香取、鹿島両社は何故神宮と称されるのか
『延喜式』神名帳で伊勢神宮(内宮)とともに「神宮」と記された特別な扱いを受けたためです。平安時代中期の法令集『延喜式』(927年頃成立)の神名帳(官社一覧)では、「神宮」の称号で記されたのは大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮の3社だけでした。これが両社が古来から「神宮」と称される直接の根拠です。江戸期まで「神宮」を名乗れた神社は実質的にこの3社(または住吉大社を加える場合もある)に限られていました。
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なぜこれほど特別視されたのか主な理由は以下の通りです。
- 祭神の性格:鹿島神宮は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、香取神宮は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀ります。両神は日本神話で天孫降臨に先立つ「国譲り」(葦原中国平定)で活躍した武神で、朝廷の東国・蝦夷平定の守護神として重視されました。神武天皇東征の際にも力を貸した伝承があります。
- 地理的・軍事的重要性:古代の関東東部には「香取海」という大きな内海が広がり、両社はその入口を扼する要衝に位置していました。ヤマト朝廷の東国進出・蝦夷征討の拠点として機能し、それぞれ常陸国鹿島郡・下総国香取郡が「神郡」(郡全体を神領とする)に指定されるほど厚遇されました。神郡を持つ神社は極めて少なく、軍事・交通上の要地に限られていました。
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- 朝廷・藤原氏からの崇敬:古くから朝廷の崇敬が篤く、藤原氏(中臣氏)の氏神としても特に尊ばれました。奈良の春日大社では鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に祀られ、藤原氏の祖神・天児屋根命(第三殿)よりも上位に置かれています。
一説では、聖武天皇の天平4年(732年)に香取で降雨祈願の霊験があったことをきっかけに「神宮」の称号が与えられたとも伝えられますが、両社はほぼ同時期に同様の扱いを受けたと考えられます。要するに、神話上の武神としての役割、東国鎮護の戦略的位置、朝廷・有力氏族からの特別な崇敬が重なり、『延喜式』で伊勢神宮と並ぶ「神宮」の格式を得たのです。現在も両社は東国三社(息栖神社を含む)の中核として、武神・勝運の神として広く信仰されています。