ロシア
ロシアで武装反乱を起こし、首都モスクワに向けて部隊を進めた民間軍事会社ワグネル代表のプリゴジン氏。一転して部隊を引き返させてから、およそ2日ぶりに、日本時間の26日夜、SNSに新たな音声メッセージを投稿しました。何を語ったのか、その全文です。
きょう、広報部(訳注:テレグラムのチャンネルの名称)を開いたら、今回のできごとについて数千もの質問が寄せられていた。根も葉もないうわさが広がらないよう、そのうち主な質問に答えていきたい。
1つ目。2023年6月23日の正義の行進の前提となったのは何だったのか。ワグネルは、ロシアで、そしておそらく世界でも最も経験豊富で戦闘能力の高い部隊だ。士気の高い、やる気に満ちた戦闘員たちは、アフリカやアラブの国々など世界中で、ロシアの国益のため、常にロシアの国益のためだけに膨大な数の任務を遂行してきた。この部隊は最近、ウクライナで最も困難な任務をやり遂げ、すばらしい成果を収めた。
陰謀と軽率な決定により、この部隊は2023年7月1日に解体されることになっていた。司令官会議が開かれ、情報はすべて戦闘員たちに伝えられたが、国防省との契約に同意する者はいなかった。
なぜなら、誰もが、特別軍事作戦中の経験から、それによって戦闘能力を完全に失うことになるだろうとよく分かっているからだ。経験豊かな戦闘員や司令官は、中傷され、事実上の肉弾戦に挑むこととなり、自分の戦闘能力や戦闘経験をいかすことができなくなるだろう。
国防省に入ると決めた戦闘員はすでに移ったが、その数はほんの僅か、1、2%だ。ワグネルを完全な形で維持するためのあらゆる論拠が出されたが、私たちが実際に役に立つことができるよう別の組織に入るという試みは、1つとして実現しなかった。
私たちは、彼らがやろうとしていることに断固として反対だった。ワグネルの閉鎖と国防省への移行に関する決定は、最も悪いタイミングで下された。それでも、私たちは兵器を並べ、必要なものをすべて集めて目録を作成した。
そして、6月30日に車列を組んでロストフへ向かい、特別軍事作戦の司令部の近くで、公衆の面前で兵器を引き渡すという決定を下した。攻撃的な姿勢を一切見せていなかったにもかかわらず、私たちはミサイル攻撃を受け、その直後にヘリコプターが飛んできた。ワグネルの戦闘員およそ30人が死亡し、けがをした者もいた。
これが、司令官会議が直ちに行動すべきとの決定を下すきっかけとなった。私は「私たちは決して攻撃するつもりはないが、もし攻撃されたら、私たちをせん滅しようとする試みだとみなし、対抗措置をとる」という声明を出した。
24時間続いた行進で、車列の1つはロストフに入り、別の車列はモスクワへ向かった。私たちは、24時間で780キロメートル進んだ。地上では1人の兵士も殺されることはなかった。航空機を攻撃せざるを得なかったことは残念に思う。
しかしその航空機は爆弾を投下し、ミサイル攻撃を仕掛けてきた。私たちは24時間のうちに780キロ進み、モスクワから200キロ余りの地点まで到達した。この間、ルート上にあった軍事施設はすべて封鎖され、武装解除された。繰り返すが、地上では誰も殺されることはなかった。それこそが私たちの任務だった。
ワグネルの戦闘員のうち、数人が負傷し、みずからの意思で(ワグネルに)加わった国防省の軍人2人が死亡した。ワグネルの戦闘員でこの進軍への参加を強制された者はいなかったし、全員が、最終的な目的が何かを知っていた。
進軍の目的は、ワグネルの解体を阻止し、みずからの専門性に欠ける行動により特別軍事作戦で、甚大な数の過ちを犯した者たちに、責任を負わせることだった。それは社会が求めていたことだ。
行進の際に私たちを目にした軍人たちは皆、私たちを支持してくれた。私たちは二方面に向かって780キロ進み、モスクワからおよそ200キロの地点まで到達した。私たちが止まったのは、モスクワから200キロの地点にやってきた最初の襲撃部隊が、戦車を展開し、現地の偵察を実施したときだ。
その時点で、多くの血が流れるであろうことが明らかになった。そのため、私たちは、やろうとしていたデモは十分にできたと判断した。方向転換する決定には、2つの主な要因があった。1つ目の要因は、ロシア人の血を流したくなかったということだ。2つ目の要因は、私たちが進軍したのは、抗議のデモのためで、政権転覆の意図はなかったということだ。
このとき、アレクサンドル・ルカシェンコが手を差し伸べ、今後、ワグネルが合法的に活動するための解決法を模索しようと申し出てくれた。車列は撤収し、野営キャンプに戻った。
注目してもらいたいのは、この正義の行進が、以前から私たちが訴えてきた多くのこと、つまり、国全体の領土の安全性の問題がどれだけ深刻かを明らかにしたということだ。
私たちはルート上にあった全ての軍事拠点や空港を封鎖した。私たちは24時間で、2022年2月24日にロシア軍部隊が出発した地点からキーウまでと、同地点からウジホロド(訳注:ウクライナ西部)までの距離に相当する距離を進んだ。
だから、もし特別軍事作戦が始まった2022年2月24日に、ワグネルのように訓練され士気が高く、任務遂行に向けた覚悟が整っている部隊が活動していたなら、特別軍事作戦はおそらく24時間で終わっていただろう。
もちろん、他にも問題はあっただろう。しかし、私たちはロシア軍に匹敵する組織力を見せつけた。私たちが23日から24日にかけてロシアの街々を通過したとき、住民たちはロシアの国旗と、ワグネルのエンブレムや旗を持って歓迎してくれた。
私たちがやってきて通過するとき、彼らは皆、喜んでいた。多くの人が、いまだに支援のメッセージを送ってくれるし、私たちが止まったことに落胆した人たちもいる。
なぜなら、彼らは、正義の行進の中に、私たちの存続をかけた戦い以外に、現在のロシアが抱える官僚主義などの問題との戦いをも見出していたからだ。
これが、ロシアのSNSやマスコミ、西側のSNSなどで広がっているようなうわさを避けるために、私が答えることができる主な質問だ。私たちが行進を始めたのは不公正があったからだ。道すがら地上では、私たちは1人の兵士も殺さなかった。
24時間で、モスクワまで200キロの地点まで行き、ロストフ市に入り完全に統制下に置いた。
住民たちは私たちを見て喜んでいた。私たちは、2022年2月24日がどうあるべきだったかを示した。私たちは、政権転覆を目的には掲げていなかった。法に基づいて選ばれた権力については、これまで何度も語ってきた。
私たちが方向転換したのは、ロシア兵の血を流さないためだった。