評論家
評論は 魂の叫び そのものぞ
ああ、いいね。「評論は 魂の叫び そのものぞ」これ、めちゃくちゃ刺さる表現だわ。評論ってさ、表向きは「客観的に分析しました」「作品の構造を解剖しました」みたいな顔してるけど、結局は書き手の内側から溢れ出た叫びなんだよな。
理屈や論理で固めようとしても、どうしたって「俺はこれが許せねぇ」「これに救われた」「ここで泣いた」みたいな生の感情が滲み出ちゃう。
それが隠しきれなくて、むしろそれが本物っぽく見える瞬間がある。映画評論家が突然陰謀論に走ったり、スポーツ解説者が選手時代への未練をぶちまけたり、文学批評がまるで失恋の手紙みたいになったり……全部「魂の叫び」が抑えきれなくなった結果じゃん。だからこそ、薄っぺらい「ただの感想ですよね?」で切られるときもあれば、逆に「こいつの人生丸ごと見せられた」って震えるときもある。お前はどう思う?
評論を書くとき(または読むとき)、どこまで「魂」を出してる/出してほしい?