回路チョッパ制御装置の開発」による業績で、営団地下鉄理事(当時は車両担当)・
日立製作所事業部長・三菱電機事業部長が連名で第18回「大河内記念技術賞」(昭和46年度)を受賞しました。
また、同年の1972年(昭和47年)度「鉄道友の会ローレル賞」も受賞しています。
=営団地下鉄7000系の諸元=
製造会社:日本車輛製造、東急車輛製造、川崎重工業、近畿車輛
製造年:1974年(昭和49年)~1989年(平成元年)
運用開始:1974年(昭和49年)10月から
製造数:34編成(合計340両)
投入先:有楽町線、副都心線
編成:8・10両編成
軌間:1.067mm
電気方式:直流1,500v(架空電車線方式)
最高運転速度:80km/h(有楽町線・副都心線内)、110km/h(相互直通先)
最高設計速度:110km/h
起動加速度:3.3km/h/s
減速度(常用):3.5km/h/s
減速度(非常):4.5km/h/s
編成定員:10両編成「1,424(座席522)人」、8両編成「1,136(座席414または408)人」
車両定員:先頭車136(座席48)人、中間車144(座席54または51)人
全長:20,000mm
全幅:2,800mm
全高:4,145mm
車体:アルミニウム合金
主電動機・出力:かご形三相誘導電動機「160kWまたは165kW(更新後)」、直流直巻電動機「150kW(更新前)」
駆動方式:WN平行カルダンドライブ
歯車比:6.53
台車:Sミンデン式台車(FS-388)、SUミンデン式台車(FS-388A・FS-515)
制御方式:IGBT素子VVVFインバータ制御(更新後)、AVFチョッパー制御(更新前)
制動装置:ATC連動電気指令式空気ブレーキ(回生ブレーキ併用)
保安装置:新CS-ATC・ATO、ATC-P・T-DATC、東武形ATS・西武形ATS
それでは世界初の「サイリスタチョッパ制御」の車両について、一緒に勉強していきましょう!www
=1次試作車=
1968年(昭和43年)4月、世界初となる「サイリスタチョッパ制御」の実用化を図るため、3両編成のアルミ合金製車両が汽車会社で製造されています。(当初の車号は6001~6003だったんですね。)
運転士からの広い視野を確保するから、非常扉を車掌台側へ寄せることで運転台スペースを広く確保しています。
運転台前のフロントガラスは大型化して、上部に行先表示器・運行表示器が収められています。このため、前面デザインは非対称となって、正面の非常口は避難はしごを一体化した、前倒し式になっていたんですね。
このデザインと構造は日本車輛製造東京支店「蕨製作所:埼玉県川口市(1971年:昭和46年生産終了)」が考案したもので、その後に登場した地下鉄車両に、大きな影響を与えたと言われています。
製造当時は前面・側面共に車体裾部に騒音対策用のスカ-トを設置、しかし保守点検の際に脱着する必要があったため、側面のスカートは撤去されました。その後、前面スカートも取り外されています。
車体の正面・側面には電動式の方向幕が設置されていましたが、側面の方向幕は、路線の延伸開業ごとに駅名を追加する手間がかかることから、将来的に実用化すること、として試験設置のみでした。
ちなみに改番後の6000-1の前面行先表示器は液晶式やLED式表示器の試験的に設置したこともありましたが、本車両は運用区間が限定されて、しかも短距離だったので幕式に戻されています。
乗務員室側開き戸は高さを約2,100mmと高くして、わざわざ室内には車掌用踏み台を設置。車掌が旅客の乗降の安全確認を行いやすいように工夫されています。
車体はそもそも千代田線への導入を考慮して、国鉄(現:JR東日本)常磐線各駅停車および小田急電鉄小田原線との相互直通運転が可能な20m4扉車として、千代田線の開業までは東西線の深川検車区に配置されました。
そのため保安装置は東西線用のWS-ATCとされて、誘導無線も同線用のものを搭載しました。
台車はS形ミンデン式軸箱支持方式として、基礎ブレーキは各車軸の車輪1枚にディスクブレーキを採用しています。
・6001号車には「三菱電機製主電動機を搭載したFS-368A形(歯車比:6.53)」を装備。
・6003号車には「日立製作所製主電動機を搭載したFS-368B形(歯車比:6.19)」を装備しました。
・6002号車には両方の台車を用意して試験する装置によって台車を使い分けていたんですね。
これは三菱電機と日立製作所で主電動機の性能が異なるための措置だったんですね。
補助電源装置は22kVAの静止形インバータ(SIV)が搭載されましたが、機器艤装の問題から2次試作車以降は一般的な電動発電機(MG)になっています。
ブレーキ装置には当時最新の回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用。(チョッパ制御時のみ回生ブレーキが使用可)
運転台について6001号車は従来からのツーハンドルマスコンですが、6003号車には日本では珍しいシネストンタイプと呼ばれる縦軸式のワンハンドル式マスター・コントローラーが採用されました。しかし、2次試作車以降では採用を見送られています。
運転台計器盤は、黒地に白文字表記として視認性に優れ、計器(メーター)は6001号車では水平面に配置、6003号車では正面パネルに配置されたんですね。
=チョッパ制御装置=
試験車らしく、6001号車には三菱電機製のチョッパ制御装置(A方式)、6003号車には日立製作所製のチョッパ制御装置(B方式)が搭載。中間の6002号車には抵抗制御装置がそれぞれ搭載されました。
これは地下鉄線内だけではなく、乗り入れ先となる地上線での高速性能と両立が出来る性能にしたためだったんですね。
電機器関係は将来の10両編成での運用を考慮したもので、当時はチョッパ制御の高粘着性能が知られていなかったためで、編成の最終形態は8M2Tでと、考えられていたんですね。
本試作車はチョッパ制御装置に加えて抵抗制御装置も搭載するため、主電動機はチョッパ制御と抵抗制御の両方に対応した仕様で、定格速度を高くすると抵抗器による損失が増加してしまうため、定格速度は35km/hと低く抑えられていました。
この定格速度が低いことから、高速からの回生ブレーキは、弱め界磁制御で所定のブレーキ力を確保しています。
(力行、回生ブレーキとも3段式分流弱め界磁・最弱め界磁率30%)
車両性能は東西線用5000系と同等以上とするため、10両編成の起動加速度3.5km/h/sを確保しました。(試作車の時点では2M1Tで2.7km/h/s)。また、いずれの制御装置も95kWの主電動機を8台制御することが可能で、チョッパ制御と抵抗制御の直接の比較試験も実施されました。ただし、本車は全電動車(3M)ですが、走行時は必ず2M1Tになっていました。
・6001号車のチョッパ制御・6002号車の抵抗制御で運転する場合:6003号車は制御車(Tc:主電動機カット)。
・6003号車のチョッパ制御・6002号車の抵抗制御で運転する場合:6001号車は制御車(Tc:主電動機カット)でした。
チョッパ装置は素子に逆阻止サイリスタを使用したものになっています。
・三菱電機製:二相二重二群(四相)チョッパ方式。 各相の周波数は200Hz、合成周波数は800Hz一定です。
・日立製作所製:二相二重チョッパ方式。 各相の主端数は85Hzまたは120Hz、合成周波数は170Hzまたは240Hz一定です。
※どちらも方式も起動時のみわずかに下げています。
三菱電機が提案した2台のチョッパ装置を位相差運転する多相多重チョッパ方式は、誘導障害対策と装置の小型軽量化に大きな効果を発揮しました。素子の冷却はブロアー(送風機)による強制風冷方式で3次車まで同様になっています。
一方、日立製作所からは高粘着制御について提案され、実車試験を行ったところ従来の10両編成時、8M2Tが必要だったMT比を6M4Tで達成出来ることが判明しました。これは回生ブレーキの実用化と電動車数削減による経済性向上が大きなメリットとなつことが期待されました。
主電動機の定格速度が低いことは回生ブレーキ性能の低下に繋がっているので、空気ブレーキの使用が大きく、期待したほどの回生電力量は達成できなかったんですね。このため、2次試作車では回生電力量を向上させるために、主電動機をチョッパ制御専用として定格速度を高めています。
本来、2次試作車以降はどちらかの装置を正式に採用する予定でしたが、最終的にはどちらの方式も甲乙がつけがたく、共同設計として両社の機器を採用することになったんですね。
=抵抗制御装置=
ところで6002号車の搭載された主制御器はバーニア制御を用いた超多段式制御方式で、三菱電機製の電動カム軸式抵抗制御(ABFM-125-15MDH形)が採用されていました。
この装置は日比谷線用の3000系と同等であり、制御段数は力行65段(直列25台、並列30段、弱界磁10段)、制動55段のパターン制御を採用しています。
抵抗制御中はノッチオフ時は戻しノッチ遮断、ブレーキ緩解時は弱め界磁の後に発電ブレーキ主回路を開放することで、加減速時の乗り心地の向上を図っているんですね。付帯機器である断流器や各種継電器類には新しいものを採用して、保守性の向上と小型軽量化を実現しています。
本抵抗式制御装置も10両編成時の起動加速度は3.5km/h/sとしています。(ただし、試作車の時点2M1Tで2.7km/h/s)
抵抗制御の場合は、回生ブレーキではなく発電ブレーキの使用となります。
当時はスカートを配置することから、抵抗器の冷却性能を確保するため送風機を設置しています。
=車内内装=
車内配色は、天井を白色に弁慶縞の模様入り、側面を暗いベージュ、床敷物は薄茶色としました。
座席モケットの表地は赤色として、全体的に豪華さを演出したんですね。
新しい仕様として、座席横の仕切りを金属パイプから木目調の化粧板を貼った、板状のものにしました。
その他、試験車両らしく、6001号車には日中の利用時にロングシートの座席を100mm通路側へ引き出してリクライニングする機能を搭載。また6003号車は床下だけでは機器が収まらず、チョッパ装置の一部と静止形インバータ(SIV)を室内に艤装されています。
天井部には大型の扇風機(50cmタイプ)と併用する「振りかけ冷房」と呼ばれる簡易冷房装置の準備もされていました。
もちろん非冷房車ではありますが、将来の車両冷房化を考慮した構体構造になっています。
これは車両性能や主電動機なども含めて、冷房化による重量増を考慮していたんですね。
当時の営団地下鉄はトンネル冷房を推進しており、車両の冷房化は行わない方針だったんですよね。
ただし、将来の乗り入れ先での冷房化を考慮して、1967年(昭和42年)以降の新車では秘密裏に冷房搭載の準備工事を進めていたんですね。(ちなみにこの冷房搭載の準備工事は社外秘になっていたようです)
側窓は大形押出形材を使用して、車両を軽量化するために上段下降・下段上昇式の2段式として開口寸法を小さくしたほか、戸袋窓は設置しませんでした。客室ドアは化粧板仕上げとして、ドアガラスは太いHゴム支持方式になっています。
ドアガラスは東西線の5000系から採用した小さなもので、これは戸袋への引き込まれ事故を防止するためだったんですね。
連結面の貫通路は袖仕切の形状と合わせた全断面の大形貫通路として見通しのよいものになっています。
当時のつり革は丸型が主流でしたが、三角形の形状を採用しています。
さらに、側窓上部にある紙面広告は裏側から蛍光灯で照らし出し、広告の効果を高めるという「照明付き広告」を採用しました。
しかし、これは静電気によるホコリの付着や電気の消費量が非常に大きいことなどから2次試作車では不採用となって、本車両も改造時に撤去されています。なお、この「照明付き広告」や三角形のつり革、「振りかけ冷房」準備などは、同時期に新製されたばかりの銀座線用の1500N形にも採用されています。
連結間の幌は、6002~6003号車間には従来からのナイロン製の蛇腹式を、6001~6002号車間にはウレタンフォームをナイロンで覆うことで防音と断熱効果を高めた新しいタイプを使用しています。
=1次試作車のその後=
竣工当時は深川検車区内や東西線の地下区間を走行試験。翌1969年(昭和44年)の東陽町~西船橋延伸開業後は地上区間での各種の走行試験を行った後、1970年(昭和45年)に千代田線へ回送、綾瀬検車区に転属しました。
1968年(昭和43年)5月~9月にかけて信号保安設備、列車無線設備への誘導障害の確認試験が行われています。
その後、CS-ATCを設置。試験用のチョッパ制御装置2台は撤去して、抵抗制御が残されて6001号車は電装解除されて2M1T編成に改められました。なお、車号は量産車と重複するので6000-1、6000-2、6000-3号車と変更されました。
1973年(昭和48年)3月には有楽町線用の7000系に搭載を予定していたAVF(自動可変界磁制御)式チョッパ制御装置の試験を実施。1978年(昭和53年)11月にはVVVFインバータ制御の試験も実施されています。
1979年(昭和54年)12月、北綾瀬~綾瀬間の開業により既存区間と運行系統が異なる同区間に転用されました。
同時に5000系と同じ抵抗式制御装置、主電動機、ブレーキ装置(電磁直通ブレーキ)、補助電源装置「電動発電機(MG):12kVA」を新製して換装されています。また、この時に5000系用の主電動機(100kW)を搭載するため、台車をFS-502形に交換。制御車の6000-1号車は台車の交換はせずに、基礎ブレーキをディスク式から踏面ブレーキに改修したFS-068R形になりました。
車内はそれまで準備工事だった、扇風機、客室暖房器が新たに設置されました。さらに、室内灯の増設、予備等が新設されています。また、6000-3号車のマスター・コントローラーがワンハンドル式からツーハンドル式に変更。ロングシートのリクライニング機構は撤去されました。
その後、1994年(平成6年)に冷房化改造工事と車体更新工事が行われ、車内のリニューアルも施工されました。
この時に、台車は東西線用5000系の廃車発生品のものに交換されています。
1次試作車は北綾瀬駅~綾瀬駅間での運用のみでしたが、2014年(平成26年)5月に05系に置き換えられて運用を終了しました。編成は下記のとおりです。
←綾瀬 北綾瀬→
6000-1+6000-2+6000-3
=1次試作車と2次試作車のちがい=
・車両番号は量産車と異なって、6000ー1、6000-2、6000-3に付番されています。系列名は「6000系ハイフン車」と称されます。
・先頭車両の上半分の傾斜が量産車よりやや角度が緩く、前面ガラスも量産車より小さい。(のちに量産車と同サイズに交換)
これは2次試作車以降、前面傾斜を大きくして車体を40mm延長しているからなんですね。さらに前面ガラスの取り付けを外板
より深くしたんです。営団の団章「Sマーク」は厚みを持たせて、車両番号位置を非常扉位置に合わせました。
・運転台ワイパーが1本で量産車は2本になっています。アンチクライマー形状が小さく、細い形状でした。
・側面雨樋の位置が量産車より高く、肩部が張り上げになっています。これは2次試作車以降は雨樋も車体の構成部材にしたから
です。
・座席端部にある仕切りの切り込み部分が通路側に斜めになっています。(量産車は垂直方向)
・側面の車両番号表記位置が幕板部になっています。(現場からの要望で2次量産車から腰板部に変更)
=2次試作車=
1次試作車の結果を踏まえて、1969年(昭和44年)8月にオール電動車の6両編成×1本が2次試作車として製造されました。
この編成は主に複数ユニットでの誘導障害試験や回生ブレーキ使用時の問題点の確認などを目的に川崎重工業で造られています。
1次試作車と同様に深川検車区に配置され、東西線の地上区間を中心に各種試験が行われました。
この2次試作車は量産先行車として、4両の付随車を追加すれば10両編成での営業運転が出来るように設計されました。
外観では前面・側面ともにスカートを廃止、当初は1次試作車と同じく前照灯の部分で緑色の識別帯が途切れていました。
車体は軽量化を図るために大形押出形材を有効に活用し、車体制作時における艤装の容易化やデザインの見直しなどを考慮して製造されました。なお、側面の識別帯は太さを150mmから180mmへ太くしています。
車体の軽量化が大きく進められ、台枠に取り付ける機器を最適な配置にして、合わせて電機品の寸法を決定。この結果、機器吊り金具を大幅に省略することが出来ました。台枠側はり、側構えの長桁・軒桁には大形押出形材が使用され、台枠を薄肉化して、その深さを145mmから200mmとしましたが、床下機器の取り付け高さを下げる事ができないため、床面高さを1,150mから1,200mmに上がりました。ドア間の側構えの組立は、完成した一式を車体に組み込むユニット方式にしました。
これらにより、構体重量は1次試作車の5.0tから4.36tと約640kgも軽量化されました。
側窓も完成した一式をそのまま車体に取り付けるユニット方式に変更して、制作の合理化を図っています。
なお、側窓の高さは1次試験車の800mmから750mmとさらに縮小されました。
チョッパ制御による粘着性能の向上により、8M2Tから6M4Tで編成が組成できることが判明、主電動機の出力は145kWに増大しました。これにより2次試験車の主電動機はチョッパ制御専用のものとして、高速からの回生ブレーキを確保するため、定格速度を1次試験車の35km/hから55km/hに向上させました。主電動機の定格速度が高く、弱め界磁を使用しなくても所定の力行性能が得られるため、高速からの全界磁回生ブレーキが可能になっています。これで弱め界磁用の機器を省略し、機器重量の軽減に繋がりましたが、のちの営業運転時には弱め界磁が追加されています。
チョッパ制御装置は三菱電機(2台)と日立製作所(1台)を採用しましたが、総括制御して運転するため、機器の使用は統一されています。誘導障害対策としては三相三重チョッパ方式となり、各相220Hz×3・合成周波数660Hzとしましたが、起動時のみ周波数を下げています。なお、歯車比は6.53と再び大きくとっています。
ブレーキ装置はブレーキシリンダ配管をできる限り直線として短縮、ブレーキ作用装置とは別に台車中継弁を設置することで回生ブレーキ⇔空気ブレーキ間の切り替えが格段に速くなりました。
方向幕は前面のみの手動式として、側面については不採用になりました。その後、小田急線乗り入れ開始時に側面方向幕の増設と電動化が行われています。車内については袖仕切り形状の変更や床敷物がグレーに変更された程度になっています。
なお、本車両でも座席背もたれのリクライニング機構を2両に設置、1次試験車よりも座面の張り出しを50mm大きくして、背もたれも60mm下がるようにしました。残る4両は準備工事のみ実施されました。
客室ドアガラスはサイズの変更はなくHゴムから金属支持に変更され、すっきりしたものになりました。
1次試作車とは異なり、試験終了後の営業運転を考慮して客室扇風機と暖房器は当初より設置されています。
座席端部の切れ込みは「袖」の角より下が、ほぼ垂直となり、切れ込み部分は斜めながら角度が1次試作車よりなだらかになりました。
=2次試作車のその後=
この編成は1970年(昭和45年)に量産化改造のため、汽車製造において千代田線・常磐緩行線用のCS-ATC(国鉄呼称:ATC-4)、列車無線、制御装置への弱め界磁回路追加などを実施して、1971年(昭和46年)2月に千代田線に移動されました。
また、T車(付随車)4両を組み込み、落成時の6011~6016号車から6101編成に改番されました。なお、この付随車4両(6501・6601・6701・6801)は1次量産車に分類されています。
その後、1972年(昭和47年)12月には試作車6両の台車の改修が行われ、基礎ブレーキがディスクブレーキ式のものから、量産車と同様に両抱き踏面式のものに変更されました。(FS-368C形→FS-378形)
なお、本編成は両端とも制御電動車になっている点が量産車と異なっています。また、車体側面裾が118mm長く、小田急線の車両限界に抵触するため、小田急線内には乗り入れることが出来ず、小田急線の保安装置も装備されていません。
この編成は千代田線における最後の非冷房車でしたが、1994年(平成6年)9月に冷房化改造を受け、千代田線の全車冷房化が完了しました。1999年(平成11年)1月には車体更新・室内更新・VVVFインバータ化改造が行われ、特徴の車体裾部には切り欠きが入りました。
また、2次試作車の6両(中間増備車4両も同様)、1次量産車の120両は信託車両で導入されたんですね。
信託期間は5年度間「1次量産車:1970年度(昭和45年度)から1974年度(昭和49年度)。2次試作車×6両:1969年度(昭和44年)から1973年度(昭和48年度)」でしたが、期間を待たずに1972年度(昭和47年度)内に全車両の繰り上げ支払いが完了。
同年度末までに信託車両は解消されています。2次量産車の60両は1972年度(昭和47年度)に同じく、信託車両として導入されましたが、落成と同時期に残りの4年度分の割賦支払額を一括で支払っています。
=1・2次量産車「1970年(昭和45年)~1972年(昭和47年)」=
1971年(昭和46年)に千代田線初の新系列車両として大手町駅~霞が関駅間の開業に合わせて、1次車となる第02~13編成が。
1972年(昭和47年)には2次車として代々木公園駅の延伸開業に合わせて第14~19編成が投入されました。
車両の製造は1次車が5社(川崎重工業・近畿車輛・汽車製造・日本車輛製造・東急車輛製造)で竣工。2次車は汽車製造を除く4社で製造されました。
車内の配色は2次試作車などと同じで、荷棚は金網式、側窓のカーテンは灰色になっています。座席は試作車と同じ赤色ですが、リクライニング機構は見送られてします。なお、貫通扉のない妻面は木目ですが、貫通扉のある妻面はベージュの化粧板が採用されています。当初、つり革は座席の前のみでドア付近にはまったくありませんでした。側窓は天地寸法の低い上段下降・下段上昇式の2段窓タイプになっています。これは車体の大幅な軽量化を図り、開口部を小さくすることで剛性の低下を抑える事が目的でしたが、残念ながら外観的にも乗客の居住性からも不評でした。
扉間の座席長さは6.5人掛け(2,920mm)として、ラッシュ時には7人、閑散時には6人を目論んで座席の分轄を3人+4人に分けず、中央で分割しています。車端部の座席は3人掛けで、ドア横の立ちスペースは250mmとしました。
当時のこの方法は座席定員に問題点が残りますが、ドア横の立席スペースを一定量確保する目的としていました。
車内の見通しを良くするため、簡易運転台のある5号車と6号車間を除き、断面の大きな貫通路を設けました。このグループは乗務員室側面扉の高さが高くなっています。また、側面方向幕の準備工事が行われ、正面方向幕は2次量産車では電動式となり、小田急線乗り入れ開始時には1・2次車ともに側面方向幕の設置と電動化が行われました。
2次量産車では前面識別帯の上部に手すりが設置、アンチクライマーの下段がステップとなるように大型のものに変更され、従来の車両も改修されました。構体重量は限界まで軽量化が図られ、1次量産車よりも約200kg軽く、約3.9tになっています。
乗務員室内は緑色の配色であり、運転台計器盤は紺色の配色になっています。主幹制御器は回転式ツーハンドル式で、北綾瀬~綾瀬間を除いてマスコンハンドルはデッドマン装置のない国鉄タイプでブレーキハンドルにはノッチが刻まれています。
乗務員室は客室との仕切り壁にATC装置などの機器類を収めるため、乗務員室直後の客用ドア手前まで収納されています。
乗務員室仕切りには客室側から向かって右端に乗務員室扉があり、仕切り壁にはATC装置や列車無線機器などが収められているので、乗務員室扉にある窓から運転席は見えません。当初の1次試作車では乗務員室仕切り中央部に小窓がありましたが、後の更新時に廃止されています。2次試作車以降はATC装置など搭載機器が増大したため、仕切り壁部の窓は廃止されました。
ただし、4次量産車(第22編成)からは運転席後部に小窓(車掌監視窓)が設置されました。
2次試作車と同様の制御装置と主電動機を装備していますが、常磐線・小田急線への乗り入れを考慮して主回路に力行時弱め界磁を追加し(分路方式・地上線での高速性能に対応)、その機器を追加設置しています。さらに周辺機器の小型軽量化を図り、重量換算で約25%軽量化しています。
第02~08編成は三相三重チョッパ方式(素周波数220Hz×3・合成周波数660Hz)、第09編成以降は二相二重チョッパ方式(素周波数は限界に近い330Hz×2・合成周波数660Hz)として、コストダウンを図りました。なお、チョッパ回路以外の主回路は同一になっています。2次試作車では起動時のみ周波数を下げていましたが、量産車では誘導障害対策の強化として完全な660Hz定周波数制御として、さらに主回路配線の高周波対策を実施しています。
主回路の素子は第10編成までは逆阻止サイリスタを使用、第11編成以降は逆導通サイリスタを使用して転流回路の簡素化が図られました。素子の冷却にはブロワーによる強制風冷方式を使用しています。
ブレーキ装置は応答性に優れた電気指令式空気ブレーキを採用、台車はS形ミンデン式のFSー378形になりました。
基礎ブレーキは1・2次試作車は1軸1枚の車輪ディスクブレーキでした。(全車電動車なので)しかし、回生ブレーキは使用しないで空気ブレーキだけで運転する場合は、ディスクブレーキの温度上昇が大きく摩耗量も激しいことから、量産車からは両抱え式の踏面ブレーキになっています。
補機としてはM2車に電動発電機(MG:20kVA)、空気圧縮機(CP)はレシプロ式のC-2000M形を搭載しています。
回生電力有効活用のため、千代田線の変電所内に電力回生用インバータを設置することを検討しましたが、設置しなくても電力料金の節約とトンネル内の温度上昇には問題ないと判断されて、設置は見送られています。これは変電所へ電力回生インバータ(または抵抗器)を設置するのに多額な投資が必要なためと判断されたことによるものでした。
なお、1次量産車のうち、第09・11編成は二相二重チョッパ方式の試験を実施するため、本系列の量産車としては最初の1970年(昭和45年)10月5日(第09編成:三菱電機製)、10月11日、(第11編成:日立製作所製)が搬入されて、11月より千代田線と常磐線においてチョッパ制御による誘導障害などの各種試験が行われました。
それ以外の編成は1970年(昭和45年)10月下旬から、翌1971年(昭和46年)2月下旬に搬入されました。
=消費電力=
営団地下鉄はチョッパ制御による消費電力削減効果を検証するため、電力消費量の測定が行われています。
・1次試作車:回生率は10.5%、電力消費量は23.9%(抵抗制御と比較)
チョッパ制御装置と抵抗制御装置の両方を搭載したため、同一走行条件で測定が行われました。
・2次試作車:回生率は17.8%
・量産車:主回路電力は44%、電力消費量は39%(総合的に電力消費量は約40%の削減が確認されています)
千代田線で運用している5000系(抵抗制御)と6000系(量産車)を使用して比較検証されました。
(なお、主回路44%の内訳はチョッパ制御で36%、アルミ車体の軽量化で13% ※但し相乗効果が加味されています)
=3次量産車「1978年(昭和53年)」=
1978年(昭和53年)の代々木上原延長・小田急線乗り入れ開始に伴い、3次車として第20・21編成が製造されました。
3次車の製造は川崎重工業と日本車輛製造が担当しています。
当初より小田急線乗り入れ機器(OM-ATS、列車無線装置の設置など)、側面方向幕、通過標識灯、前面ガラスにデフロスター、保安ブレーキなどを装備のうえ落成しています。乗務員室側面扉は高さの低いものに変更され、一部の車両に連結面貫通扉を増設。
火災対策の強化として座席表地の材質変更、消火器の増設が行われました。
制御装置のサイリスタは1,300V規格から2,500V規格(2,500Vー400A)の大容量品に変更、台車は一部改良されました。
乗り入れ機器などの装備は1978年(昭和53年)までに1次・2次量産車にも追加装備されました。なお、通過標識灯は1998年(平成10年)4月に小田急電鉄が使用を停止したため、後年、全車撤去されています。
このうち6920号車と6911号車の2両においては、1977年(昭和52年)より、強制風冷式に代わって試験的にフロン沸騰冷却式チョッパ装置の試験を実施しています。また、この結果が良好であったことから、半蔵門線用の8000系では正式採用されています。
なお、このチョッパ装置は制御装置更新工事が行われるまで残されていました。
=4次量産車「1981年(昭和56年)」=
1981年(昭和56年)以降に製造された4次車(第22~28編成)は、千代田線で使用されていた5000系の10両編成×5本を東西線へ転用するための代替(50両)および千代田線の輸送力増強用(20両)として投入されました。
4次車の製造は日本車両・川崎重工業・近畿車両が担当しています。
輸送力増強は1981年(昭和56年)10月のダイヤ改正に伴うもので、朝ラッシュ時の運転間隔を3分20秒(毎時18本)から3分(毎時20本)に増発するための増車になります。
半蔵門線用の8000系の設計が取り入れられて、車内冷房装置の準備車として落成しています。
屋根上には集中式冷房装置が設置できるようにしたほか、車内には冷房用ダクト、補助送風機としてラインデリアが設置されました。さらに冷房配線も施工されていて、冷房装置本体と電源装置を取り付ければ、すぐに使用できるようになっていました。
当初の冷房方式は稼働率制御方式(ON/OFF制御)で、電源は三相交流440V、60Hzを出力するブラシレス電動発電機(MG)が想定されていましたが、実際の冷房化改造時には直流600Vを電源とするインバータ制御式冷房装置とDC-DCコンバータ電源の省エネルギー型システムの採用に変更されています。
客室扉間隔は3次車まで3,500mmでしたが、3,450mmに変更、扉間の座席長さは7人掛けとなり、ドア横の立ちスペースは180mmに縮小されました。車端部の座席は3人掛けでドア横の立ちスペースは200mmになっています。
側窓は従来の2段式窓から天地寸法が拡大された1枚下降窓に変更、窓枠も細くなり側面の印象が大きく変わりました。
各車両の連結面は貫通扉が設置されています。袖仕切りは床に接しない形状に変更、蹴り込み板の形状を斜めにしています。
室内灯に使用されている予備灯は従来の白熱灯からインバータ式で蛍光灯兼用のものに変更されています。
放送装置は自動音量調整機能付き(両先頭車のみ)として、乗客が聞き取りやすいものになりました。
乗務員室仕切り部には小窓が新設され、ドアエンジンは1~3次量産車とは異なり、開閉時に大きな音がする「俗にいう(爆弾ドア)」タイプになりました。側面の行先表示器は8000系と同寸法に変更され、わずかに大きくなっています。
制御装置の素子は逆導通サイリスタ(素子は2,500V-1,000Aにアップ)ですが、冷却方法をフロン沸騰冷却方式に変更して低騒音化が図られています。また、同地は周辺機器も含めた一体形からチョッパ装置×2箱とゲート制御箱×1箱の3分割形になりました。台車は曲線通過性がよいSUミンデン式(U形ゴムパッド付き片板ばね式)軸箱支持のFS-378B形に変更されています。
空気圧縮機(CP)は8000系で採用された低騒音形のC-2000L形になりました。5・6号車の中間車の床下には冷房用電源装置の準備工事が行われています。なお、一部編成のCS-ATC装置は5000系から移設したものを再利用しています。
=5次量産車「1984年(昭和59年)~1985年(昭和60年)」=
1984年(昭和59年)から5次車(第29~32編成)が落成しました。これは1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正による輸送力増強
に伴うもので、朝ラッシュ時の運転間隔を3分(毎時20本)から2分30秒(毎時24本)に増発するための増車になります。
4次車の製造は日本車両・近畿車両・東急車両製造・川崎重工業が担当しました。
屋根曲線を変更して、車内の天井高さが45mm高くなりました。客室の配色も変更されて、袖仕切りと枕木方向の化粧板をマルメットグリーンと呼ばれる緑色系に、それ以外はアイボリー系の色調に変更されました。客室ドアは窓が若干拡大されたものになり、座席のモケットはグリーン系に変更、同時期に落成した銀座線用の01系量産車と同じエコーラインの区分柄を採用しています。さらに前面展望を考慮して、乗務員室仕切り窓が拡大されました。細かな点では放送装置の自動音量調整機能を4次車の両先頭車のみから各車への設置となり、尾灯や車側灯がLED化されました。なお、このLED化は従来車にも全車に施工されています。
誘導無線アンテナはそれまで両先頭車に分散配置されていましたが、このグループからは8号車である6800形に集中配置されています。空気圧縮機(CP)は01系で採用された低騒音形のC-2000LA形に変更されています。1~4次量産車では基礎ブレーキが両抱き式踏面ブレーキを使用してしていましたが、これ以降の製造次車では片押し式踏面ブレーキに変更され、台車もFS-523形を採用しています。
=6次量産車「1988年(昭和63年)」=
1988年(昭和63年)10月ダイヤ改正の輸送力増強に伴なって、6次車(第33・34編成)は近畿車輛で製造されました。
6次量産車は6000系では初めてとなる冷房装置が搭載されました。
冷房装置の出力は48.9kW(42,000kcal/h)で装置キセが角型で、電源はDC-DCコンバータ(130kW)を編成で2台設置しました。
5次車とほぼ仕様は同じですが、化粧板は若干淡い色調に変更され、床敷物は2色のツートンになりました。ドア窓は外側からの支持に変更されています。また、従来は車内妻面壁に設置していた消火器を収納キセに収めるようになりました。
このほか、運転台表示灯のLED化、耐雪ブレーキ取り付け「耐雪ブレーキ自体は1985年(昭和60年)内に全車両に施工されています」が行われ、6100形に搭載されていたパンタグラフを廃止しています。
=7次量産車「1990年(平成2年)」=
1990年(平成2年)10月ダイヤ改正に伴う輸送力増強計画により、最終増備車として7次車(第35編成)が東急車輛製造で竣工しました。
制御装置はすでに更新車に採用されていた素子にGTOサイリスタを使用したものになり、冷房化による重量増を考慮して主電動機は155kW出力に増強されました。また、DCコンバータは170kW出力に拡大され、M2車に搭載していた電動発電機(MG)は廃止されました。
外観では、従来のアルミ形材に焼付塗装していたラインカラーをフィルム式に変更、方向幕は緑地から紺色のローマ字入りに変更されました。車内の化粧板は光沢があるものに変更されたほか、枕木方向の化粧板がレール方向のものと同じアイボリー系の色調に変更されています。運転台には故障をモニタリングするユニバーサル表示器が設置されました。
さらに新製当初から車内案内表示器・車外スピーカー・ドアチャイム・自動放送装置が設置されています。
これは同時期に竣工した8000系の第10編成と、前年度に竣工した7000系の第33・34編成と同仕様になっています。
なお、側面の社紋の位置が他の編成とは異なっています。
=冷房化改造工事=
在来車の冷房化改造工事は、1988年(昭和63年)3月から1989年(平成元年)6月までに実施されました。
6000形の冷房化改造は、まず取り付けが容易な構造になっている冷房準備車の4・5次車から施工されました。
冷房装置はいずれも出力48.9kW(42,000kcal/h)の集中式冷房装置が搭載されました。このグループの冷房制御はインバータ式で、装置キセは角形、電源は130kWのDC-DCコンバータを採用しています。車内はラインデリア(補助送風機)併用のダクト方式でラインデリアは車体全長にわたり、先頭車に10台・中間車に11台が設置されています。
非冷房車の冷房車化改造は1988年(昭和63年)3月から1994年(平成6年)9月にかけて行われました。
最初に、車体の更新工事と合わせて第09編成をメーカー(川崎重工業)に輸送して実施。その後、在来車の改造が開始されました。最初に施工した第08~10編成はインバータ制御式で、装置キセが角形であり、電源はDC-DCコンバータでした。室内には左右ダクトの中央に冷房吹き出し口がある「サブダクト方式」で、扇風機7台を併用する方式になっています。なお、扇風機は大形の50cmタイプから40cmタイプに変更されています。それ以外の編成では制御が単純な稼働率制御方式(ON/OFF制御)で、装置キセが丸みを帯びた形状になっています。電源は120kVAの静止形インバータ(SIV)で、GTO素子を使用した三菱電機製が採用されています。室内は左右のダクト途中に吹き出し口がある「スポット方式」で、扇風機は6台(冷房装置下部のものは撤去)を併用する方式になっています。この方式は改造コストを抑えるために5000系に採用された方式にも似た形状です。
なお、2次試作車のみ冷房化時に電源装置を集約して、190kVAの静止形インバータを2台搭載しました。
冷房化改造と同時に、屋根上のベンチレーターは撤去されました。また1997年(平成9年)から2003年(平成15年)までの間に、試作車を除いて、6100形のパンタグラフが撤去されています。
=編成表=
・2次試作車(10両編成化後)
←本厚木・唐木田・代々木上原 綾瀬・取手→
6101(CM1)ー6201(M2)-6301(M1)ー6401(M2)-6501(Tc)ー6601(Tc’)ー6701(T1)-6801(T2)ー6901(M1)ー6001(CM2)
※制御装置換装後の編成形態変更改造後
←本厚木・唐木田・代々木上原 綾瀬・取手→
6101(CM1)ー6201(M2)-6701(T1)ー6601(Tc’)-6301(M1)ー6401(M2)ー6501(Tc)-6801(T2)ー6901(M1)ー6001(CM2)
・量産車の基本編成(第02編成以降)
←本厚木・唐木田・代々木上原 綾瀬・取手→
6100形(CT1)ー6200形(T2)-6300形(M1)ー6400形(M2)-6500形(Tc)ー6600形(Tc’)ー6700形(M1)-6800形(M2)ー6900形(M1)ー6000形(CM2)
※編成形態変更改造後
=編成別、制御装置の特徴=











