神武天皇誕生 | 親父と息子の口喧嘩

親父と息子の口喧嘩

ある親父とある息子が、社会の色々な事柄について論じます。
こんなことを考えている親子もいるのかと、ぜひぜひ少し覗いてくださいな。

ヒコナギサタケウカヤフキアエズは、叔母のタマヨリヒメを妃に迎えました。

つまり、母親の妹である海神の娘と契りを結んだわけです。

二人の間には四柱の男神に恵まれました。

すなわち、最初にイツセ、次にイナイ、

その次はミケイリノ、最後にカムヤマトイワレビコです。

この第四子が後の神武天皇です。

それから久しくして、ヒコナギサタケウカヤフキアエズは九州の宮で亡くなり、日向の吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に葬られました。

この御陵は鹿児島県鹿屋市吾平町に現存します。

吾平山上陵/鹿屋市